カテゴリー;Novel
このお話は、
「大人の都合」
「大人の事情」
「大人の決断」
の番外篇です。
父は人でなしで、自分は刻薄な人間だった――。
若い頃、自分は怖いもの知らずだった。
望みを叶えるためなら平気で嘘をついたし、約束は破るためにするものだと言っていた。
思い通りにならないと周りに当り散らし、結果的には思い通りにする。周りは呆れ果てていただろう。それを当然と受け止め、その影で誰かが傷ついているなんて考えもしなかった。
今思うと、自分には結婚なんて向いていなかった。誰かのために、という言葉が大嫌いな自分がよく二十年ももったものだ。
年老いて独りで生きていると、これが因果応報かと思うこともある。しかし、きっと自分自身のせい。この性格が問題なのだと漸く分かった。
神崎恭子。
何故、旧姓に戻らなかったのかと色々な人に聞かれた。そのたびに面倒だったからと答えたが、本当は違う。
神崎龍一の家族であった唯一の証が、神崎姓だ。家を出たものの暫くは籍は抜かずに同居をする形だった。神崎は父に連絡をとってきて離婚する話が進んでいった。
最後に会ったのは、崎守一勢の病気のことで父と三人で話をした時になる。もう十年近くが経つ。
あの頃、一勢の看病は想像以上に大変で、神崎の優しさを初めて思い知らされた。俊介も穂花も、その後に知り合った多くの若者と比べたら本当にいい子たちだった。それを当然だと受け取って、挙句逃げ出した。だからというわけではないが、もう取り戻せない家庭を名前に残した。
いったい何が嫌だったのか――。
思えば若い頃のままの感覚で生きていた。着飾って出かけたい。お洒落もしたい。家事はしたくないし、自分がやらなければ誰かがやると勝手に決め付けていた。実際その通りになった。穂花は小学生の時から一通りの家事をこなしてしまうから、手伝いという言葉一つで殆ど全ての家事をやらせた。
あの子は神崎によく似ていた。
一つを教えれば、あとは自分で考えてできることが増えていく。自分は違う。気付けば女として穂花を嫉むようになっていた。
こんな筈じゃなかった。
そんな思いが日々募っていった。
あの時、彼がお見合いの席に来てくれたら自分の人生はもっといいものになった。彼との結婚が自分には最高の幸せをもたらした筈だったのに、と思うようになっていた。
そんな時だった。妹が死んだのは。
そして母には内緒にする約束で、父の過去を告白される。そこには、かつて愛した人の名が在った――。
『捨てた』
父の言葉にドキリとした。
恭子自身も今の家庭を捨てたいと思っていたからだ。この父とは血の繋がりなどないのに、同じことをしていたのかと思うと親近感が沸いた。
『どうして急にそんなことを言い出したの』
内緒話なんて前置きをして過去の暴露だけなんてことはない。どうせろくでもないことを聞かされるに決まっている。この人はそういう人。都合の悪いことは最後まで話さない。それものらりくらりと言葉を言い換えながら誤魔化すようにしか話さないし、すこし突っ込んだことを聞くと怒り出す。
ところが珍しく断言した。妹の死はかなり堪えたらしい。
『捨ててきた息子が同じ病気なんだ』
母親はもう死んでいる。結婚もしていない。名前は確か崎守に戻ったと思う。母親の姓だ。崎守一勢という。漢数字の一と、勢いと書いてかずなりだ。
えっ!?
息子って、崎守一勢のこと? 彼はあなたの息子なの?
父は妹の入院していた病院で偶然見かけたそうだ。そして主治医の名前が同じだったことから覚えていて、彼の病状を聞きだした。流石に医師も驚いていたらしいが実の父なら骨髄移植の可能性もあるかと思い教えてくれたのだそうだ。
しかし父は移植ができない。自分自身が病身だから。その上、血の繋がりのある妹を同じ病で亡くしていた。せめて様子を見てきてくれないかと恭子に頼むための告白だった。
崎守一勢が何故、恭子との見合いを断ったのかが漸く判明した。一勢がかつて名乗っていた名前の女。身上書には父の名前。そんな女との見合いなど受ける筈がない。
かつて愛した男。捨てられる以前に相手にもされなかった。お酒の席に呼んで半分だますように抱かれた男。結果的に身ごもったまま結婚し、彼の娘である穂花を産んでいた。
今、自分の暴走が何処へ向かおうとしているのか。
(分かり易い人間だな、私って)
捨てる。
あの家も夫も、そして子供も全部。
未練などない――。
そうして飛び込んだ崎守の家だった。
少しずつ馴染めば、きっと受け入れてもらえると決めてかかっていた。
ここでも我が儘な顔は変わらなかった。結婚はしないと最初に宣言されていたのに、どこかで覆せると信じていた。
しかし現実は甘くなかった。気付けば看病する日々に嫌気がさし、愛情などなかったと気付いた。どこで選択を間違ったのだろう。
こんな筈じゃなかったと思う気持ちは、そこでも膨らんでいく。そんな時、もう骨髄移植しか治る見込みはないと告げられた。
だったら穂花がいる。一勢の娘だ。もし移植ができて一勢が治れば、自分は此処を出ていける。
もう自由になることしか考えていなかった。
問題は穂花にどう話すかだ。
あの子は恭子を嫌っている。家を捨てるために利用した。自分の出生の秘密を、あの子自身の口から暴露させたから。
不思議だったのは神崎だ。知って尚、二人の子供と一緒に暮らしていた。両親を引き取り介護をしていると風の噂に聞いた。
穂花は負い目から介護をしていたのだろうか。
今となっては何も分からないが……。
あの子の作る肉じゃがや魚の煮付けが食べたい。本当に美味しかったから。できたよという言葉に当然だという顔をして食卓についていた。そんなこと、ある筈ないのに。自分の責任を放棄してしまっただけなのに。
穂花の顔を思い出せない。どんな顔をしていたのか。誰に似ていたのか。一勢の娘であっても恭子の娘でもあるのだ。自分に似たところが少しでもあったのだろうか。
写真の一枚も持ち出さなかったことを悔いている。
俊介はどうしているだろう。
大好きだという言葉とは裏腹に、神崎そっくりのあの子を遠ざける時もあった。たぶん気付いていたと思う。
他人の前では恋人親子。でも誰もいないところでは無視していたのだから。
きっとあの子も恭子を嫌っている。
そう思うと自分の子育てって何だったのか。まるで子供のおもちゃ遊びのような感覚だ。リアルなお人形遊び。小さくて大変な頃は母に頼り、小学校に通うようになれば本人に押し付けた。
それでも本当にいい子に育っていたのは、神崎がちゃんとフォローをしていてくれたからだろう。何か問題があれば全て神崎が解決をした。恭子が出ていくことはなかった。
それが一番確かで、いい方法だったから。
父の言葉が蘇る。
人情という言葉は自分にはない。ただ新しい女の方がいいと思っただけだと。病気にならなければ母もまた捨てられていたのかもしれない。そして恭子はその生き方を踏襲するように生きている――。
遠い将来。
待つのは孤独な死だろう。母は父の秘密を何も知らないまま、穂花を救おうとしていたという。現金も贈り物も全て受け取り拒否という仕打ちを受けても尚送り続け、父の看病に忙しくなり漸く諦めたようだった。
親子三人、ばらばらになった。たぶん一緒に暮らすことはない。孤独が一番似合いの人生だと自嘲する。
誰かのためになど生きられない。一勢の許にも戻らない。神崎の人間たちには、もう二度と会えないだけだ――。
【了】 著 作:紫 草
もともと、ニコタのサークル内でのルールで書いているので、文字数やテーマの都合で無理やり感が出てしまうものもあるかもしれません。
今は新作を書くことに時間を使っているので、リメイクは考えていませんでした。
続編を希望して戴いたり、リメイクを希望して戴けることは至上の喜びでございます。
いつか、自分の中で書き直そうかと思う瞬間が訪れたら、改めて彼らの物語に筆を入れるかもしれません。
今はお約束はできませんが。
お時間のある時のお暇潰しにでも、どうぞまたお越し下さいませ。