連休中に、久しぶりに母と連れ立って歌舞伎を演舞場で見た。
歌舞伎は東銀座の歌舞伎座か、国立劇場で見ることが多く
演舞場で見たのは2回目。
前回は猿之助のスーパー歌舞伎だったので
純然たる?歌舞伎ではなかったけどね。
昼の部で以下の演目
1・頼朝の死
2・連獅子
3・加賀鳶
頼朝の死はセリフのやり取りが多くて、いわゆる見せ場が少ないので
ちょっと眠くなってしまった・・・。
本当は、梅玉演じる頼家の苦しみや重康の葛藤が
結構胸に迫る内容なんだけど・・・。
それに、女形孝太郎・・・。もうひと頑張り。
連獅子はよかった~。
三津五郎親子の競演で、見た目も綺麗^^
それ以上に、親獅子の厳しくも深い愛情を感じて
意外にもグッと涙が出てしまいそうでした・・・。
加賀鳶の団十郎は悪党なんだけど、とってもコミカルなお芝居で
憎めない役どころ。
世話物は見てても楽しいです。
ところで、特に連獅子を見ていて感じたこと。
連獅子では、有名な親子での有名な舞のシーンでこそ
獅子の鬣を身に着けているけれど
ほとんどは人の姿で、親子の獅子を演じ通す。
舞台上でも、まったく急な谷底などないところで
舞だけで谷底を見せる。
舞台上には何もない状況に、観客は獅子の姿を見、谷底を見、川の急な流れを見る。
反対に、黒子の姿や、牡丹の間を飛び回る蝶を操る棒は
見えていても見ない。
在るものを無いとし、無いものを在るとする感性は
日本独特のものなんだろうか。
例えば、江戸の昔、
庶民が多く住んでいた長屋は、狭くて壁も薄くて
プライバシーなんてあるはずもなかっただろう。
そこでは、隣人が何をしているかが手に取るようにわかったはずだ。
気づいていても気づかないふりをする。
見えていても見ないふりをすることで、互いの距離感を保っていたのかもしれない。
歌舞伎に見たものとは少しズレるかもしれないけれど
あえて見ない、
見ずに感じる、
そんな感性があると、ギスギスした感情はなくなるのかもしれないなあ・・・。
演舞場を後にして、母と銀座のバールで軽く一杯飲みながら
そんなことを話したのでした。
歌舞伎は東銀座の歌舞伎座か、国立劇場で見ることが多く
演舞場で見たのは2回目。
前回は猿之助のスーパー歌舞伎だったので
純然たる?歌舞伎ではなかったけどね。
昼の部で以下の演目
1・頼朝の死
2・連獅子
3・加賀鳶
頼朝の死はセリフのやり取りが多くて、いわゆる見せ場が少ないので
ちょっと眠くなってしまった・・・。
本当は、梅玉演じる頼家の苦しみや重康の葛藤が
結構胸に迫る内容なんだけど・・・。
それに、女形孝太郎・・・。もうひと頑張り。
連獅子はよかった~。
三津五郎親子の競演で、見た目も綺麗^^
それ以上に、親獅子の厳しくも深い愛情を感じて
意外にもグッと涙が出てしまいそうでした・・・。
加賀鳶の団十郎は悪党なんだけど、とってもコミカルなお芝居で
憎めない役どころ。
世話物は見てても楽しいです。
ところで、特に連獅子を見ていて感じたこと。
連獅子では、有名な親子での有名な舞のシーンでこそ
獅子の鬣を身に着けているけれど
ほとんどは人の姿で、親子の獅子を演じ通す。
舞台上でも、まったく急な谷底などないところで
舞だけで谷底を見せる。
舞台上には何もない状況に、観客は獅子の姿を見、谷底を見、川の急な流れを見る。
反対に、黒子の姿や、牡丹の間を飛び回る蝶を操る棒は
見えていても見ない。
在るものを無いとし、無いものを在るとする感性は
日本独特のものなんだろうか。
例えば、江戸の昔、
庶民が多く住んでいた長屋は、狭くて壁も薄くて
プライバシーなんてあるはずもなかっただろう。
そこでは、隣人が何をしているかが手に取るようにわかったはずだ。
気づいていても気づかないふりをする。
見えていても見ないふりをすることで、互いの距離感を保っていたのかもしれない。
歌舞伎に見たものとは少しズレるかもしれないけれど
あえて見ない、
見ずに感じる、
そんな感性があると、ギスギスした感情はなくなるのかもしれないなあ・・・。
演舞場を後にして、母と銀座のバールで軽く一杯飲みながら
そんなことを話したのでした。
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