実話、昨日の夜はちょっと知り合いのDJさんがPlayする
Partyの日だったのです。
このDJ:Noriさんは北海道出身で初めてお会いしたのは沖縄での友人宅。
当時は彼もまだ青年で私も含めて若かった(笑)。
あれからどのくらい月日がたったのだろう?。
ふと数えてみると15年はあまるのでなかろうか…
それが何の因果か、今大流行しているFBで回りまわって辿り着いたって感じ。
他にも忘れかけた旧友とも呼べる人たちとの再会も…
最初は尊敬してた現役サーファーでもあるマリン・フォトグラファーの
横山泰介氏との再会から始まったFBだったが、今では友達が新しい友達を呼ぶ
そんな風にして、少なくとも趣味趣向に共感し合える友達が増えている。
過去のコミュニケーションの場は出会い系サイトとも呼ばれるような
結局、どこの誰だか何の保障も無い人間を相手にしているのも同然。
なりすまし…とか、嘘八百のようなプロフで稼動しまくる。
それと比べると、FBはそのようなサイトより、まだまし。
とりあえず自己申告ではあるが、自身のプロフは限りなく真実であって
顔写真も任意ではあるが公表している、全体を見るとアイコンの画像に
堂々と顔写真を公開している割合の方が多いように思える。
それはそうだ、完全なる成りすましに成らなければ、どこかで
誰かが探ってる~って言うか、常に誰かが友達探ししているし
造りを入れるなら完全100パーセントの嘘の存在にならなければ
後々続けていれらなくなる。
マズイ内容でなければ、大概のユーザーは自分のページを公開している。
だから方法によってはいくらでも探しあてることが可能なのだ。
試しに私も縁の遠くなっている知人を探ってみたら、ヒットした。
だが、ページはその内容を見せたくないのか?非公開になってて、
FB内での友達同士しか閲覧できなくしていた。
ある意味でのセキュリティーかもしれないが、一般に公開しないなんて
私なんかは自分の趣味趣向の世界、Artから始まって写真・波乗り関連・食べ物…
そしてメインに音楽。特に写真やArtなどは公開して誰にでも見てもらいたいし
そこで共感を感じ取ってもらって「いいね」の一言評価やコメントなどもらう。
自分の撮った写真、描いた作品、造った物…あと、どこからか探してきた
あすすめの画像だったり、情報などなど発信したものを似た者同士で認め合う。
たまにはギリギリでのアングラな話もあるがちゃんとフォローはしている。
言論の自由にのっとって、ただ単純にFBという会議室であれこれと語っているだけで
何も悪い行いをしているわけでは無いのだから。罪は無い…
単純な構造で単純な話でもあるが、そこがスマッシュヒットしたわけで
FBを考え作り出したあの青年は一気に大金持ちになり、株の世界に彗星のごとく上々。
今いる友達は、三分の一が元々の旧友、その旧友からつながった新しい友達
そして、新たに友達になった友達が私のページに共感し友達申請をしてきたり
また、私から申請を出してみたり。最近は自分から友達作ろうとする前に
外部から友達申請が届くのが目立ってきている。
なんでも、彼らからの言い分は、私の人間性(勝手に想像しているのだろが)とか、
遊びのセンス、戯れだが必死なって撮っている写真や意味不明なArtが好評だったり。
私が出すコメントのノリとか内容などがうけて老若男女にもてている(笑)。
だがある部分ではそれが癖になってFBでの活動が異常化したりする。
人からうけてもらったり、感動してもらったり、喜ばれたり…するのが気分良くって
ずっとそうでありたい…気持ちがFBでの活動をどんどんエスカレートさせていく。
考えによってはFB中毒みたいなものだ。
だから重々、調子っこいてはいけないのでる。
私に関しては、独り者なうえネコとの一人暮らし、あまり外界との付き合いをしない
なぜなら、現実的にここでの友達はいるにはいるが、私はオタッキーなのだ。
家でネコとゴロゴロしているだけでいい。寂しくは全然無い、気楽でいい。
強いてまで表に出てさほど付き合いが深いわけでも無い他人様と交流したり
少ないではあるが付き合いのある友人を呼び出してまで遊ぼうとも思わない…
その点を思うと、FBは私のような人間にはうってつけかもしれないのだ。
出かけずに、好きな者同士でワイワイと語らっている。それで十分だ。
ちなみに私はまともな社会人では無いので(笑)、プロフには記載してない内容もある。
今さら、学生時代の友達や同郷の友達・また、昔の職場の仲間を探したりする気は
全然無いので、あえて学歴や出身地など記載してない。
友達なった人が聞いてきたら教える。~と言う方法を取っている。
顔写真はちょっと恥ずいので自分の写真部屋にUPしてあり自由に見れるようにしていて
アイコンの画像はルイになっている(笑)。そこだけ、ずるいかも(笑)…
Partyの日だったのです。
このDJ:Noriさんは北海道出身で初めてお会いしたのは沖縄での友人宅。
当時は彼もまだ青年で私も含めて若かった(笑)。
あれからどのくらい月日がたったのだろう?。
ふと数えてみると15年はあまるのでなかろうか…
それが何の因果か、今大流行しているFBで回りまわって辿り着いたって感じ。
他にも忘れかけた旧友とも呼べる人たちとの再会も…
最初は尊敬してた現役サーファーでもあるマリン・フォトグラファーの
横山泰介氏との再会から始まったFBだったが、今では友達が新しい友達を呼ぶ
そんな風にして、少なくとも趣味趣向に共感し合える友達が増えている。
過去のコミュニケーションの場は出会い系サイトとも呼ばれるような
結局、どこの誰だか何の保障も無い人間を相手にしているのも同然。
なりすまし…とか、嘘八百のようなプロフで稼動しまくる。
それと比べると、FBはそのようなサイトより、まだまし。
とりあえず自己申告ではあるが、自身のプロフは限りなく真実であって
顔写真も任意ではあるが公表している、全体を見るとアイコンの画像に
堂々と顔写真を公開している割合の方が多いように思える。
それはそうだ、完全なる成りすましに成らなければ、どこかで
誰かが探ってる~って言うか、常に誰かが友達探ししているし
造りを入れるなら完全100パーセントの嘘の存在にならなければ
後々続けていれらなくなる。
マズイ内容でなければ、大概のユーザーは自分のページを公開している。
だから方法によってはいくらでも探しあてることが可能なのだ。
試しに私も縁の遠くなっている知人を探ってみたら、ヒットした。
だが、ページはその内容を見せたくないのか?非公開になってて、
FB内での友達同士しか閲覧できなくしていた。
ある意味でのセキュリティーかもしれないが、一般に公開しないなんて
私なんかは自分の趣味趣向の世界、Artから始まって写真・波乗り関連・食べ物…
そしてメインに音楽。特に写真やArtなどは公開して誰にでも見てもらいたいし
そこで共感を感じ取ってもらって「いいね」の一言評価やコメントなどもらう。
自分の撮った写真、描いた作品、造った物…あと、どこからか探してきた
あすすめの画像だったり、情報などなど発信したものを似た者同士で認め合う。
たまにはギリギリでのアングラな話もあるがちゃんとフォローはしている。
言論の自由にのっとって、ただ単純にFBという会議室であれこれと語っているだけで
何も悪い行いをしているわけでは無いのだから。罪は無い…
単純な構造で単純な話でもあるが、そこがスマッシュヒットしたわけで
FBを考え作り出したあの青年は一気に大金持ちになり、株の世界に彗星のごとく上々。
今いる友達は、三分の一が元々の旧友、その旧友からつながった新しい友達
そして、新たに友達になった友達が私のページに共感し友達申請をしてきたり
また、私から申請を出してみたり。最近は自分から友達作ろうとする前に
外部から友達申請が届くのが目立ってきている。
なんでも、彼らからの言い分は、私の人間性(勝手に想像しているのだろが)とか、
遊びのセンス、戯れだが必死なって撮っている写真や意味不明なArtが好評だったり。
私が出すコメントのノリとか内容などがうけて老若男女にもてている(笑)。
だがある部分ではそれが癖になってFBでの活動が異常化したりする。
人からうけてもらったり、感動してもらったり、喜ばれたり…するのが気分良くって
ずっとそうでありたい…気持ちがFBでの活動をどんどんエスカレートさせていく。
考えによってはFB中毒みたいなものだ。
だから重々、調子っこいてはいけないのでる。
私に関しては、独り者なうえネコとの一人暮らし、あまり外界との付き合いをしない
なぜなら、現実的にここでの友達はいるにはいるが、私はオタッキーなのだ。
家でネコとゴロゴロしているだけでいい。寂しくは全然無い、気楽でいい。
強いてまで表に出てさほど付き合いが深いわけでも無い他人様と交流したり
少ないではあるが付き合いのある友人を呼び出してまで遊ぼうとも思わない…
その点を思うと、FBは私のような人間にはうってつけかもしれないのだ。
出かけずに、好きな者同士でワイワイと語らっている。それで十分だ。
ちなみに私はまともな社会人では無いので(笑)、プロフには記載してない内容もある。
今さら、学生時代の友達や同郷の友達・また、昔の職場の仲間を探したりする気は
全然無いので、あえて学歴や出身地など記載してない。
友達なった人が聞いてきたら教える。~と言う方法を取っている。
顔写真はちょっと恥ずいので自分の写真部屋にUPしてあり自由に見れるようにしていて
アイコンの画像はルイになっている(笑)。そこだけ、ずるいかも(笑)…