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act2
結局、夕方まで講義を受けた後、羽仁のバイト先で待ち合わせをすることになった。
三階の外の風景が見える席に漣は座っている。後ろ姿がかっこいいって言うかな~ と思いつつ羽仁は近づいていった。何て声をかけよう。お待たせ。お待たせしました。お待たせ致しました。う~ん、難しい。
「終わったの」
漣のすぐ後ろで立ち尽くしてしまったからか、気付かれてしまった。
「あ。うん」
何て間の抜けた返事だ。
「座れば」
そう言われて漸く、そうだったと。今はバイト時間じゃなかった。
「羽仁さんといると何か飽きなくていいな」
あまり褒められているようには思えないけれど、とりあえずありがとうと言っておこう。
「それでクリスマスなんだけど、マスターに聞いたらシフト入ってるんだって?」
え? ええええ~ そうだっけ?
「何の予定もないから皆が来られない分、やるって。その代わり特別時給にしてもらうらしいじゃん」
あ。
「そうだ。私、家族以外とクリスマスを過ごしたことがなくて、他の人はみんなデートで休みたいって言ってたから」
まさか自分自身がイヴにもクリスマスにも予定を入れられないってことに、今の今まで気付いていなかったなんて。
「ごめんなさい」
別にいいんじゃない? と漣は言う。本当にそうだろうか。漣はたぶん、いや絶対にイケメンだ。クリスマスに予定がないと知ったら、きっと他の女の人から誘われるに違いない。
「マスターに交渉してきます」
立ち上がろうとしたら腕を掴まれた。どっき~ん。あ、あのあの、今触りましたね。というか掴まってます。
「バイト終わってからでもいいじゃん。俺はここで待ってるから」
ギターの生演奏やるんでしょ、とお知らせボードを指した。うん。イヴとクリスマスは三階コーナーの一部をステージにしてライヴをしてもらう。
「俺、好きだよ。ここのジャズやライヴ」
改めて席に着くと漣の手が離れていく。あ~ 勿体ない。
「去年のイヴもここにいたし、終わったらデートしよう」
「でも閉店までいるから遅くなっちゃう」
「お母さんに遅くなるって言ってきてね」
終電で送るくらいで、と加えられウィンクされた。これには弱い。すると何ですか。羽仁はイヴもクリスマスもバイトをしながら漣の姿をずっと見てられてお金ももらえて、その後デートまでできるってことですかい。神様っているんだね。何て言い方をしたら、俺ってそんなにいい人じゃないよと返された。
「ん?」
「あったり前じゃん。好きな女の子と最初に過ごすイヴに、いい人でいたら莫迦でしょ」
それはいったいどういう意味で? と聞き返すほど子供ではない。しかし心臓が今にも破裂しそうな勢いで鼓動を始め、たぶん真っ赤な顔をしてる。恥ずかしくなって下を向いていると、耳元で囁かれた。
「人前でキスしたことある?」
吃驚しすぎて顔をあげたら、目の前には漣。
ちゅ、と小さく音を立てた可愛いキスは誰にも見られなかっただろうか。ファーストキス、高校の時にしなきゃよかった。本気でそう思った――。
そういえば、ボーリングの時の写真って。それに友菜のあの時ってどの時の人なのかも聞きそびれたままだ。
でも殆んど何も分かっていない自分が聞いても通じないだろうな。
そんなことを考えながらも、その日は羽仁の家の近くにあるファミレスで最後。送ると言われても歩いて数分。ここでいいですよ、と言うとあっさりと帰っていった。
やっぱり家族とは顔会わせたら困るよね。
そしてやってきたクリスマスイヴ。
しかし考えが甘かった。忙しいの何のって。いつもはノートPCを持ち込んで勉強や仕事をしている人が大勢いる二階席まで、ほぼ待ち合わせの場所と化し次々に人が入れ替わる。当然一階カウンターも大忙しで羽仁は漣を見るどころか、殆んど三階に上がることなく時間を過ごすことになった。そして――。
「疲れた」
思わず、漣の顔を見た瞬間に出てしまった言葉だった。
「俺の部屋、来る?」
何処かに出かけるというよりも、その方がよさそうだよねと。
「でも、きっと、たぶん、あの」
歯切れの悪い言葉の後は、決まっているのに言えない。もう五時間以上待っていてくれたのに。でも明日もバイトなんです。
「コンビニでお泊まりセット買って帰って、そのまま寝ていいよ」
!
漣は超能力者だろうか、と一瞬思った。どうして羽仁の言いたいこと分かったんだろう。
「でも悪いし。それに、何も食べてないからお腹すいてるでしょ」
それこそコンビニで買って帰ればいい。それに自分の家に帰るより俺の部屋の方が近いよという誘惑に…… 負けた。時刻は午後十一時。これから一緒にご飯食べに行ったら、帰る頃には午前様だ。
電話をする勇気はないので、母にメールをする。
『今夜は帰らないから』
そして電源を落とす。もう知らんぷり。
「本当に寝ますよ。明日は午前十時からシフト入ってますからね」
それだけ確認すると、漣は了解と笑ってくれた。
何てクリスマスだ。イベントなんてくそくらえだ、などと思って漣の部屋への道を歩き出す。部屋までは歩いて十五分ほどだという。住宅街を抜けた方が近いというので大通りではなくそちらに向かった。
あれ。
キラキラとした色とりどりのイルミネーションが見える。
「この辺りの人って自宅を飾るんだよ。もう少し先の家には二階の窓まで小人が梯子を登る人形がかけてある」
「綺麗」
二階まで扇型につけてあるライトがまるでそのまま天に昇っていくような感じに見える。いろいろな色が次々に点灯し、音楽こそ流れていないけれど多くの家の飾りは、まるで長く続くイルミネーションの川のよう。
手を繋いで歩く道は、どんなイベントよりも静かで独占しているようで、何より漣との距離が近い。
「コンビニは住宅抜ける手前だから、そこに寄ろう」
そう言われて顔を見る。みんな自分の家の中でクリスマスを楽しんでいる。だから誰にも見られない。そんな思いが羽仁を大胆にする。
手袋をしていた手から、手袋を外す。そして漣と手を繋ぎ直す。冷たいかもと思った彼の手はすごく暖かい。
「どうもありがとう」
いつの間にか小人が梯子を登るという家の前に来ていた。本当だ。白雪姫に出てくるキャラクター達が梯子を登ってる。思わず足が止まっていた。
可愛いでしょ、と言って彼が羽仁を見る。その顔を見つめながら羽仁は背伸びをして近づいてゆく。すると少しだけ足りない身長差を埋めるように漣が近づいてきてくれた。
「プレゼント買ってる暇がなくて」
そう言いながらするキスは、お互い少し笑ってしまったのだった――。
【了】 著 作:紫 草