「何にも聞かないんですね」
世間話を続ける彼の言葉を遮って、私は声をかけた。
暫く沈黙が訪れた。
やっぱり何も言わなければよかった。
そうすれば懐かしい楽しい時間で終わったかもしれなかったのに。
「ごめんなさい。ご馳走様でした」
すると立ち上がった私の手を、彼が掴んだ。
彼は何も言わないままで、私を再び座らせた。
「実の梨が後悔すると思った…」
彼の言葉は唐突に始まった。それは本当の彼の言葉だった。
「若い子は長続きしない。そう聞いた。だから待ってた。二十歳になるのを。実の梨からの電話がなくなって、やっぱり若い子の時間は早いと思った」
嘘…
「休みも定期的には取れない。給料も安い。良いことは殆んどないと言っても良かった。その上、十歳も上のオジサンと付き合うなんて無理なんだと思った」
そこまで話して、彼はアイスコーヒーを飲み干した。
「何度も電話をしようと思って、やっぱりできなかった。悪かった」
そこで彼は頭を下げた。
「止めて下さい」
「いや。これで本当に忘れられる。結構引きずってたから。さっきも思いっきり勇気出して声かけたくらいだから」
泣くもんか、という気持ちの時は、どうして涙は溢れるんだろう。
バッグからハンカチを出すと、彼が改めて謝っている。
私も話したいと思った。
でも話せそうにない。
私は携帯を取り出すと、メールを打った。
『私は恋人だと信じることができなかった。好きって言われたこともなかった。電話かけてくれたこともなかった。だから私が電話をしなくなったら、どうなるんだろうと思った。そしたら終わってしまったと、ずっとそう思っていた』
送信。
良かった。彼の携帯が三年前と同じ着信音で鳴っている。
「今のメール、俺に?」
私は頷いた。
『好きだったよ。たぶん、最初に遇った時から。逢わなかった、この三年の間もずっと、愛してる』
返ってきた言葉に、今度こそ涙が溢れた。
『じゃ、ホテル行こって誘った時、どうして逃げたの?』
送信。
『当たり前だろ。あの時、実の梨はまだ未成年だったんだぞ。純文学の編集者が、未成年とやっちゃ不味いでしょ』
あは、は。
私って莫迦みたい。
「勝手に、相手にされてないと思い込んじゃった」
彼は微かに目元に照れを見せる。
「今なら喜んで連れて行くけど」
気付けば無駄な三年ではなかったと思える。
離れても結局忘れられなくて、好きって気持ちに無理矢理ふたをして、見ない振りしてた。
なのに携帯変えても、着信音も同じまま登録して、かかってこない電話やメールを待っていた。
「それは俺も同じ。友達に捨てられたって言われても、実の梨のこと悪く思いたくなかった」
渉も携帯変わってるもんね、同じことしてくれてたんだよね。
「今度はナンパなんて中途半端なこと言わないから。俺、三年の間に年くっちゃったからさ、実の梨が決心ついたら結婚してくれ」
そうだね。
私ももう未成年じゃないし。
うん。今度こそ、お嫁さんにしてね。
「ホテルのベッドに押し倒されて、言う科白じゃないけどな」
そう言いながら、涙を拭う。
彼が眼鏡を外してサイドテーブルに置くと、戻ってきたその手が頬を挟み込む。
ゆっくりと近づいてくる彼は、やっぱり大好きな瞳をしてる。
そして唇に触れた瞬間。
最初にキスした時に見た、月夜の下の綺麗な椛を思い出した――。
【了】
著作:紫草
世間話を続ける彼の言葉を遮って、私は声をかけた。
暫く沈黙が訪れた。
やっぱり何も言わなければよかった。
そうすれば懐かしい楽しい時間で終わったかもしれなかったのに。
「ごめんなさい。ご馳走様でした」
すると立ち上がった私の手を、彼が掴んだ。
彼は何も言わないままで、私を再び座らせた。
「実の梨が後悔すると思った…」
彼の言葉は唐突に始まった。それは本当の彼の言葉だった。
「若い子は長続きしない。そう聞いた。だから待ってた。二十歳になるのを。実の梨からの電話がなくなって、やっぱり若い子の時間は早いと思った」
嘘…
「休みも定期的には取れない。給料も安い。良いことは殆んどないと言っても良かった。その上、十歳も上のオジサンと付き合うなんて無理なんだと思った」
そこまで話して、彼はアイスコーヒーを飲み干した。
「何度も電話をしようと思って、やっぱりできなかった。悪かった」
そこで彼は頭を下げた。
「止めて下さい」
「いや。これで本当に忘れられる。結構引きずってたから。さっきも思いっきり勇気出して声かけたくらいだから」
泣くもんか、という気持ちの時は、どうして涙は溢れるんだろう。
バッグからハンカチを出すと、彼が改めて謝っている。
私も話したいと思った。
でも話せそうにない。
私は携帯を取り出すと、メールを打った。
『私は恋人だと信じることができなかった。好きって言われたこともなかった。電話かけてくれたこともなかった。だから私が電話をしなくなったら、どうなるんだろうと思った。そしたら終わってしまったと、ずっとそう思っていた』
送信。
良かった。彼の携帯が三年前と同じ着信音で鳴っている。
「今のメール、俺に?」
私は頷いた。
『好きだったよ。たぶん、最初に遇った時から。逢わなかった、この三年の間もずっと、愛してる』
返ってきた言葉に、今度こそ涙が溢れた。
『じゃ、ホテル行こって誘った時、どうして逃げたの?』
送信。
『当たり前だろ。あの時、実の梨はまだ未成年だったんだぞ。純文学の編集者が、未成年とやっちゃ不味いでしょ』
あは、は。
私って莫迦みたい。
「勝手に、相手にされてないと思い込んじゃった」
彼は微かに目元に照れを見せる。
「今なら喜んで連れて行くけど」
気付けば無駄な三年ではなかったと思える。
離れても結局忘れられなくて、好きって気持ちに無理矢理ふたをして、見ない振りしてた。
なのに携帯変えても、着信音も同じまま登録して、かかってこない電話やメールを待っていた。
「それは俺も同じ。友達に捨てられたって言われても、実の梨のこと悪く思いたくなかった」
渉も携帯変わってるもんね、同じことしてくれてたんだよね。
「今度はナンパなんて中途半端なこと言わないから。俺、三年の間に年くっちゃったからさ、実の梨が決心ついたら結婚してくれ」
そうだね。
私ももう未成年じゃないし。
うん。今度こそ、お嫁さんにしてね。
「ホテルのベッドに押し倒されて、言う科白じゃないけどな」
そう言いながら、涙を拭う。
彼が眼鏡を外してサイドテーブルに置くと、戻ってきたその手が頬を挟み込む。
ゆっくりと近づいてくる彼は、やっぱり大好きな瞳をしてる。
そして唇に触れた瞬間。
最初にキスした時に見た、月夜の下の綺麗な椛を思い出した――。
【了】
著作:紫草