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今の時代、多かれ少なかれ介護を経験している者はいるだろう。
老々介護という問題もたびたびメディアに取り上げられているという。
また行政からの助けを、よしとしない昔気質の老人もいると聞く。家という閉鎖空間で外からは見えない困難を見過ごしている場合もあったのだということに、今になって気づかされた。
親はいて当たり前。
一緒にいると煩わしいが、存在そのものを危ぶむことなどない。
それなのに妹家族が実家に暮らすことに胡坐をかいて、何もせず何も聞かず、そして放置してきた。
とある日。
病院から電話があった、と妻からメッセがきた。
詳しく聞こうと電話をするもつながらず、返信をした。
―誰か、病院にかかったのか?
そのメッセはいつまで待っても開封されず、仕事に行っている日だから無理もないかなと諦めた。
結局、何もしないままその日は帰宅した。
夜二十時、自宅は真っ暗だった。
改めて妻の番号を呼び出しコールした。呼び出し音、かなり鳴ったものの待った。すると漸く繋がった。
「お前、今何処にいるんだよ」
その問いに返事がない。
あれ、通話してるよな。
スマホの画面を見ると確かに通話中だ。
「美紗?」
聞こえた声は妻のものではなかった。
――お兄ちゃん、お義姉さんはここにいる。
「どこだよ」
――病院。
「だから、その病院ってどこだって」
そこは所謂、総合病院と呼ばれる大きな病院だった。
時間外受付を通り、病室へ急ぐ。
聞いた階でエレベーターを降り、一部屋ずつ名前を確認して部屋に着いた。
スライドドアを開け中に入る。
綺麗な病室なのに、老人臭がした。四人部屋の窓側、そこに美紗が立っている。
ただその前に妹がいて、義弟もいた。
四人部屋だが、他の三つのベッドは空いている。
父は眠っているようだ。点滴がついている。顔色は悪くないように見えるものの、容態は不明だ。
「この人はお父さんを救急搬送したって連絡したら、行けないって言った」
でも妹も仕事なんだから仕方がないと思ったという。ただ自分には死んだら連絡してくれと。
「何?」
「お母さんが死んだのはおじいちゃんの介護疲れだって言われた。お母さんが死んで、おじいちゃんもすぐに死んだ。次はお父さんだねって、お葬式の時に言ったよね」
そんなこと言ってない。
そう言おうと思ったが、妹は美沙を見ている。もしかして言ったのは彼女か。
妹は冷たく言った。
「退院したら、お兄ちゃんのところで介護してね。私たちはもう二人も看取った。同じ子供なのに一人も介護しないなんてダメだよね」
無理だ、とは言えなかった。
実家にくればいいじゃん、という妹に、お前たちはどうするんだと訊いた。
「部屋借りる。これ以上介護してたら、私たちのお金がなくなる」
金?
「いや、父さんの年金があるだろう」
「お兄ちゃん。それいくらか知ってるの?」
知らない。
二か月、六万円。
昔の人は年金は義務じゃなかった。
祖父は昔でいう跡取り長男で、満額もらっていたし、母も父より多くもらっていたらしいが、その二人が先に逝った。
金銭的に援助して欲しいって頼んだよね。
それまで俯くだけで何も言わなかった美沙が顔をあげ、何か言いかけて、でも言葉にならず沈黙した。
「援助っていつ言った」
「聞いてなかったの」
そんなこと、知らない。
いや、老いた父がいるのだ。何かしら援助をした方がいいのは、少し考えたら分かる。
なのに何もしてこなかった。
美沙は伝えなかったかもしれないが、自分から言うべきことだった。
「お義姉さんには悪いけれど、お父さんはまだ死なないから。実家に引っ越すのが嫌なら、今のマンションをバリアフリーにリフォームしてね」
車椅子が使えないと大変だから、と言った。
じゃ、帰る。
妹は義弟に帰ろうと声をかけている。
「もう介護はしない。お見舞いには行くけれど、お金も出さない」
二人は部屋を出ていこうとする。
そして最後に言った。
「絶対、許さない」
誰が悪いという話じゃない。
「引っ越すか」
「嫌よ」
「そっか」
別居、するか。
この入院がどのくらいなのか分からないが、自宅での介護が無理となれば施設に入れるしかない。
そんな金はないだろうな。
一人娘は私立のエスカレーター式の中学校に通っている。マンションのローンもある。これまで見て見ぬふりをしてきた。もうそれはできない。
「介護施設を探すわ」
美沙が言った。
「そんな余裕はないんじゃないのか」
そう言ったが彼女は首を横に振る。
「公立中学校に転校させましょう。ピアノもやめればいいし、私はパートの時間を増やすから」
転校は娘が可哀相だ。
「テレワークを基本にして、必要な時だけ出社するよ。副収入も考えてみようか」
実家には自分だけが引っ越せばいい。
父と二人、何とかやるしかない。
頭の悪い大人の典型になっているとも気づかず、自分たちは迷走しようとしていた。
助けられたのは、娘にだった。
みんなでおじいちゃんの家に引っ越せばいいじゃん。
転校する理由なんて、美乃梨がバカで勉強ついていけないって言えばいいんだよと。
マンションも要らないと。
誰も住まないのに、どうして売らないのと。
美沙が介護をしたくない、ということも娘は気づいた。
「お母さんは何もしなきゃいいじゃん。私とお父さんですればいいだけでしょ。おじいちゃんは寝たきりの人じゃないもん」
それでいいのか。
娘に介護という現実を背負わせてしまって、本当にいいのか。
娘は祖母からの手紙を持ってきた。
『誰かを助けることは、いつか自分のためになりますよ。助けることをはずかしがってはいけません。誰かを助けることは大切なことです』
おじいちゃん、好きだよ。
だから助ける。
この話を妹夫婦にした。
実家に引っ越して、家族で介護をすると話すと妹は泣いていた。
そして娘に、おばちゃんが何でも好きなものを買ってあげると約束していた。
許さないと、頑なに心を閉ざした妹を、救ったのもまた娘だった。
父は二週間ののち、退院をした。
実家はすでにリフォームが済んでいて、父の部屋やリハビリができる場所には車椅子で移動ができる。
学校から帰ると娘がまず、困っていることはないか、体に痛いところはないかの確認をする。
何もなければ、それをメッセしてくる。
父の方が、ほっておけと言うのに、彼女は父の部屋で宿題をしたり、タブレットで映画を見たりするらしい。
定期的に検査入院をして、父の体のメンテナンスと、家族水入らずの時間を作ってもらって過ごした。
担当の医師が言う。
『理想的な病院の使い方です』
今のままなら足を切ることなくいけそうだと言ってもらった。
最初は手を出さなかった美沙も、二年を過ぎる頃にはシーツを変えたり、着替えを手伝ったりするようになった。
みんなが父の部屋に集まる。
全部、娘のお蔭だった――。
【了】 著 作:紫 草
ニコッとタウン内サークル「自作小説倶楽部」2023年12月小題:医師
イラスト提供
by 狼皮のスイーツマンさん