今までの私の人生って
何だったのだろうか。
① 10代の私
ひたすら、ピアノ漬け。
鬼父の命令で音大ピアノ科を目指すためだけに生きてた私。
なんでやねん。私の人生はわたしのものじゃないのか。
ピアノに縛られる日々。
ベートーベン、ショパン、バッハ。
毎日、怒涛のピアノが流れる私の家は
近所の子供たちからは「ピアノの家」と呼ばれていた。
父は画家で、バイオリンを弾く人だった。
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番「春」の伴奏をよく弾かされた。
いまは、懐かしいな、と思える。
今住んでる近所では、ピアノが聞こえる家とか、無いな。
次。
② 20代の私
父が亡くなり私はクラシックピアノから漸く解放された。
テキトーな短大を出てテキトーに就職して、私はロックバンドに入った。
高校の隣の校舎から流れてくる、ディープパープルやレッドツェッペリン。
FMラジオから流れる洋楽たち。
クラシック以外の音楽はわたしにはあこがれの世界だった。
ロックバンドを始めて、ライブで対バンのボーカルだった人と出会って結婚した。
息子誕生とダンナと一緒に飲食店開業。
レゲエとの出会い。
そして弟の脳死。
弟の死はわたしのこころを激しく弱らせた。
弟は10代の頃、悪性リンパ肉腫で死にかけたけど
そのこととは別で
私は子供のころから弟の寿命が短いことを何となく知っていた。
それでも、弟が死んだことと「脳死」のことは
かなり、私に重くのしかかった。
③ 30代の私
お店は成功したけど、結婚生活は破たんしてしまい、離婚。
弟が死んで実家の母もかなり弱っていた。
数年間、実家で息子と母と3人で暮らす。
インド雑貨店で働き、
生涯の親友となるトワちゃんと出会う。
彼女は隣のベトナム雑貨店店長だった。
そして
音楽がきっかけで私の生活にパソコンが登場!
知人の知人から「DTM制作のバイトしない?」と持ち掛けられ
PCを購入したけど、そのバイトはしなかった。
このころから、携帯でEMAILができるようになる。
インターネット時代が始まる。
そして2番目のダンナと知り合い、結婚。
彼は東京の人だった。
彼は全く音楽とは無関係だった。
そんな彼となぜ結婚したか。
かなり妙な話だが、
彼に始めて会ったとき、
彼に対して、私は前世で何かやり残したことがあるような気がしたのだ。
結婚を機に東京での生活が開始した。
大阪を離れて
東京で暮らすことになるなんて思ってもいなかった。
音楽は息をこらしていた。
④ 40代の私
離婚した。
私は彼に対しては、できることはやり遂げた。
私は役割を終えたのだ。
もう十分だった。
疲れ切った私は東京で息子と二人でアパートを借りて暮らし始めて
そして久々にバンドに入った。
そのバンドのリーダーに紹介されて
出会ったのが今の主人だ。
彼は昔、バンドをやってた人だ。
彼は
音楽の話ができる人だ。
マグリットやダリ、絵の話も出来る人だ。
彼は仕事で世界中、飛び回っていた人で
わたしの知らない世界を知ってる。
わたしの行ったことのない国や場所を知っている。
もちろん、意見や考え方が合わない部分もある。
喧嘩もする。
今の主人と結婚して
息子は大阪に行き、
そして
長年の疲れが爆発して私はとうとう壊れた。
コップの水はこぼれるどころか、暴走した。
壊れた原因は
ストレスの原因となる私自身の「自分を縛って苦しめる、生き方、考え方」だった。
なんとか復旧するのに、一年かかった。
気力がなくなったわたしに
元気を与えてくれたのも
音楽。
家族も、ダンナもいつも私と一緒に居てくれる。
わたしは
壊れたことをきっかけに「考え方の根本を変える」ことにした。
結果、
酷い時は入院までした喘息発作はほとんど、出なくなった。
40代の私、よく頑張りました。
音楽は、敵ではなかった。
わたしにいつも寄り添ってくれていた。
ここからが現在の私。
➄ 50代の私
息子は自分の人生を歩き始めた。
私も自分の人生を歩きだした。
いろんなわだかまりを解放して
じぶんらしく生きる。
音楽は
もう演奏はしてないけど
音楽は私の暮らしでいつも一緒に生きている。
家にいるときはずっと
音楽が流れている。
わたしと主人の人生最大の趣味はドライブ。
半年で3万キロ走る。
ドライブの時はずっとカーオーディオから音楽が流れている。
音楽、ありがとう。
NO MUSIC NO LIFE
音楽はね、死ぬと聴けなくなるんですよ。
今のうちだぜ。
(星野 源)