長生きを考えるようになりました。

50歳のバイク事故で、自身の老化を痛感し、残りの人生について、長生きと趣味との相関関係を考えたいと思うようになりました。

『50歳でジムカーナ』

2011年01月19日 08時51分04秒 | 日記

今年はとにかく無茶苦茶寒いですね。沼津がこれだけ寒いのも初めてです。通年だとそろそろバイクの整備を始めるのですが、今年一年のバイクに対する構想も浮かんできません。

身体的に去年の事故の後遺症が残っているので、動きが悪いのもありますが、自身の老いと『長生き』を意識した瞬間から、精神的後遺症になったのかも知れません。

一種のトラウマになったのか知れません。

考え方は依然として、バイクは障害乗り続けることで間違いないので、このままいつも通りのバイクライフは危険かも知れませんので、精神的アンバランスを修正しなければなりません。

 

近年は、『峠族』をやりながら、時折高速自動車国道でのハイスピードバトルを楽しんでいました。

峠なら対向車との衝突やガケからの転落など、高速自動車国道ならハイスピードでの転倒や追突など、いずれにせよ【死】に直結します。

死なないようにバイクを乗ると決めた以上、かなりの制限がでるので、通年通りのバイクライフ続行は、修正されなければなりません。

 

若干の方向転換を考えたいと思います。

大昔、免許のない中学校時代にはモトクロスを、高校生になってジムカーナをかじりました。

50歳のいまは、腕力・体力が持続できないので、モトクロスやトライアルは考えられず、遅咲きではありますがジムカーナを始めようかと思います。

当分間はツーリングとジムカーナで、バイクライフを続行しようかと思います。

 

当然、身体むき出しで走るバイクは、世の中で一番【死】に近い乗り物であることには変わりはありません。ツーリングも気を抜けば、やはり【死】に直結しますし、アスファルト路面で宙返りはしないまでも、体操の床種目まがいの車体運動を、体のかわしをアクセルワークで返すジムカーナも同じです。

 

ただ、ジムカーナについては、行える場所は許可を受けた、駐車場や専用の施設など限られており、条件設定がしっかりしていれば、歩行者や対向他車などの心配はありません。むろん、レース場でレースをするのも同じですが、レースのように、ハイスピードによる昇天は考えずに済みます。

公道でのジムカーナは全く体を成さず、無理にそこで行う意義はありません。特に思うことは、むやみやたらに他人を巻き込むようなこともないということです。

 

若干無理はあるのですが、ZX-12Rで始めようと思っています。これには、いろんな意味があって、まず車体が大きくとりまわしで無理が利かず、中型以下の車体に比べて速度域が低くなるということと、大型車が大好きで慣れているからです。他者との競争意識も薄れ、マイペースで始められるのではないかと思います。

何よりも、今は家族親族の手前、バイク買い替えの画策は想像することもできません。

 

家族親族の手前、実際は走ることもできず、シコシコとジムカーナ用カスタムをするのが精いっぱいかもしれません。

あっちもこっちも取り持ちながら頑張ります。

 



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