第三章 その弐
母の、はいという声を確認して二人で上がる。
時刻は、もう十時を回っている。いつもなら食事をしてるか、遅い時は食事の支度をしている。でも今日は違う。
キッチンから繋がるリビングのソファに母はいた。L字型のソファの定位置。テレビはニュースが流れている。
さっきの声が聞こえたんだから、食卓にいると思ったけれど違ったのかな。どの道、静かということでは静かだから、こちらでも聞こえるか。
京音(けいと)は奥の自室に入ったようだ。バッグを置くこともできずにいる清夜(せいや)は、正直情けない十五歳に育っていた。
「あの、おばさん」
おどおどするコイツが不甲斐なく見える。
引き取られ育ててもらった。そのことは清夜と同じだ。でも今ここにある差は、たんに年の差以上のものがある。
京音は大人をよく見ろと言った。こんなところで思い知らされるなんて……
「お父さんが帰ってきたら改めて挨拶する。その前にお母さんに言いたいことを言ってみれば」
清夜は立ったまま、こちらを見る。
意地悪だなとは思うけれど、月斗(つきと)もそのまま京音がいるであろう部屋に向かう。
「あ、待ってよ」
京音と同じように少しだけ振り返り、でも足は止めなかった。
キッチン側からの扉の奥に部屋がある。入ると机に向かう京音がいた。
扉一枚、大きな声を出すと聞こえてしまうので、つい小さな声になってしまう。
「ごめん」
「どうして月斗が謝るんだよ」
そう笑ってくれる京音を本当に有難いと思う。
「とりあえず、こっちに着いたから。これから少しずつ考える」
言いながら、何を考えたらいいのかはまだ分かっていないけれど、と思っていると京音の方が一歩先をいっていることが分かる。
「そうだな。こっちで受験するならあまり余裕はないけど、とりあえずあっちの家族と離れることが一番だろ」
あまり詳しい話をしたことはなかった。でも京音はちゃんと大人たちを見ていたということなんだろう。最近になるまで月斗が気付きもしなかったことは、彼のなかではすでに結論の出ていることだったのかもしれない。
挨拶もろくにできない清夜が、こちらで暮らすというのは思っていた以上に大変なことかもしれないと初めて感じた月斗だった。
京音はPCに何かを打ち込んでいる。月斗の机もあるが、あまりこちらにいることがないため、京音のモニターに向かう顔を久しぶりに見ている気がした。
いつの間にか、大人の顔をしていると痛感する。
兄弟という言葉を意識することは最近では滅多にない。ただ彼の後ろ姿を見ていたいと思って大学に入学した時、浪人を経験していない自分はまだ本当に子供だった。あの時、清夜のことを少しでも思い出していたか。自分の気持ちだけが大切で、彼奴がどんな風に育っているかなんて、これまで考えたこと全くなかった。
「こっちの高校、大丈夫かな」
月斗はこれまで清夜の偏差値とか聞いたことがなかった。そういう意味でも、兄弟とは名ばかりの間柄になってしまっていたようだ。
「勉強嫌いって言ってたな。もしかしたら都立でも偏差値45くらいの高校になっちゃうかもな」
京音は改めてPCに向かい、検索ワードを打ち込んでいる。
「月斗。本当に間に合わないかもしれない。あとで清夜の学校のスケジュール聞いてみよう」
そして間に合わないとなれば、あっちの高校を受けるしかないのだ。
「高校浪人はまずいよね」
「たぶんな。でも、こっちの二次募集だと通学できるかどうかが問題になるからさ」
二人の時にはあり得なかった問題が、今になってどっと押し寄せてきた――。
母の、はいという声を確認して二人で上がる。
時刻は、もう十時を回っている。いつもなら食事をしてるか、遅い時は食事の支度をしている。でも今日は違う。
キッチンから繋がるリビングのソファに母はいた。L字型のソファの定位置。テレビはニュースが流れている。
さっきの声が聞こえたんだから、食卓にいると思ったけれど違ったのかな。どの道、静かということでは静かだから、こちらでも聞こえるか。
京音(けいと)は奥の自室に入ったようだ。バッグを置くこともできずにいる清夜(せいや)は、正直情けない十五歳に育っていた。
「あの、おばさん」
おどおどするコイツが不甲斐なく見える。
引き取られ育ててもらった。そのことは清夜と同じだ。でも今ここにある差は、たんに年の差以上のものがある。
京音は大人をよく見ろと言った。こんなところで思い知らされるなんて……
「お父さんが帰ってきたら改めて挨拶する。その前にお母さんに言いたいことを言ってみれば」
清夜は立ったまま、こちらを見る。
意地悪だなとは思うけれど、月斗(つきと)もそのまま京音がいるであろう部屋に向かう。
「あ、待ってよ」
京音と同じように少しだけ振り返り、でも足は止めなかった。
キッチン側からの扉の奥に部屋がある。入ると机に向かう京音がいた。
扉一枚、大きな声を出すと聞こえてしまうので、つい小さな声になってしまう。
「ごめん」
「どうして月斗が謝るんだよ」
そう笑ってくれる京音を本当に有難いと思う。
「とりあえず、こっちに着いたから。これから少しずつ考える」
言いながら、何を考えたらいいのかはまだ分かっていないけれど、と思っていると京音の方が一歩先をいっていることが分かる。
「そうだな。こっちで受験するならあまり余裕はないけど、とりあえずあっちの家族と離れることが一番だろ」
あまり詳しい話をしたことはなかった。でも京音はちゃんと大人たちを見ていたということなんだろう。最近になるまで月斗が気付きもしなかったことは、彼のなかではすでに結論の出ていることだったのかもしれない。
挨拶もろくにできない清夜が、こちらで暮らすというのは思っていた以上に大変なことかもしれないと初めて感じた月斗だった。
京音はPCに何かを打ち込んでいる。月斗の机もあるが、あまりこちらにいることがないため、京音のモニターに向かう顔を久しぶりに見ている気がした。
いつの間にか、大人の顔をしていると痛感する。
兄弟という言葉を意識することは最近では滅多にない。ただ彼の後ろ姿を見ていたいと思って大学に入学した時、浪人を経験していない自分はまだ本当に子供だった。あの時、清夜のことを少しでも思い出していたか。自分の気持ちだけが大切で、彼奴がどんな風に育っているかなんて、これまで考えたこと全くなかった。
「こっちの高校、大丈夫かな」
月斗はこれまで清夜の偏差値とか聞いたことがなかった。そういう意味でも、兄弟とは名ばかりの間柄になってしまっていたようだ。
「勉強嫌いって言ってたな。もしかしたら都立でも偏差値45くらいの高校になっちゃうかもな」
京音は改めてPCに向かい、検索ワードを打ち込んでいる。
「月斗。本当に間に合わないかもしれない。あとで清夜の学校のスケジュール聞いてみよう」
そして間に合わないとなれば、あっちの高校を受けるしかないのだ。
「高校浪人はまずいよね」
「たぶんな。でも、こっちの二次募集だと通学できるかどうかが問題になるからさ」
二人の時にはあり得なかった問題が、今になってどっと押し寄せてきた――。
To be continued. 著作:紫 草