今回の旅は、指宿・開聞・知覧。その中で夕日をふと撮りたくなる。何も考えず地図だけ見る
すると花瀬望比公園が唯一西側が海の地点と分かる。それが4時ぐらい。
すぐに車を走らせる。日没15分前にこの地に到着。
夕日の綺麗さとともに、一種異様な静寂を感じた。がそのときはこの公園の存在の意図を知らない自分。
今般帰って下記を知った。なんともいえない心地。
夕日はどう撮ればいいのだろう・・・・分からない・・・・・
■花瀬望比公園とは ~あるHPからの転載~
開聞岳の西側の花瀬海岸に比島戦没者慰霊碑が建設され、
死生の扉、想比之碑、安らぎの鐘、大鐘楼等が整備されたのを契機に、
花瀬公園を花瀬望比公園と改称し、過ぐる第二次世界大戦の戦没者の霊の鎮まる
霊地として末長く英霊の安穏と21世紀に向けて世界各国の平和の基地として発展することを祈念し、
命名したものであります。
(指宿海上ホテルHPより)
第二次世界大戦においてフィリピン方面で戦死された47万6千有余の霊が鎮められています。
「戦没将兵47万6千余柱」という厳粛な数字は、今も私たちの心に重く、 胸を詰まらせます。
比島作戦に果てた同胞の形骸はかの地に朽ちても、すべての精霊が永遠に比島にとどまっているとは
思いたくありません。
異域の密林や南冥の底から、同じく祖国防衛に殉じた戦友に抱き起こされ押し上げられて、
不死鳥のように甦り1900キロの天空を駆け、戦場に夢見つづけた故国に声亡き凱旋の姿を願うのは
遺族だけではありません。
そんな祈りを込めて造形されたのが「死生の扉」です。 (指宿海上ホテルHPより)
碑文 岬の突端の延長線上千九百キロに多くの同胞の果てた 比島がある
碑文 許されるものらば還らざる旧軍四十七万六千余柱の精霊なおもとどまる
雲咽万里比島の地に痛恨の碑を建て、その前に伏し 心からなる祈念を捧げたいものを
やむなく 日本列島最南端のここに碑を置き想いを馳せてみたま鎮まれとひとしく願う
花瀬望比公園は平和の大切さを語りかけてくれる公園であります。
毎年3月27日には戦没者追悼慰霊祭がこの公園で行われます。
どうしてもこの公園を皆さんに紹介しておきたかった。
薩摩半島へお出かけの時にはお立ち寄りください。
すると花瀬望比公園が唯一西側が海の地点と分かる。それが4時ぐらい。
すぐに車を走らせる。日没15分前にこの地に到着。
夕日の綺麗さとともに、一種異様な静寂を感じた。がそのときはこの公園の存在の意図を知らない自分。
今般帰って下記を知った。なんともいえない心地。
夕日はどう撮ればいいのだろう・・・・分からない・・・・・
■花瀬望比公園とは ~あるHPからの転載~
開聞岳の西側の花瀬海岸に比島戦没者慰霊碑が建設され、
死生の扉、想比之碑、安らぎの鐘、大鐘楼等が整備されたのを契機に、
花瀬公園を花瀬望比公園と改称し、過ぐる第二次世界大戦の戦没者の霊の鎮まる
霊地として末長く英霊の安穏と21世紀に向けて世界各国の平和の基地として発展することを祈念し、
命名したものであります。
(指宿海上ホテルHPより)
第二次世界大戦においてフィリピン方面で戦死された47万6千有余の霊が鎮められています。
「戦没将兵47万6千余柱」という厳粛な数字は、今も私たちの心に重く、 胸を詰まらせます。
比島作戦に果てた同胞の形骸はかの地に朽ちても、すべての精霊が永遠に比島にとどまっているとは
思いたくありません。
異域の密林や南冥の底から、同じく祖国防衛に殉じた戦友に抱き起こされ押し上げられて、
不死鳥のように甦り1900キロの天空を駆け、戦場に夢見つづけた故国に声亡き凱旋の姿を願うのは
遺族だけではありません。
そんな祈りを込めて造形されたのが「死生の扉」です。 (指宿海上ホテルHPより)
碑文 岬の突端の延長線上千九百キロに多くの同胞の果てた 比島がある
碑文 許されるものらば還らざる旧軍四十七万六千余柱の精霊なおもとどまる
雲咽万里比島の地に痛恨の碑を建て、その前に伏し 心からなる祈念を捧げたいものを
やむなく 日本列島最南端のここに碑を置き想いを馳せてみたま鎮まれとひとしく願う
花瀬望比公園は平和の大切さを語りかけてくれる公園であります。
毎年3月27日には戦没者追悼慰霊祭がこの公園で行われます。
どうしてもこの公園を皆さんに紹介しておきたかった。
薩摩半島へお出かけの時にはお立ち寄りください。