20年前は、本当にいろいろなことがあった。
1月には阪神淡路大震災。
そして3月に忌まわしい地下鉄サリン事件。
イニシエーション
グル
サティアン
などなど、それまで耳にしたこともないような言葉を
繰り返し繰り返し聞かされるようになる。
3月のこの事件が起こる前から、オウムの一種異様な姿は
報道やワイドショーだけでなく、街中でも目についていたあの頃。
渋谷の街で、麻原のお面(?)を被った白いだらんとした修行服?を着た
人々が、
『ショーコー、ショーコー、ショコショコショコショコ・・・・』と
耳をふさぎたくなるほど下手な、麻原の歌声に合わせて踊っていたのは
麻原が立候補したときだったか?
そろいもそろって同じような独特の表情をした信者(?)達を
そこここで見かけて、
気持ちが悪い、とは思っても
自分に関係があるとは、少しも思っていなかった。
20年前の3月の今日
朝のテレビで、霞が関・築地・人形町・・・と凄惨な様子が流れて愕然とした。
わたくしは、多くの被害を出した駅の一つで
ほんの数日前まで勤務していたのだ。
「え?え?」と訳も分からずに、映し出される人々の中に
知り合いの顔を捜し
始業時間が近くなると、元の職場に電話を掛けた。
サリンがまかれた時間帯は、職場の人々が
まさに出勤のために地下鉄に乗車していた頃だったのだ。
幸い、職場の人々に大きな被害は出なかった。
視界が暗くなった、
呼吸がしにくくなった
頭痛がひどい、と様々な症状はでたものの
後々まで残るほどの身体的被害を受けた方はいなかったのだ。
職場に近い出口に停車する車両から、
幾分離れた場所でサリンがまかれた事が、幸いしたのだ。
あとでわかったことだが、
サリンがまかれた車両は、まさに数日前までわたくしが利用していたモノだった。
ほんの数日の違いで、
乗った車両の違いで、
20年後の今日になっても苦しんでいる人がいる。
亡くなった人がいる。
『自分とは無関係』と勝手に思っていたけれど
まったくそんなことは無かったのだ。
空恐ろしい思いで、その後の報道を見ていた。
20年と言う月日が経って、
知識としてはオウムの凶悪さや、サリン事件の凄惨さ、
無差別テロの恐ろしさを知っていても、
実感としてはわからない世代が増えている。
麻原の、あの妙チクリンなビジュアルを面白おかしく感じて
軽々しく話題にしたり、笑いにしたりするのを見聞きするのがつらい。
自然災害も、人的災害も、
知っているだけでは、本当に理解したことにならないのだ、と強く思う。
ただ、それをあきらめてはいけないのだろう。
あの忌まわしい無差別テロ事件から20年ですね。
葉月さんが巻き込まれた可能性もあったと知り、とても驚いています。
被害に遇われた方が今でも後遺症で苦しんでいるニュースなどを見ると、事件はいまだに終わっていない思いでいっぱいです
この間、イスラム過激派による日本人殺害や各国でのテロが横行しています。
またつい最近も、チュニジアでの無差別テロもあり、日本人も犠牲になりました。
世界は間違いなくテロの脅威にさらされていることを痛感せざるを得ません。
前にも書きましたが、イスラム教と無縁とは言うものの、自分達の信じる教義のために無差別テロを行う行為は、宗教とは無縁と思わざるを得ません。
しかし、イスラム国もオウム真理教と本質において違いはないようにも思ったりします。
暴走した独裁者リーダーの言うがまま、信者がテロを行っているのです。
今でも、ヨーロッパ各国から若者がイスラム国に参加している一方、日本でもアレフに参加する若者が後をたたない状況を、どう考えたらいいのか、私自身のなかで整理できずにいます。
さまざまな意見や思想の違いを認めあう。
どんな理由をつけようが絶対に人を殺めるのは許されない。
人びとの人権を尊重する。
といった基本的な価値観を子どもの頃から教え込むことが必要な気もしています。
長々と書きました。すみません。
私のなかでまだ整理ついていないのです。
おはようございます。
気持ちの整理がつかない出来事が、年々増えていますね。
日頃、目の前のお片付けさえ苦手なわたくしです。せめて気持ちの折り合いくらいは、と思いますが難しい…。
当時の都内営団地下鉄の制服は、明るいお抹茶色て、少し個性的なデザインでした。
兵隊さんの制服のようで、わたくしは好きだったのですが、
あの事件以来、あれがサリンと知らずに、否、サリンという名前も危険も知らずに、無防備に片付けてしまった被害者の象徴のようで、見るのが辛かったです。
しばらくして営団地下鉄から、東京メトロと名前を変えて、制服も変わりました。
上九一色、福知山、神戸須磨…
本来、事件とは全く無関係に普通の生活がそこにあるだけの場所なのに
その名を聞いただけで一瞬、辛い出来事が思い出されてしまいます。