注意・この物語はフィクションです。登場する人物・事柄は全て架空のものです。
閑話休題 『手記 八月一五日』
終戦記念日っていうから、「おめでとう」って言う日なんでしょ。
屈託なく、長男の一人息子である孫がそんな言葉を発した。思わず息が止まるかと思った。
一三日から一五日、毎年決まっているお盆という行事に孫が参加したことはない。今年、あの子は小学四年になった。それとなく一緒に墓参しようかと誘ってみたが、嫁の実家に「お泊まりに行くからダメ」だと即答された。
どうして、こんなことを平気で言う孫に育ってしまったのか。
娘と同居するという選択もあった。しかし息子が面倒を見ると言ってくれたのだ。当初、その話をすると姉は孝行息子だと褒めてくれたものだった。それが少しずつ狂っていく。
嫁の性格が人を羨むばかりで、感謝することを知らないからだろうか。同居して十年、私は嫁にありがとうという言葉を言われたことがない。当然、孫はお小遣いが欲しい時だけ近寄ってくるような子に育った。
日本の八月はね、と話し始めると、「また、その話?」と逃げていく孫。また、と言われて最後まで聞いたことなど一度もないだろうに。
八月一五日。
この日は、兄が自決をした日なのだ。
両親はすでに亡く、たまたま疎開先に私の様子を見に帰ってきていたお蔭で被爆することなく生き残った兄は、仲間に申し訳ないと玉音放送を聞いた日の夜、自ら寿命を終えた。
私は姉と一緒に弔いを続けてきたが、ここ数年は行けずにいる。
息子は優しい。頼めば姉のいるところまで、また兄の墓地まで連れていってくれるだろう。でも何かが物足りないと思う。それは私の我が儘なのだろうか。
もっと小さなうちから教えておけばよかった。
口うるさいおばあちゃんと嫌われたくなくて、噤んでしまったことがどれほど愚かだったか。今更ながらに気付いたものの、すでに時遅しだろう。
その罰は娘の逆縁の不幸まで見届けることになり、私にはもう何もなくなった。
この手記は、たぶん見つけられることはないだろう。私のものなど中身も確認することなく捨てられるだろうから。だからこそ本音を遺せる。
人は大事なものを誰かから受け取りながら、また次の世代に渡しながら生きてゆくものだ。
姉と兄がいて、末っ子で甘え放題に育った私はそれを怠ってしまった。同居する家族があるにもかかわらず孤独な暮らしをしている。
でも万が一、私の死んだ後にこの手記を見つけたのが孫であったなら。
そしてもしもここまで読んでくれていたら、この手記は焼いて下さい。生きた証を何も遺せなかった両親や兄のように、私も何も要らないから。
左様なら。そして有難う。
【了】 著 作:紫 草