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祖父母と暮らす日常は、慣習を身につけることと同義だったように思う。
小野塚芹那は今年の春、三年振りに自宅に帰ってきた。
母と一緒に田舎に移り住んだのは小学校五年の冬。早いもので二年以上の歳月が流れていた。
あのまま、祖父母の下に住み、高校進学を考えてもよかった。というか、多分母はその心算だったと思う。中学二年に進級すると学校でも希望校の提出を求められ、多くの生徒は身近な学校の中から選んで記入している。
しかし芹那はこのまま田舎で暮らすことを受け入れたくなかった。東京への憧れもあった。それ以上に父の近くに戻りたかった。
母には一人で帰ると告げた。すると少しだけ表情を固まらせ、
「お父さんがどうして私たちをこちらに寄越したか、話します」
と言う。
その夜、父の帰宅を待ち、ビデオ通話をした。
とっても久しぶりだったのに、唐突に母は喧嘩ごしだ。
「あのお話は本当だったのかしら」
その声音は冷たい。こんな姿を見たことはない。
二人は夫婦だ、芹那は子供。口を挟むことは難しい。でも。
「待って。私が東京の高校に行きたいことで、今日の話し合いをするって最初に言ってよ」
母がこちらを見る。
すると画面の向こうから父の声がした。
——東京の高校に進学したいのか。
「うん。だから中三に上がるタイミングで転校したいの」
父娘で話が進んでしまうと焦った母は口を出してくる。
「浮気してるのよね」
——ここで違うと言っても、お前は否定をするだろ。
「当たり前です。こんなに長い間ほっておかれ、迎えにくるという約束も果たされてない。いい加減はっきりさせましょう」
——分かった。お前の好きなようにしたらいい。
そう言われて、母は驚いた顔をした。
ちょっと待って。
「お母さんだって、まだお父さんのこと待っているでしょう。どうしてそんな酷い言い方をするの?」
涙を浮かべた瞳で、芹那を睨んできた母を父が諌めた。
——話は芹那のことだろう。流石にもう簡単に誘拐されることもないだろうし、大丈夫だろう。
ん?
誘拐!?
「ちょっと何の話をしてるの?」
——多分、お母さんが話したいことと同じ話だ。
その言葉を受けて、母を見ると頷いた。
「お父さんったら、仕事の上司にストーカーされて、危険が及ぶかもしれないからって私たちをこちらに引っ越させたのよ」
えええええ?
「単刀直入に聞くね。お父さん、その上司、今はどうなってるの」
——まだ上司のままだ。困ったことに、愛人気取りを通りこし、最近では妻のような発言をするようになっている。ただ仕事はできるからな、会社としては俺の言い分だけを聞いて左遷することはできないの一点張りだ。
「そんな……」
母の顔が歪む。
——お前の望むようにしたらいいよ。離婚したいというならするし、このまま別居していたいというならそれでもいい。
「家の中にも入ってくるの?」
——いや。住んでいたマンションは人に貸して出た。今は会社の近くのマンションを借りてるよ。もし芹那がこちらに来るというなら少し狭いかもな。新しい部屋を探すか。
「家の中のものはどうしたの?」
——使うものだけ運んで、お前たちのものはトランクルームに入れてある。
「行きます」
——えっ?
「えっ?」
もう訳が分からない。
「私の受験のためじゃなくて、お母さん自身が行きたいってこと?」
「そうよ。もう我慢しないわ。私が妻よ」
「だって、お父さん」
——ああ。どこか住みたい場所に希望はあるか。新しく部屋を探すよ。それより家を建てるか。
「すごい。新しいお家、いい」
「無理です。そんな貯え、ある筈ないでしょ。マンションのローンもあるのに、二軒目なんてどれほどのローンになると思うの」
——いいじゃないか。二人のためなら頑張れるよ。
お父さん、泣いてる?
でもそれは言っちゃ駄目なんだろうな。
「とりあえず高校のリストを作って場所も確認してみる。いつまでに教えればいい」
——善は急げだ。俺も今月中には候補地を知らせよう。
今月中なら、まだ半月以上ある。
「分かった」
母を見る。
やれやれといった感じで、首を横に振っている。でもどこか嬉しそう。
やっぱり一緒がいいよね。
そして色々と調べると言っていた矢先、貸していたマンションの住人が引っ越すことになった。
それならばと、マンションに戻ることになったのだ——。
引っ越して春から夏に向かい、母も元気になっていった。
父は相変わらず、ストーカー上司を上手く手懐けて自宅付近には近づけてこないものの、その代わり帰ってくるのも遅い。
とある夜。
珍しく早く帰宅した父とベランダに出た。
「もしかしたら夏至か」
父のその言葉に、何を今更と笑う。
天気予報では少し前から連呼しているではないか。
「地球は丸いって実感したのは、夏だったよ」
何の話?
「愛知に住んでいた頃、夜七時頃まで明るくて遊んでいた。でもこっちでは六時半くらいになると暗くなる。三十分くらい早いんだよ」
そうなんだ。外であまり遊ばなかったから知らなかった。
「その時、地球は丸いんだって思った」
そう言って、ニヤリと笑う父。
「おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいて、いいことがあった」
その言葉に、今度は何だ? と顔を覗き込んでくる。
「五節句だけならなんとかわかる。でもそれ以上の慣習は一緒に暮らさなければ知らないことだらけ。それを覚えることができたよ」
「お年寄りって言っちゃダメだよね。知恵袋を持ってる立派な人たちだ」
うん。本当にそうだね。
「何の話してるの?」
「年配の人には敵わないって話」
顔を出した母に、父が言う。
「ご飯、できたよ」
母の言葉に、ご飯だご飯だと部屋に入る。
食卓を囲む三人。
芹那が中学生になったことを除けば、何も変わってない。
両親が笑う姿を幸せな気持ちで眺める。
今年は受験生。
志望校は決まった。あとは勉強するだけだね——。
【了】 著 作:紫 草
ニコッとタウン内サークル「自作小説倶楽部」2024年6月小題:夏至
イラスト提供
by 狼皮のスイーツマンさん