下巻は外国の指揮官、指導者が特集されている。名前は知っていても、有名なエピソードくらいしか知識としては持っていない指揮官らがほとんどだ。そのため下巻を読むのは楽しみだった。
いつものことで驚きはしないが、自分の無知さを知る読書となった。日本の戦後政治・軍事を考える上で素通りできないはずのマッカーサーについてさえ、基礎的なデータを抑えていなかった。学校の教科書や、日本の戦史、ドキュメンタリー番組で流布された通説をしか知らなかった。例えば開戦当初、フィリピンに居たマッカーサーは、米陸軍の元帥ではなく、フィリピン軍元帥だったのを、この読書で初めて知った。恥ずかしい限りだ。
という気づきは枚挙にいとまがないが、純粋に、本書は読んでいてためになり、そして面白かった。日本が戦った相手国の指揮官を知ることで、日本の指揮官の問題点が透かし見えてくる。著者の狙いでもあるだろう。一例としてミッドウェー海戦の米機動部隊指揮官・スプルーアンスの項では、次のようにまとめている。
戦闘の決は転瞬の間にあり、というが、米急降下爆撃隊が「赤城」の頭上に落下してきたとき、一番機は離陸寸前であった。
あと5分間——の恨みがうまれるゆえんである。が、その「5分間」の差は、そのまま、目的と使命を把握して動かぬスピルーアンス少将と、決断に躊躇と損害配慮を加えすぎた南雲中将という、二人の指揮官の差にひとしく、当然に生みだされたものというべきであろう。
また、最後の節はアドルフ・ヒトラーが選ばれているが、その直前はアイゼンハワーである。軍人として対照的な両名を持ってくる著者の工夫と気概に感心した。
