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雨が降る。
かなり強めの、雨。
「しまったなぁ」
駅からマンションまでは八分。
今にも降り出しそうな空模様ではあった。それでも大丈夫だろうと駅舎を出た。
夕暮れ時。
一気に暗くなったと感じる。
ポツポツ、という雨を確認した刹那、一気に大粒の雨になった。
慌てて通りにあるコンビニに駆け込んだ。すでにびしょ濡れになってしまっている。見知った店員がレジから外を見ていたので、近寄った。
「ごめん。雨宿り」
どうぞどうぞ、と笑顔を返してくれる。この人はいつも感じがいいから好きだ。
いくら仕事とはいえ、体調が悪い日だって、気分の乗らない日だって、そして嫌な接客になってしまう場合もあるだろう。よく会うがそんなマイナスの顔を見たことがない。
彼女を初めて認識したのは、プリンだ。
仕事帰りに甘いものが欲しくなってプリンを手にレジに向かった。一つだけならセルフレジでもよかったのだが、とにかく面倒だったのだ。
その時、彼女が少し待っていてくれと言った。別のプリンを持ってきて日付を確認する。
「あれ、確かさっきのヤツもまだ大丈夫だよね」
「はい。ただあと数十分で切れてしまうので変えましょう」
一瞬、まだ売れる時間なら問題ないのに、と思いつつ顔を見る。オバさん、と言われる年齢だろうな。声は若い。少し高めだからか。小さめの袋にプリンを入れて手渡してくれた。
それから挨拶をするようになった。何となく。
「タオル」
「え?」
外ばかりに気を取られていた。
「それじゃ男前が台無しよ」
微笑みながら差し出してくれたのは、黒猫の絵があるフェイスタオルだった。
髪から滴り落ちる雫が不快で、礼を言い受け取った。
「いらっしゃいませ」
同じような濡れ鼠の客が入って来て、彼女は声をかける。大丈夫ですか、ひどい雨になりましたね、と。
雑誌の前を陣取りながら、その客も雨宿りだろうと思っていると、彼はスイーツの棚に向かった。
あ。プリン。
久しぶりに買ってみようか。
「これ」
「ありがとうございます」
やはり優しい微笑みをくれた。あの時のプリン、彼女が買って帰ったことを随分、後になって知ることになった。
その彼女を全く別の場所に見る。
制服を着ていないから一瞬、誰だっけと思ったものの、すぐにコンビニの彼女だと気づいた。
そこは映画館。上映を待つソファだった。
「あの」
声をかけようと思ったものの、名前がわからない。名札、つけてた筈なのに。
思い出せない。いや、はなから覚えようとしていない。
「あら」
それでも顔を合わせれば、すぐに分かる。
「珍しい所でお会いしましたね」
手には飲み物とパンフがある。
「第2弾の特典配布が始まるらしくて、妹に初日に貰ってきてと頼まれました」
何でも小冊子の配布があるらしい。
「お休みなんですか」
「いいえ。ただ年休が残っているので。妹は就職したばかりで休めないからと」
そう言ったら、優しいお兄様ねと返された。
「あの」
今更ですがと前置きして、名前を尋ねた。
「おうにわです。花の桜に庭と書いて、桜庭です」
桜。
「はい。お客様のお名前もお訊きしてよろしいですか」
「あきやまです。木の楓に山と書きます」
まあ、と少しだけ驚かれた。
対になっているような名前でしたね、と笑い合った。
偶然にも同じ列で同じ映画を観た。
感想は『いい映画でしたね』と。その言葉しか出なかった。
頼まれて観るだけのつもりが、のめり込んでしまっていたくらい。
それからもコンビニに通えば店員と客だった。その関係が少しだけ変わることになったのは、彼女の仕事が上がる時間に来店した時だった。
私服に着替えた桜庭は、制服を着ている時よりも若く見えた。その彼女がさらに若い女性と一緒にいる。
すでに勤務時間を終えているので声はかけず、会釈だけ。すると、彼女の方から今夜の予定はあるかと確認された。
「帰ってご飯食べて寝るだけです」
そう言ったところで、一緒にいた女性の瞳が見開かれた。
「淋しい男なんです」
「なら、一緒にお食事は如何かしら」
返事をするのに、少し躊躇ってしまう。見知らぬ女性はいいのだろうか。
「娘なの。うわばみじゃないから安心して」
思わず笑った。ウワバミって。
「では、お供致します」
どこに行こうかという話になって、初めて住まいの最寄駅はどこかと訊く。するとここからは二つだけ木場方面に行くらしい。
どちらにしろ、それほど遠くないので築地へ行こうとなった。
「いいお店、ご存知かしら」
和食がいいという娘、名は紫織の言葉を受け、桜庭が尋ねてきた。
「俺、まだ二十代です。築地の店なんて知らないですよ」
ジョナサンとかなら入るが、いい店なんて分からない。
カッコつけてもすぐにバレる。正直にそう言って、検索しますかとスマホを出す。
「じゃ、お寿司屋さんにしましょう。私も詳しくないけれど、店構えを見て決めたらいいんじゃないかしら」
「うん。自分の目を信じることにしませんか」
紫織がそう言って、こちらのスマホを見る。
「そうですね。俺も直感の方が好きです」
道路沿いの花がススキに変わっている。いつの間に。そんなことを思いながら歩き、ここがいいかもと思った。
揃って選んだのは、小料理屋を思わせる寿司屋だ。時間も忘れ、食べて飲んで、そして静かに話した。気づけば終電が終わってしまう、と慌てて店を出た。
マンションに一人戻ってからも、二人の笑い声と話が耳に残った。
話題は最近見たテレビドラマの話や、紫織のこと、そして自分のことも色々聞かれたな。
楽しい、と心底思える時間だった。
学生時代から人付き合いの苦手な自分は、酒の席をあまり楽しむことがない。一人暮らしをしているので、ほとんど孤食というやつだ。これまで、それを淋しいと思ったことなどなかった。ただ今は、二人との時間を大切なものとして記憶していたいと思ったーー。
その後も付き合いは続いていった。三人で会う時も、紫織と二人の時も。
ただ桜庭さんとの二人というのはなかった。当然かもしれないが。
そして一年。また秋がやってきた。
自分としては桜庭さんとの話が楽しい。彼女の話題や心配り、勉強になる。言葉遣いも、ついぞ聞いたことのないような言葉なのに自然と頭に入ってくる。
自分の親もこんな雰囲気の人だったら、もう少し人に優しくなれたかもしれない。そう思うようになった。先日、紫織と話していて知ったこと、二人は実の親子じゃない。彼女は父親の連れ子なんだという。
そんな感じは微塵もない。血の繋がりのある親子だと思っていた。
少し前に、紫織に言われたことがある。
「お母さんのこと、好きでしょ。いいよ、付き合っても」
この言葉には面食らった。
「いろいろ確認したいことが多すぎるんだけど」
紫織は笑いながら、そうよねと言いつつ更に笑う。
聞けば、紫織の父親は亡くなっているそうだ。そして弟も就職して今更母の再婚に文句は言わないからと。
「いや。好きだけど、さすがに結婚はないよ」
どう考えても桜庭さんが相手にしてくれない。それに彼女、まだ旦那さんが生きてるような話し方するし。
「それより普通に考えれば、紫織さんとの方が相応わしくないかな」
年齢的にも。彼女の方が二つ上。可愛い人だ。
「私、母と比べられるのは嫌なの。負けるの、わかってるから」
少しふてくされたように、そしてやっぱり笑いながらそう言っていたーー。
うん。
決めた。
彼女とちゃんと向き合ってみよう、また断られるかもしれないけれど。
『もしもし。ちょっと大事な話があるんだけれど』
週末。金木犀の香りの中で、彼女に電話を掛ける。
ーー何のお話ですか。
「顔見て話したいんだけれどな」
ーーわかりました。仕事が終わったら連絡します。今日、残業なんです。
「了解」
男心と秋の空、というが自分は違うと思う。少なくとも紫織の表面だけ見て好感を持った訳ではない。
「振られないことを祈ろう」
傘越しに落ちてくる秋雨に、思わずウィンクをしたーー。
【了】 著 作:紫 草
ニコッとタウン内サークル「自作小説倶楽部」2020年10月小題:ススキ
by 狼皮のスイーツマンさん
続きは姉妹編「願い」にて