昔から、バイクが好きですから、レースもしましたし、公道ツーリングもしましたし、不謹慎ではありますが、『峠族』もやっていました。
いつも不思議に思っていたのですが、新規投入されてくるモデルは必ず、前モデル・対抗他社既存モデルのエンジン性能を凌駕するのですが、バイク本体の総合クオリティー(剛性・制動力・グリップ等々)はアンバランスそのものでした。
私が最初に乗った大型車は、KAWASAKI Z750(35年前)でしたが、当時は市販車とレーシングマシンの棲み分けははっきりしていました。市販車ではパワーは68馬力(甘いps換算)で最高速の時速200kmが出るか出ないかで、レーシングマシンでは2倍(120ps)以上で、最高速(300km以上)については、現在とほとんど変わらなかったと思います。
近年の大型二輪車の区分けは難しくなっていて、エンジンパワー的には同じです。
750ccというバイクはもともと、今でいうスーパーバイク世界選手権のカテゴリーで、4サイクル4気筒車は750ccまでで、2008年からは1000ccまでと変更されました。近年ではレースのノウハウを、そのまま投入して、エンジン出力だけは同等のものが市販されています。
もちろん1000m程度の直線で時速300kmを越えるレースマシンとは比べ物になりませんが、市販車の1000ccも直線が2000mもあれば時速300kmを越えることは可能です。
更に、もっと短い距離で時速300kmに達するために、1300ccクラスが市販されています。
問題はここにあります。
同排気量のレースマシンに比べて、市販車のエンジンパワーは同等にありますが、車重は2倍以上あり、フレーム剛性はあくまでも公道用で柔らかく、スイングアームも公道のでこぼこに合わせたもので、タイヤもブレーキも汎用設定です。
時速300kmに達するのに、レースマシンに比べて時間も距離2倍掛かる市販車は、公道で時速300kmから減速するには、4倍も5倍も時間と距離が必要でしょう。
レースマシンが、レース場(不慮の要因が除外された最高の環境)で行うこの作業を、市販車で、多種他車が並走する一般舗装(グリップ力が少ない・トラックのわだち・白線・鉄板部分むき出しetc.)路で行うのは、自殺行為以外の何物でもありません。
今の市販車は、加速はレースマシン並ですが、とにかく減速が苦手です。これは市販車ですから、低速から高速までを、カバーしなければならないので仕方がありませんが、どちらかというと、味付けとしては最高速側に偏っています。
市販車に乗って、何が起こるか分からない公道で、危険を認識してから、危険を回避できるまでの時間距離は、レース場に比べると、とてつもない次元の違いを痛感します。それでも、レース場でさえも、不慮の原因で、死亡事故は起こります。
もちろん、市販車をカスタムするという手段もありますが、減速のためにブレーキを強化すると、フロンとリアのサスペンション剛性が足りなくなり、そこを強化すると、スイングアームとフレーム剛性が足りなくなります。
剛性不足が解消されると、直進走行性を向上させるため、ホイル(マグネシウム以上)とタイヤ(レース規格)の交換が必要となります。
最後は車重の計量化ですが、全ての部材が計量化すると弱くなるので、各部材の強化は高価できりがありません。これはもはや対処のレベルを越えて、研究と実験の範疇に入ってきます。
時間と資金の融通がついて、これらの対策ができたとしたら、タイヤは温度が上がるまでカーブは曲がれず、ブレーキも制動力がとれず、中低速ではフレームやサス剛性からくる振動が悶絶物で、腰骨背骨五臓六腑は悲鳴を上げます。おおよそ公道を制限速度で、乗れる代物ではありません。反対に低速で走ることのほうが、危険だという乗り物に仕上がってしまいます。
結果的に市販に近い状態で乗ることが、安全運転と『長生き』に繋がり、公道での最高速仕様は、速度に関わらず、『早死に最速』になることは間違いありません。
私の『長生き』を考える上で、バイクを乗ることをやめることが一番ですが、バイクライフを捨てるとは、『生きがい』を捨てることになります。
『生きがい』を捨てずに、『長生き』を実践するためには、自身がバイクに乗る際の『心構え』が、重要な指標になります。
『長生き』のできるバイク運転術を確立したいと考えています。