超私事!葉月の『今日の出来事』

粗にして野、しかし卑にあらず。
お下劣大好き、お下品大嫌い!
オババの好き勝手な独り言。

見て見ず、見えずして見る @新橋演舞場

2010年10月12日 | 日記
連休中に、久しぶりに母と連れ立って歌舞伎を演舞場で見た。

歌舞伎は東銀座の歌舞伎座か、国立劇場で見ることが多く
演舞場で見たのは2回目。
前回は猿之助のスーパー歌舞伎だったので
純然たる?歌舞伎ではなかったけどね。

昼の部で以下の演目

1・頼朝の死
2・連獅子
3・加賀鳶

頼朝の死はセリフのやり取りが多くて、いわゆる見せ場が少ないので
ちょっと眠くなってしまった・・・。
本当は、梅玉演じる頼家の苦しみや重康の葛藤が
結構胸に迫る内容なんだけど・・・。
それに、女形孝太郎・・・。もうひと頑張り。

連獅子はよかった~。
三津五郎親子の競演で、見た目も綺麗^^
それ以上に、親獅子の厳しくも深い愛情を感じて
意外にもグッと涙が出てしまいそうでした・・・。

加賀鳶の団十郎は悪党なんだけど、とってもコミカルなお芝居で
憎めない役どころ。
世話物は見てても楽しいです。



ところで、特に連獅子を見ていて感じたこと。

連獅子では、有名な親子での有名な舞のシーンでこそ
獅子の鬣を身に着けているけれど
ほとんどは人の姿で、親子の獅子を演じ通す。

舞台上でも、まったく急な谷底などないところで
舞だけで谷底を見せる。

舞台上には何もない状況に、観客は獅子の姿を見、谷底を見、川の急な流れを見る。


反対に、黒子の姿や、牡丹の間を飛び回る蝶を操る棒は
見えていても見ない。


在るものを無いとし、無いものを在るとする感性は
日本独特のものなんだろうか。


例えば、江戸の昔、
庶民が多く住んでいた長屋は、狭くて壁も薄くて
プライバシーなんてあるはずもなかっただろう。

そこでは、隣人が何をしているかが手に取るようにわかったはずだ。

気づいていても気づかないふりをする。
見えていても見ないふりをすることで、互いの距離感を保っていたのかもしれない。

歌舞伎に見たものとは少しズレるかもしれないけれど
あえて見ない、
見ずに感じる、
そんな感性があると、ギスギスした感情はなくなるのかもしれないなあ・・・。



演舞場を後にして、母と銀座のバールで軽く一杯飲みながら
そんなことを話したのでした。

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