♪カラ~ン
耳に心地好い鈴の音が、いつものように店内に響きます。
『いらっしゃいませ。Penguin's Cafeへようこそ』
これまた、いつものように振り返るマスター。そこには見慣れた顔が在りました。
小さな手を引くお母さんと、お母さんに連れられて入ってくる男の子。まだまだ、あどけない幼稚園にも通っていない小さな子です。
そして二人は、やはりいつものように一番奥の小さな席へと向かいます。
マスターは二人の姿を追い越して、いつもは座らない窓側の明るい席を案内しました。
「でも…」
お母さんは躊躇しました。何故なら、その席はとても人気のある席だということを彼女は知っているから。
「今日は雨降りで、お客様も少ないようです。どうぞ、こちらに」
マスターの優しい声に子供の方が先にソファに座ろうとし、よじ登っていきます。そこは、少しだけふかふかしたソファ。子供の体ではかなり沈んでしまいますが、いつも座れない席だからこそ嬉しいのでしょう。ポンポンと飛ぶようにして遊んでいます。
慌てたお母さんが急いで隣の席に座り、そして男の子をたしなめていました。
その日は朝から激しい雨で、常連さんの多いこのPenguin's Cafeもいつもの賑わいはない静かな店内です。
お母さんからの注文はいつも同じ。あたたかいミルクを1つ。
あえて理由を聞くことはしませんでしたが、いつだったか。彼女の方から、あまりお金に余裕がないのだと教えてくれました。
だからマスターは、少し多めの一杯分のホットミルクをデミタス珈琲用の小さなカップに分けて出します。
少しだけ温めにしたミルクは、小さな彼の口にも合うようで少しずつ少しずつ美味しそうに飲んでくれます。飲み干してしまうと、結局はお母さんの分のミルクにも手を伸ばし、お母さんも嬉しそうに自分のカップと取り替えてしまうのです。
その様子も微笑ましくて、マスターは必ずミルクを二つに分けるのでした。
その日は朝からの雨で、マスターは以前から考えていたスープの試作品を作っていました。
勿論、お店用とはいえお客様に出すものではありません。かといって、折角作ったものを捨てるのも勿体無い。いつもなら常連さんが食べてくれる試作品も今日は誰も訪れそうにありません。マスターはお昼過ぎに自宅へ届けた後の、残しておいたスープストックを火にかけます。
「どうぞ。雨の日のお客様へプレゼントです」
差し出されたお皿に、親子は目を瞠ります。
シェル型のパスタが二つだけ浮かぶ、スープの入ったお皿。あがる湯気は二人の周りに、このスープが美味しいことを教えてくれます。
「いただけません。いつもよくしてもらっているのに、これ以上してもらったら来られなくなってしまいます」
そう言った母親の言葉に、スプーンを取ろうとしていた男の子の手が止まりました。
「これは試作品です。お金を戴けるものではありませんし、正直に言いますと家族に渡した残り物なんです」
そう言ってマスターは、男の子の手に改めてスプーンを握らせました。
「悪いけど、残すの勿体無いから手伝ってもらえるかな」
男の子は、マスターの顔を見てにっこりと笑った。
「のこしちゃ、いけないんだよ。ね、おかあちゃん」
彼のその言葉に、お母さんも漸く頷いて、ご馳走になりましょうと笑いかけた。
今日は雨降り。
特別なことは何もないけれど、このPenguin's Cafeでは不思議なことも起こります。
温かなおもてなしはマスターの得意とするところ。
しかし、いつもあるとは限りません。
いつまたこんな温かなスープに出合えるかは、気まぐれなお天気に委ねるしかないでしょう――。
『ご馳走様でした』
いつもの言葉を聞きながら、マスターは二人の帰りを見送ります。
「またのお越しを心より、お待ち申し上げております」
そのマスターの言葉を受け、男の子が答えてくれました。
「はい。またおきゅうりょうびになったら、おいしいミルクを、のみにきます」
小さくお辞儀をしながらの言葉は心に響きます。そしてその顔は、数ヶ月に一度しか来られない悲しいものではなく、屈託ない心からの優しい笑顔に見えました。
【了】
著作:紫草
-*Penguin`s Cafe №1~14は、HP[孤悲物語り]内にUPしています。
こちらからどうぞ。
耳に心地好い鈴の音が、いつものように店内に響きます。
『いらっしゃいませ。Penguin's Cafeへようこそ』
これまた、いつものように振り返るマスター。そこには見慣れた顔が在りました。
小さな手を引くお母さんと、お母さんに連れられて入ってくる男の子。まだまだ、あどけない幼稚園にも通っていない小さな子です。
そして二人は、やはりいつものように一番奥の小さな席へと向かいます。
マスターは二人の姿を追い越して、いつもは座らない窓側の明るい席を案内しました。
「でも…」
お母さんは躊躇しました。何故なら、その席はとても人気のある席だということを彼女は知っているから。
「今日は雨降りで、お客様も少ないようです。どうぞ、こちらに」
マスターの優しい声に子供の方が先にソファに座ろうとし、よじ登っていきます。そこは、少しだけふかふかしたソファ。子供の体ではかなり沈んでしまいますが、いつも座れない席だからこそ嬉しいのでしょう。ポンポンと飛ぶようにして遊んでいます。
慌てたお母さんが急いで隣の席に座り、そして男の子をたしなめていました。
その日は朝から激しい雨で、常連さんの多いこのPenguin's Cafeもいつもの賑わいはない静かな店内です。
お母さんからの注文はいつも同じ。あたたかいミルクを1つ。
あえて理由を聞くことはしませんでしたが、いつだったか。彼女の方から、あまりお金に余裕がないのだと教えてくれました。
だからマスターは、少し多めの一杯分のホットミルクをデミタス珈琲用の小さなカップに分けて出します。
少しだけ温めにしたミルクは、小さな彼の口にも合うようで少しずつ少しずつ美味しそうに飲んでくれます。飲み干してしまうと、結局はお母さんの分のミルクにも手を伸ばし、お母さんも嬉しそうに自分のカップと取り替えてしまうのです。
その様子も微笑ましくて、マスターは必ずミルクを二つに分けるのでした。
その日は朝からの雨で、マスターは以前から考えていたスープの試作品を作っていました。
勿論、お店用とはいえお客様に出すものではありません。かといって、折角作ったものを捨てるのも勿体無い。いつもなら常連さんが食べてくれる試作品も今日は誰も訪れそうにありません。マスターはお昼過ぎに自宅へ届けた後の、残しておいたスープストックを火にかけます。
「どうぞ。雨の日のお客様へプレゼントです」
差し出されたお皿に、親子は目を瞠ります。
シェル型のパスタが二つだけ浮かぶ、スープの入ったお皿。あがる湯気は二人の周りに、このスープが美味しいことを教えてくれます。
「いただけません。いつもよくしてもらっているのに、これ以上してもらったら来られなくなってしまいます」
そう言った母親の言葉に、スプーンを取ろうとしていた男の子の手が止まりました。
「これは試作品です。お金を戴けるものではありませんし、正直に言いますと家族に渡した残り物なんです」
そう言ってマスターは、男の子の手に改めてスプーンを握らせました。
「悪いけど、残すの勿体無いから手伝ってもらえるかな」
男の子は、マスターの顔を見てにっこりと笑った。
「のこしちゃ、いけないんだよ。ね、おかあちゃん」
彼のその言葉に、お母さんも漸く頷いて、ご馳走になりましょうと笑いかけた。
今日は雨降り。
特別なことは何もないけれど、このPenguin's Cafeでは不思議なことも起こります。
温かなおもてなしはマスターの得意とするところ。
しかし、いつもあるとは限りません。
いつまたこんな温かなスープに出合えるかは、気まぐれなお天気に委ねるしかないでしょう――。
『ご馳走様でした』
いつもの言葉を聞きながら、マスターは二人の帰りを見送ります。
「またのお越しを心より、お待ち申し上げております」
そのマスターの言葉を受け、男の子が答えてくれました。
「はい。またおきゅうりょうびになったら、おいしいミルクを、のみにきます」
小さくお辞儀をしながらの言葉は心に響きます。そしてその顔は、数ヶ月に一度しか来られない悲しいものではなく、屈託ない心からの優しい笑顔に見えました。
【了】
著作:紫草
-*Penguin`s Cafe №1~14は、HP[孤悲物語り]内にUPしています。
こちらからどうぞ。
心温まるエピソード
明日が待ち遠しくなるような
気がします
心温まるスープのような掌編でした
このペンギンズカフェのシリーズは、素材屋さんの手がけた素材がきっかけで生まれたものです。
様々なお客様を迎える喫茶店。
でも、そこにはどんなルールもありません。お客様の望まれるメニューをお出しする。私の書くお店は、そんなコンセプトのものです。
今回のテーマは、温かなスープですね。
そう言って戴けて本当に有難いです。
表には決して出ることのない、心情を読み取って下さる方がいると嬉しくなります。
ニコタのサークルでも、テーマを決めて書くことを始めるようですが、テーマがある方が比較的書き易いと私は思います。
ありがとうございました。