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彼誰時。
払暁とも話していたな。
アイドル歌手の歌に暁というものがあり、雫は真っ先にその言葉が浮かんだ――。
深夜に家を出て、近所にある少しだけ小高い公園へやってきた。
真っ暗だった空に色がつき始め、彼が突然『かわたれ』を知っていますか、と尋ねてきた。
知らないと答えると、払暁ともいうし、有明ともと続けた。
その時、ある歌を思い出した。
「暁」
好きなアイドルの曲名を言うと、嬉しそうに笑ってくれた。
今時、お見合いなんて流行らないと思いますよね。
彼にそんな風に言われるとは思わなかった。雫は引っ込み思案が災いして、きちんと就職することもできなかった。
親にしてみれば、お見合い話はありがたい申し出としか思えなかっただろう。
だからこそ、すぐに会いなさいと言われたのだと思う。実の娘ではない養女の扱いに困っていただろうから。
今度は高尾山に登ってみませんか。
関東にある比較的登りやすいとされている、それでも山だ。
「無理です」
答えた言葉が思わず震えた。
深夜にしか家を出られず、人と関わり合うことが極端に苦手だった。
では何故、今ここにいるのか。
お見合いと言いながら、相手が初めて会う人ではなかった。懐かしいとも思える、知っている人だったからだ。
もう何年も人と会っていなかった。
最近のコンビニはお金を払うのも一人だ。便利という言葉に、どんどん人との関わりを排除されていく。
仕事も添付メールで終わる。
そんな雫を厳しい言葉で追い出すことができない両親は、このお見合い話に大乗り気だ。
でも結婚はできない。
社交的でない雫に、人の妻なんて務まらない。
「ごめんなさい」
謝るしかない。
ただ懐かしかったから。
もう一度だけ会いたかったから。
だから、この約束をしただけだった。
自分が指定した時間、午後十一時半という非常識な時間にも承諾の返事がきた。
一瞬、どうしてだろうとは思ったが、養父と知り合いだという話だから許してもらえたのかと思い、あまり深く考えることなく約束を果たす。
公園の入り口で待ち合わせた。多分、数分ももたずに別れると思っていた。
最初に彼は少し歩いたところにある東屋と呼ばれている休憩所に行かないかと誘ってきた。
灯りもあり、屋根と椅子があるので、問題はないかなと頷いた。
それから数時間、会話は途切れず夜が明けるねと言われ、急に難しい単語の羅列が始まった。
夜が明ける。
その言葉に、そんな長い時間が経っていたのかと驚いた。
「あの……、」
雫は今日だけだと、これからはないのだと話した。
「私、貴方を知っているんです」
中学生の時が最後なので、もう八年前になる。
最初は小学校入学の時、いわゆるお世話係のお兄さんだった。
その年、新入生は雫だけ。当時、子供が減っていたこともあり、隣のマンションと一緒に登校することになっていて、六年生が彼だけだったのだ。
それだけの関係なら良かった。
高校生になった彼は、この辺りではちょっとカッコいい男子生徒として有名になっていて、ある時、名前を使われてしまった。
悪いことをしている人が彼の名前で女の子を集めた。少し冒険する気持ちのあった子供達が連れて行かれた。
詳しい話は知らない。雫は行かなかったから。
ただ多くの女子がお休みしたり転校したりした。
中学一年の夏。
雫は知っていたんだと噂が立った。
気づけば、怪しい人と関係があることになって、彼を陥れたのだと決めつけられた。
そして学校に行けなくなった。
両親は何もしなかった。ただ家の中に置いてくれた。
当然だろう。この家はもともと雫の家だ。本当の両親が亡くなり、叔父夫婦が雫を育てることと、父の仕事を引き継ぐことで養女とした。
それから雫は家の中で過ごした。
出かけるのは、深夜のコンビニだけ。
「初恋だったのかもしれません」
だからお見合いの話と一緒に渡された身上書に彼の名前を見て、会ってみたいと答えてしまった。
「ごめんなさい」
でももう満足。
「知ってたよ」
頭を下げた雫に、彼、都築公陽(つづききみはる)は両手を添え顔をあげてと言った。
知っていた⁉
「何を知っているんですか」
「雫ちゃんって呼んでた頃から、学校行けなくなってコンビニにだけ現れるってことも」
驚く雫に公陽は続けた。
「お父さんとは仕事関係で知り合ってね。名字が同じだったから自分から聞いてみたんだ」
八月一日(ほずみ)雫さんのお父さんですかと。
変わった名前だった。
もしかしたらと思ったという。
「事件のことでは色々調べられてね。その中で教えてもらったこともある」
雫がその後、いじめに遭ったことも知ったらしい。
「気になっていたところに、偶然コンビニで会ったんだよ」
えっ。会ってる?
「下を向いて商品だけとって、レジで店員にお金払って出て行った」
まだ店員さんに支払いをしていた頃だ。
「それから何となく気になってさ。そのコンビニにもよく行くようになったよ。お父さんからも、それとなく様子を聞いていて」
それで言われたんだ。
「一度会ってみないかって」
お見合いの形をとって最初に断られたら終わり。そんな約束だった。
そこで雫は会うと言ったんだ。
「女性経験もそれなりにはある。でも、どこかで違うなって気がして長続きしなかった」
そんな時に見かけたのが雫だった。
「子供の頃、何て素直な子なんだろうって思ってたよ。妹とは大違いで」
お互い事件のことで迷惑をかけられて、人生を狂わされたのは雫の方だった。
「難しいこと考えなくていい。たまに会って話をしてさ。もしできたら、ご飯食べに行けたらいいなって思ってる」
途中から涙が止まらなかった。
「今は24時間のファミレスもあるからさ。いつか行ってみようよ。今はそれが目標ってことでお付き合いして下さい」
差し出された右手を暫し眺めた後、ありがとうございますと礼を言う。でも。
「きっと無理です。私に人付き合いはできません」
「いいじゃん。無理も一緒に引き受けるよ」
そう笑った公陽に、何故そこまで言ってくれるのかわからなかった。
「妹を亡くしたんだ」
!?
どんな我が儘も、どんな苦労も、生きているからこそできる。
「雫ちゃんの人生、少しだけ浮上させる手助け、させてもらいたい」
雫の人生は、今大きな分岐点に立っていて、これを間違うともう二度と元には戻れない。
「当たり前にしなくてもいい。夜には出て歩けるんだから。それで十分だよ」
もう何も望まない。
「よろしくお願いします」
雫が公陽に頭を下げた時、それやめてと言われた。
「妹は頭なんて下げなかった。もっとふてぶてしく生きていいよ」
「で。いつか高尾に行けるといいな」
それ、忘れてなかったか。
雫の顔に笑みが戻った瞬間だった――。
【了】 著 作:紫 草
ニコッとタウン内サークル「自作小説倶楽部」2023年8月小題:山
イラスト提供
by 狼皮のスイーツマンさん