個人としては、別に驚くほどの人物でもなかったけれど、王政維新という気運に乗じて来たから~」
と『氷川清話』のなかで勝海舟が語って濕疹專科いる。
勝は、幕末から明治維新に至る時代で、維新を造り上げたと言える数多くの人物と出合い、
汗を流し血を流したそれらの人物たちを、その本の中で語ったり評価したりしている。
維新の中で、これはスゴいと思った人物は、残念なことにいなかったと言う。
伝説となっている人物でも、敢えて言うなら普通の域を出ないという。
まさに、王政維新の気運が、人を創ったというのが彼の言わんとするところのようだ。
『氷川清話』に強いて挙げるとすれば、二人の公屋人物。
西郷の胆力と横井小楠の眼力だと語っている。(余談だが、残念ながら坂本龍馬ではない)
気運に乗り、時代を背負った人物が、いかにも大きく見えると表現している。
例を遠い歴史を探るまでもない。
先頃吹き荒れた『なでしこジャパン旋風』も一つの気運の中に生まれたとも言える。
澤選手のがんばりも挙げなければならないが、
選手一人一人の力量からいえば、まだまだ欧米選手の方が圧倒的に優れていただろう。
彼らの力はそうだが、
時代や気運の力の大きさを まざまざ見せられたと言った方がいい。
逆に表現すれば、
気運から外れた人物ほど小さく見えるものはない。
これも、例を遠い歴史を探るまでもない。
まさに身近願景村にいる。
すなわち、我が国の宰相と呼ばれている人物。
いくら力説しようが、この人、「気運」に乗っていないのは明らか。
このように、「気運」から疎外された人物は、
どう贔屓(ひいき)して見ようが「(総理の椅子に)しがみついている」としか見えない。
『氷川清話』を読み進めてみると、
今の時代のことかと思えるような「出処進退」について語っている箇所がある。
「出処進退の標準は『誠』をもって応ずるべきである」という。
彼に、その『誠』、ありやなしや。
どうも、今の彼には、「気運」もなければ「誠」もないように見える。
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