『ある日のひとこと』

『ある日のひとこと』 21-2-21〜28

毎週日曜のNHKテレビの囲碁を楽しみにしている。収録され編集されているとはいえ一手一手で局面が変化する緊迫感がおもしろい。そんな中、喋りすぎの解説者がそれを台無しにするときがある。次はどこに打つのかと予想しているのに、あれこれ解説されるのは嬉しくない。ましてや、盤面が動いているのに続けるのはもってのほか。見ている側ももっと集中させてほしい。
21-2-21


続き。囲碁のルールも対局する楽しさも知っているけど、本格的にやったことはないので定石はほとんど知らない。それでも、囲碁には感覚的に打つおもしろさがあり、次の一手が当たったときは嬉しくなる。より強くなりたいという人には解説はありがたくても、その場を楽しみたい者には必要ない。解説者の冷静で余裕のある解説からふと傍目八目という言葉を思い出した。
21-2-22


続く。囲碁は小学生のときに父から教えてもらった。囲碁だけでなく将棋も花札も麻雀も百人一首もトランプと同じように教えてくれた。だから、どれも特別ではなく同等の遊びのひとつだった。兄弟姉妹が5人だったので遊び相手に困ることはなく、いろいろ遊び、子供達だけで麻雀も楽しんだ。囲碁はそれからも遊びの域を出ないまま、週に一度の楽しみとして残っている。
21-2-23


ツルハで拍子抜け。レジで精算のとき「有料のレジ袋はいりませんか」と客に聞くのは不必要な返答を強いていて不快に思うからやめてほしいと何度も伝え続けてきたのに一向にやめないので、こちらも負けずにしつこく(根気強く)伝えようと息込んで買い物に行ったというのにレジ袋には触れなかったのだ。ようやく要望を叶えてくれた嬉しい変化なのに肩透かしの気分も。
21-2-24


続く。度々質問の不必要を伝えたのは、自分はもちろんだが、レジ待ちのときに「いりません」の言葉をより多く耳にしていたせいもある。少数者のためにより多くの人に返事を求めるのはおかしいと思ったのだ。もし、商品(レジ袋)の買い忘れなくすためというのなら「何か他にほしいものはありませんか」と聞かねばならなくなる。これなら変だと感じてもらえる気がする。
21-2-25


スーパーの店内放送で名前を呼ばれてしまった。買物前にカードにチャージをしたとき、お釣りの方に気を取られカードを取り忘れてしまったのだ。幸い、離れた直後に店員が気づきすぐに放送してくれ、慌ててカウンターへ向かって受け取った。大勢の中で名前を呼ばれるのは照れくさい気もしたけど無事に戻ってなにより。つい最近の物忘れもあり、本当に気をつけねば。
21-2-26


太陽の沈む位置がどんどん右にずれて行く。家の窓から山に沈む太陽が見えるので、西に移動して行くのがよくわかる。ここに生活してすでに3ヶ月が過ぎ、その間に冬至もあったから一番左は体験済みになる。夏至にはどこまで行くのだろうか。移動と同時に日毎に高くなるのも、部屋に差し込む陽の長さで感じられる。とにかく、太陽を身近にして生活できるのはありがたい。
21-2-27


去年の11月28日の引越しからちょうど3ヶ月が過ぎた。ここでの生活にもすっかり慣れて引越しがもっと前のことのような気もする。階下への物音に気をつけねばならないこと以外はほとんどが快適になったのもそう思わせる理由なのだろう。多少気掛かりだった冬の外階段も大した苦労もなく無事に乗り越えられそうだ。その後には新緑の春を迎える楽しみが待っている。
21-2-28











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