2020年7月10日(金)
O・ハレスビー著「みことばの糧」から
~罪に勝利する秘訣~
信仰の戦いを立派に戦い抜きなさい。
(テモテへの第一の手紙6章12節)
罪に対する勝利は、はじめから終わりまで信仰の戦いの勝利です。
悔い改めて救われた時からそれははじまります。
悔い改めによって、自分の古い罪の性質から自由になる力が与えられるわけではありません。
自分で決心して、罪を憎み、神を愛することができるようになったわけではありません。
悔い改めとは、罪を悲しみ、キリストのみもとに行き、すべてを打ち明けることです。
自分が古い罪のしがらみの中に生き、罪を愛し、神を愛せないことをそのまま告げることです。
そうすれば、キリストが力を与え、信仰によってそれを受け取ります。
毎日の罪との戦いは、このような状態の中でつづきます。
古いしがらみとの毎日の戦いは、クリスチャン生活の中での最大の弱点です。
自分の欠点と戦い、敗北感を味わい、失望落胆します。
罪のしがらみに対して、信仰の戦いを戦うまで、敗北感はつづきます。
信仰によって、罪のしがらみと戦う戦いは、自分の意志や力で武装するのでなく、
キリストのみもとに行き、キリストの全能の御手がなければ全く無力であることを認めることです。
ですから、信仰の戦いとは、信仰者が自分を捨てキリストのみもとに行くための戦いです。
その時はじめて、古い罪のしがらみとの戦いに勝利を得るのです。
静かな、謙遜な勇気が魂の中に入ってきて、悪い者の放つあらゆる火の矢を消す信仰の盾が形成されます
(エペソ6・16)
O・ハレスビー著「みことばの糧」から
~罪に勝利する秘訣~
信仰の戦いを立派に戦い抜きなさい。
(テモテへの第一の手紙6章12節)
罪に対する勝利は、はじめから終わりまで信仰の戦いの勝利です。
悔い改めて救われた時からそれははじまります。
悔い改めによって、自分の古い罪の性質から自由になる力が与えられるわけではありません。
自分で決心して、罪を憎み、神を愛することができるようになったわけではありません。
悔い改めとは、罪を悲しみ、キリストのみもとに行き、すべてを打ち明けることです。
自分が古い罪のしがらみの中に生き、罪を愛し、神を愛せないことをそのまま告げることです。
そうすれば、キリストが力を与え、信仰によってそれを受け取ります。
毎日の罪との戦いは、このような状態の中でつづきます。
古いしがらみとの毎日の戦いは、クリスチャン生活の中での最大の弱点です。
自分の欠点と戦い、敗北感を味わい、失望落胆します。
罪のしがらみに対して、信仰の戦いを戦うまで、敗北感はつづきます。
信仰によって、罪のしがらみと戦う戦いは、自分の意志や力で武装するのでなく、
キリストのみもとに行き、キリストの全能の御手がなければ全く無力であることを認めることです。
ですから、信仰の戦いとは、信仰者が自分を捨てキリストのみもとに行くための戦いです。
その時はじめて、古い罪のしがらみとの戦いに勝利を得るのです。
静かな、謙遜な勇気が魂の中に入ってきて、悪い者の放つあらゆる火の矢を消す信仰の盾が形成されます
(エペソ6・16)
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