救いについて ②「罪の赦し」
「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちきよめるのである。」
ヨハネによる第一の手紙1章7節
自分の罪を嘆く嘆いたために赦されたと考えるなら、
私たちは、神の御子の血を全く無視していることになる。
イエス・キリストの死のみが、神の赦しと、私たちの罪を忘れてくださるという
その測り知れないほどの深みを明らかにする。
私たちの悔い改めは、私たちのために完成されたキリストの贖罪を、自分のためのものであると、
真に認めることである。
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私たちが何者であるかは、問題ではない。
誰でも、イエス・キリストの死によって、神のもとに完全に立ち返ることができる。
それは、私たちが努力して得るものではない。受け取るものである。
十字架を認めることを私たちに拒絶させるいかなる呼びかけも、失敗に終わる。
「私はこの道を選びたくない。罪人になることはあまりに不面目なことだ」
しかし、「この御名のほかには・・・」救いはない。
「私たちは・・・御子の血による・・・赦しを受けている。」
イエス・キリストの死を自分のものとして受け入れるなら、神の道に至る。
聖書のことば
「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、
なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生きる神に仕える者としないであろうか。」
ヘブル人への手紙9層14節
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」
マタイによる福音書9章2節
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