按摩は遠心性、マッサージは求心性の施術をするというお約束があります。
しかし、そのお約束の根拠となる理論は少々不安定でして。按摩を立てればマッサージが立たず、マッサージを立てれば按摩が立たず。
ところが、遠心性と求心性には一つの共通点があります。
それは、往復をしない、片道通行だという点です。
残念ながら、片道通行が良いと断言できるだけの理論を、私は持っていません。ただ、往復よりは、片道の方が「気持ちが良い」と思うのです。特に「擦る」手技に於いて、それは顕著です。
リンパにしろ動脈血にしろ、体液の循環は心臓と、それから全身の筋肉によって行われます。按摩やマッサージ等の施術を受けることで、筋肉の凝りや緊張が解れて、その結果、リンパや血液の循環が良くなるのではないかと。遠心性とか求心性とかの問題ではないと思うのです。
で、緊張を解すのなら、気持ち良くリラックス出来るに越したことはありません。そういう意味では「片道通行」の方が有利でしょう。
結局私自身は、「擦る」手技は経脈の流注の方向に従い、それ以外の手技もなるべくそうするように努めています。
さて、こう書くと、専門家や通の方からの「補シャ(『シャ』という漢字が出ません。片仮名で勘弁してください)は無視するのか?」というツッコミが聞こえてきそうです。
では、次回はその「補シャ」について。
しかし、そのお約束の根拠となる理論は少々不安定でして。按摩を立てればマッサージが立たず、マッサージを立てれば按摩が立たず。
ところが、遠心性と求心性には一つの共通点があります。
それは、往復をしない、片道通行だという点です。
残念ながら、片道通行が良いと断言できるだけの理論を、私は持っていません。ただ、往復よりは、片道の方が「気持ちが良い」と思うのです。特に「擦る」手技に於いて、それは顕著です。
リンパにしろ動脈血にしろ、体液の循環は心臓と、それから全身の筋肉によって行われます。按摩やマッサージ等の施術を受けることで、筋肉の凝りや緊張が解れて、その結果、リンパや血液の循環が良くなるのではないかと。遠心性とか求心性とかの問題ではないと思うのです。
で、緊張を解すのなら、気持ち良くリラックス出来るに越したことはありません。そういう意味では「片道通行」の方が有利でしょう。
結局私自身は、「擦る」手技は経脈の流注の方向に従い、それ以外の手技もなるべくそうするように努めています。
さて、こう書くと、専門家や通の方からの「補シャ(『シャ』という漢字が出ません。片仮名で勘弁してください)は無視するのか?」というツッコミが聞こえてきそうです。
では、次回はその「補シャ」について。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます