なあんおばはんの日常

日々思うことを連ねる自分の記録

週末の予定

2017-02-26 19:49:33 | 次への準備とWワーク
ここのところ、週末の予定ががっつり。


あまりゆっくり出来ない。

こうなると、一週間の切り替えがうまくできない。

休みだけど、家にいるけど、やってしまわないといけない用事があって、追われている。

用事というのは、3月一週目の週末を期限に

「ポストカードサイズのイラスト」を17枚書くこと。

先週末、17枚下絵を描いたので

今週の土日で、ほぼ色を塗って仕上げました。手書きです。


ソフトを使えばもっと早くできるのだけど






これは没の絵。



色を塗る前はこんな風ではなかったのに。。。。


とりあえず、なんとか17枚、書きました。



そして土日は

あっという間に終わっちゃったのさ。



明日から新しい一週間が始まります。



と。





ソフトで書いたらどうかな?と思ったけど、マウスで書くと、余計に変だ。。。


かといってペンタブ出すのも面倒だ。




自分を信じること

2017-02-23 22:46:14 | 次への準備とWワーク
生きて行くということは

自分を信じることが、一番大事なのかも。


自分を信じる自分がいてこそ、
自分が生きていけるのかな

それには
自分が自分を、知ってないとあかん。


そやねん




今日もお疲れ様です。


明日は金曜日



あと1日、なんとか乗り越えましょう



ストレスなんか、ぶっ飛ばしましょー^_^


では、


おやすみなさい。




最近、疲れ気味

2017-02-21 22:21:42 | 次への準備とWワーク
2月って、忙しいですね。

そして3月はもっと忙しいのです。


・・・・。(T_T)



私も主人も

最近仕事がとても忙しく、

疲れています。


あまりよくない状態。




そういう時は、ちょっとしたことで

ピキィっ、イラあああああああああっ としやすい。


つまりキレやすい。




ただでさえ、ストレスが溜まっているのです。





私は

毎日の通勤電車が非常に苦痛です。


なんとか少しでも回避する方法を考え中っす。



ラッシュでぎゅうぎゅうなのにそれでもスマホを見てる人へ。


お願いです。人の肩や背中や頭をスマホ台にしないでください。

人の顔の真横でスマホを見るのはまじでやめてほしいっす。



疲れるんです。


いらーーーーっとします。


ほんとです。



ううう。





それにしてもほんとうに疲れます。



こういうときは


意図して身体を少しでも休めましょう。

そう。


今週末は、なるべく休むようにしようと思います。



疲れるといろんなバランスがきしんできます。





今日はもう寝ます。


寝る前に、


自分で自分に言います。



「今日も一日お疲れ様でした。

一日ありがとう。

よくがんばりました。

さ、ゆっくり休んでね。

おやすみなさい。」


そして「にやっ」と笑います。



意外に効果があります。


って、なんの効果やねん。




余裕があれば、家族にも言いましょう。


余裕がない時は・・・・・・



寝ましょう。




では。

おやすみー。



おかひじき

2017-02-18 20:49:09 | 次への準備とWワーク
おかひじき、という野菜はご存知ですか??


私は、知りませんでした。

今まで見たことも食べたこともありません。



たまたま今日、偶然、ネットで存在を知りました。


どんなものかよくわからないけど、なんだか気になったので


とりあえず種をネットで購入。


種が届いたら、育ててみようと思います。

育てるの難しくないといいな。




金曜日は春風

2017-02-18 20:34:03 | 次への準備とWワーク
昨日の金曜日は春風が吹いていた。


でも今日は夕方から冷え込んできた。


まだ春は遠い。





今日は土曜日で、平和に一日、家でゆっくりしました。


通勤電車が最近、苦痛です。

以前通勤してた時、こんなに不快でイライラしたっけ?と思う。


路線が変わったからかな。

千代田線はここまでギスギスしていなかったような気がする。



きっと、私が今使ってる路線は人が多すぎるのだ。




田園都市線よりはましかな。。。


いや、なんとも言えない・・・。



やはり朝は少しでも早く出よう。。


少しは違うのだ。


車内の殺気立つ度合いが。。。













仕事をし過ぎた

2017-02-16 08:02:09 | 次への準備とWワーク
最近、繁忙期で忙しい。

けれど残業すると気を遣うから、仕事なんてほったらかして定時で帰ろうかと思う。


バカみたいだ。

普通に仕事したいなー

ほんとにバカらしくなる。


ま、今どきの契約社員なんてそんなものだ。


昇給も賞与も何も無し。


使い捨てだ。

なるべく安く、都合よく使われるだけ。

そりゃ、みんな次から次へと辞めていくよ。


それでも正直者だから、一緒に働く同僚のことを考えて

少しでも負担を減らすように

もくもくと仕事してます。



はははははは。


仕事し過ぎるとあまり眠れなくなる。

脳が疲れすぎるのだ。




気をつけよう。






ぬいぐるみ

2017-02-13 08:08:52 | 次への準備とWワーク
先週末からぬいぐるみ作りを再開。

なかなか楽しい。

とりあえず家にあったフェルトで作ってみた。



朝、通勤の駅で、

線路に落ちてる小さなクマのマスコットが、

ふと目に入ってきた。



五センチあるか、ないかの

ほんとに小さなクマ。


石ころに紛れてるけど、よく見ると
クマだとわかる、

テディベアかな。

気になる。

あれが丸い形だったりしたら、

気づかないかもしれない。

でも、クマの形だから、
気づいたし、
一度気づくと
ずっと気になる。

拾いにいけないけど。


あのクマはずっと線路に落ちたまま。

ちょっと悲しい。


きっといまもあそこにいるのだ。




急性一過性 (2)

2017-02-12 17:59:39 | 次への準備とWワーク
「急性一過性精神病障害」

相変わらず、ネットで検索しても情報があまり出てこないです。

なので少しでもどなたかの役に立つかもと思い、

自分の経験を書きます。



私は数年前に突然、発病しました。

原因は極度のストレスと数か月におよぶ過労です。

(本当は、何十年間のそれまでの積み重ねがとうとう限界容量を超えたのです。)


発病する直前の約三日間は殆ど食事もせず、ほぼ不眠状態で

ナチュラル・ハイ状態の末、

一晩中、わけのわからないことをノートに書きなぐったり

「死んだ」と思う瞬間があったりして

ついに3日目の朝、

2011年7月、パッカン行きました。脳が暴走したのです。



わけのわからないことを口走って明らかに正気ではない私に、主人はびっくりして

とりあえず私は大阪の実家に連れていかれました。

東京での仕事が外せなかった主人の代わりに

大阪の息子が私を病院に入院させてくれました。


幻聴と幻覚、妄想の世界で、私はなかなか現実世界には戻ってこれませんでした。

入院する前は、あっちの世界と正気の世界を行ったり来たりしてましたが

病院に入院して薬を飲みだしてからは、

完全にトリップしたままになってしまいました。






脳が暴走しているので、まずは「脳」を休めるということでした。

入院した時の病名は「急性一過性精神病障害」でした。


私はその病名を書いた紙をずっと隠し持っていました。

どこでどう入手したか、全くわかりませんが。

時々、その紙をぼんやりみつめていたような気がします。

文字は読めたようです。




入院中、ときどき、


「なぜここにいるのか

なぜここにとじこめられているのか、」


解らない時がありました。



そんなときに、自分の衣服が東京から届いていることにきづいて

誰が届けてくれたんだろう、なんて虚ろに思っていました。

そういう時はかすかに正気に戻っていたのかもしれません。



主人が東京から運んでくれていたのですが、そこまで頭が回りませんでした。

主人も息子も何回も面会にも来てくれていたのに、

認識できていませんでした。私は別の世界にいたのです。





ずっと元の世界に戻れないままで、家族も悲しんでいましたが、

新薬で出た「インベガ」を飲みだしてから

症状がだんだん良くなってきたそうです。





そして、ある日突然、私は正気に戻りました。

それが新聞の日付を見て愕然とした日です。


やっと、元の世界に戻りました。

家族に面会した時も、やっと普通の会話が出来ました。

久々にやっとまともに主人と息子を認識できました。




そして、逆にあっちの世界に居た時のことは記憶が殆ど飛びました。


病院での入院中、正気に戻るまでの期間の記憶はほとんど無いです。


他の入院患者さんと話したりしていたようですが、


全く記憶になくて、話しかけられても「誰だろう」なんて思ってました。


逆に、主人や息子が、「あれは○○さんだよ。よく面倒見てくれてたんだよ。」と教えてくれました。



数週間分の時間が消えていました。





それから約2週間してから、私は退院を希望して退院しました。


病院でいることが退屈でたまりませんでした。



医師はあと最低でも一か月は入院させておきたい、と言ってましたが、

私が入院中に主人が担当医師と一回もめてブチ切れたことがあり

それ以来、私の治療については医師の考えよりも主人の意思の方が優先されることになっていたので

私は退院することが出来ました。


主人が言いたいことはブチ切れようが猛然と言うタイプだったことは、或る意味ラッキーでした。


あのまま医師の言う通りそのまま一か月も入院していたら、もっと薬漬けになっていたと思います。

あの時、すぐに退院できたことはまず、1度目のラッキーでした。





なぜなら、私が退院するときに、担当医師が書いてくれた紹介状には

私の病名は「急性一過性精神病障害」では無く、「統合失調症」と書かれていたのです。

あのまま病院に居たら、「統合失調症」として薬漬けにされていたかもしれません。



退院してから、東京に戻って地元で喘息でお世話になっていた内科のかかりつけ医師に相談しました。


そのドクターが知り合いの知り合いだという新宿の精神科のドクターを紹介してくれました。


私にとって、二度目のラッキーです。

新宿のドクターは「必ず治ります」と断言してくれて、どんどん減薬してくれました。

それに「統合失調症」ではない、と言ってくれたのです。



数か月、大阪の実家と東京を行ったり来たりして

翌年1月に東京に戻りました。


減薬していくなかで、徐々に体力も気力も戻りつつありました。

が、時間はかかりました。

暫く本当に無気力でした。

テレビもネットも見る気力が出ない、何もできないで眠り続けていました。


両腕があがらなくなり、着替えるのも大変な時期もありました。




そんな状況の中でとても印象的な出来事がありました。


ネットで「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」のライブの動画を見たことです。



ずっと、画面を見続けることが出来なくて、ドラマすら見れなかったのに

「アース」の動画は1時間以上も見ることが出来たのです。


彼等のすごく楽し気にステージで歌って踊ってる姿から、生き生きした元気パワーが私に届いたのです。



あの動画がきっかけでした。

それから少しづつ、何かが変わっていきました。



毎朝ストレッチをして


一人で買い物に行けるようになったり、

走れるようになったり、


主人を駅まで迎えに行ったり、


「ペリーヌ物語」というアニメを見るのが毎日楽しみでした。



そして春になって、かなり元の状態に戻りつつあったので思い切って、パートに出ました。

最初は通勤電車にのることすら、大変でした。

突然、飛び降りたくなったりするときがあり、ホームでは一番前には絶対に立たないようにしていました。

恐かったのです。



一日たった4時間くらいのパートもかなり厳しかったのです。


しかも、営業のパートでした。


かなりの荒療治でしたが、あの日々があるから今があると思います。


自分との戦いでした。


とにかく一日を乗り越える、それがすべてでした。

薬も減薬して、徐々に体から抜けていきました。


無気力と倦怠感、あのへんな緊張感と不安は、薬の副作用だと思っています。

後遺症でしょうか。



2か月間くらいのパート勤務のあと、2012年、7月中旬からはフルタイム勤務に復帰しました。


一か月に一回の新宿への通院も翌年には終了しました。


ほぼ完治です。



そして、新宿のドクターに言われた言葉。

「あなたの場合は「ストレス」が今までは「喘息」という形で出ていたのが、今回は「脳」にきたんです。

今後は「喘息」も全く出無くなれば本当の意味での完治です。」




つまりは考え方や生き方を根底から改善しましょう、ということです。

ストレスの原因をなんとかする、ということです。





最初は大変でしたが、ほんとに少しづつ、復活していきました。


実家の母や息子、主人の支えなしには私の復活はあり得ませんでした。


ですが、主人も相当大変だったようです。

主人も何回か鬱になりかけた時期がありましたが、

なんとか持ちこたえてくれました。



そして一年半、フルタイム勤務をしてほぼ完全社会復帰を果たした2013年年末、

主人が転職して、私も一緒に転職しました。

まだ社会復帰して間もない時期の私にとっては、

主人の転職と全く知らない土地への引っ越しは相当な負担でした。

暫くはヘビーな日々が続きました。



ときどき、ものすごいわけの変わらない不安感に襲われる時もありました。

私はその度に

「また壊れるのかな」と不安になりました。

でも必ず主人がきっぱりと否定してくれました。

「もう壊れない」と。



それは「病気」ではない、と。


生きてれば、いろんな苦しい状況がある。

誰でもそういうときがある、と。


そうなのです。



そういうときは

落ち着いて考えや頭の中を整理すれば、落ち着くのです。


一度、メンタルをやられると「またか」と思ってしまいますが


「メンタル」というより、「脳」です。





怒涛の2年間は「自分探し」の期間でもありました。


最初の一年を乗り越えたあとが大変でした。



主人とはさんざん大喧嘩もしました。


壊れて、治ってから、転職して、その次に「フラッシュバック」が襲ってきました。


今までの生活の「愚痴や不満」が一気に噴き出したのです。




退院するときに、なぜかものが全部二つに見える「複視」という状態になったりしていました。

その時はすぐに治ったのですが

2015年、原因不明の高熱が何週間も続いたあと、また「複視」になってしまいました。



高熱も病院でいろんな検査をしても原因不明でした。

「複視」も眼科で検査を受けた結果、「眼には何の異常もないから「脳」かも」なんて言われました。


しばらくものが全部2個に見えて焦点が定まらないので、日常生活もままならない感じでしたが


その「複視」も数週間して、だんだん治りました。


今考えると、原因は「ステレス」だったのでしょう。





主人のせいだけではありません。

今振り返ると、あれは実は自分自身の「生き方」に対する愚痴だったのです。


身体が病気になるとき、必ず原因があります。

「脳」も「メンタル」も同じく、原因があります。



対処法としての「治療」も必要ですが、根本の「原因」を解明して改善することも重要です。


私は自分の「原因探し」をすることで、自分の傷の痛みを主人にぶつけていました。


八つ当たりです、甘えていたのです。


ですが、彼はずっとそばにいてくれました。

彼は逃げませんでした。

本当に感謝しています。


周囲の人にもいろいろ助けてもらいました。

感謝します。




「自分探し」をする中で、出会ったのが「自己肯定」という言葉や

「ルイーズ・ヘイ」の本です。


2014年から2016年の夏までは、壊れた後の「心のあと片付け」期間でした。



そして

2016年夏、私はまた元の職場に復帰しました。


もう薬はずっと飲んでいません。


主人とも時々は喧嘩しますが、生活は基本的に落ち着きました。




ここ数年は、ストレスは「片頭痛」という形で来ます。

ですが

「喘息発作」はほとんど出ていません。






あのまま薬を飲み続けていたら、今の私はいません。

新宿のドクターが減薬してくれたおかげです。


自分に合ったドクターとの出会いが、人生を変えます。


「急性一過性精神病障害」は「急性一過性」なのです。

でも医師が「統合失調症」と判断して投薬を続けて

患者がそれを飲み続けたらどうなるのでしょうか。



減薬の判断は患者自身ではできません。

担当医師としっかり話し合うことが重要です。

本人にそれができないときは、周囲の人が医師と話しましょう。






もし減薬していて辛くても

どうか負けないでください。



立ち向かう勇気を、あきらめないでください。


何年かかっても、自分を取り戻すことをやめないでください。


あなたを助け出せるのはあなたしかいません。



























ポール・ギャリコの「ハリスおばさんに花束を」

2017-02-12 17:48:43 | 次への準備とWワーク
子供のころに読んだハヤカワ文庫の「ハリスおばさんの花束を」に
出てくるおじさんの名前はなんだったっけ?と思って

何となくネット検索したら

なんと、「ハリスおばさんに花束を」が絶版になっているらしい。


「・・・・・・・・。」絶句。


実家に有った文庫本の殆どは処分してしまったから、多分、もう無い。


ポール・ギャリコの本が絶版になるとは。。。


寂しい世の中だな。


本を読む人は減ったのかな。。



探してみるとヤフオクで800円で売ってた。


買うかどうか、考え中・・・・・・。