
少し前の記事ですが、スマホで読みやすく編集します。
2018.08.17
最近受けた「仏教」と「子平」に関する質問と、そのお答えを掲載します。
質問
「張明澄著 密教秘伝西遊記の53ページの中道について上手く理解できません。
すべてのものが空であるのは対立的本質を含む相対関係の上で成り立っていることは理解できます。
53ページの8行目、思考と言語は対立を前提としているが、この対立は単なる分別から出たものに過ぎない、として分別は執着の元であり無分別の立場に立つべきとあります。これは思考と言語に対してのみ無分別の立場を取るということなのか?
また、空の大前提としての同時的相互関係(=対立的本質を含む相対関係)はあるが、ものを考える時は分別をせず、対立にこだわらない中道をとるべきということなのかがわかりません。
また、分別が執着の元であるとすれば、実学の中国の分類学は執着の元になるから子平などは釈迦尊の中道の理屈からすれば実学に取り入れているのは矛盾するのではないか?
よろしくおねがいいたします。 」
お答え
拙著『 密教姓名学《音声篇》』を御読みいただければ解りやすいかと思いますが、
人が産まれると、「ママ」「パパ」「ババ」「ファファ」といった世界共通言語を発することによって「自他」を「分別」するようになります。
「分別」の始まりは「言語」であり、人間は「言語」なしには「思考」することができません。
「自他」を「分別」することは「自然」からの「疎外」を意味し、人間の「苦」つまり「不幸」はすべて「分別」から生まれるものです。
しかし「不幸」は「幸福」の元であり、人間は「分別」によって「幸福」も味わうことができますが、他人が「不幸」なほど、自分は「幸福」というサイクルから逃れられません。
「子平」で判断できるものは、「貴賎・吉凶・寿夭・富貧・成敗」などの項目であり、いずれも素質や能力を他人と比較して、自分がどのレベルにいるかを知ることができます。
「貴・吉・寿・富・成」つまり、身分が高く、災難に遭わず、健康で長生きで、金持ちで、成功(自己実現)できれば「幸福」に思えますが、もっと「幸福」な人と比べれば「不幸」に思え、さらに「執着」するようになりがちです。
「命式」の良い人ほど「幸福」を得られやすく、「執着」から逃れることが困難であり、
「命式」の悪い人ほど「執着」すべきものがなく、「無分別」すなわち「悟り」によって救われ易いことになります。
つまり「子平」の「分類」は「無分別」への近道と言えます。
掛川掌瑛
古いブログ記事が出てきたのですが、内容があまり残っていなかったので、関連する資料を掲載します。
2007.02.20 Tuesday
仏教における「子平」の効用
「子平」は、日本ではもっぱら「四柱推命」と呼ばれ、単に占いの一種としてしか認識されていませんが、南華密教では、「記号類型学」とか「人生性型理学」などの言い方で、「子平」をはじめとする「干支」や「易卦」による術数を扱います。
そもそも仏教にとって、「子平」はどのような効用があるのでしょうか。
良く言われている誤解-五術は欲望そのものを満たすもの 宗教は欲望をあきらめる。なぐさめ
現在ある宗教は、おおむねそのように見られている。
「新宗教」は、こういう宗教に対する誤解を利用して出てきた。
南華密教は、あらゆる手段を駆使して、手に入れる方法をもっている。
欲望をいつでも達成できるから、欲望がなくなる。
手に入れにくいほど、欲しくなる。
○五術の体系
山-山門
医-養医(予防)・療医(治療)
命-推命(生理と心理)・運命(行運)・造命(避凶趨吉)
卜-筮卜(道具使用)・占卜(時間立卦)・方卜(方位)・局卜(測局)
相-印相・名相(姓名)・人相(面掌)・家相・墓相
○南華密教の体系
経典 根本的な物事の考え方
功法 ------ 山
実学
天(自然)物理学 化学
地(生命)生理学 医学 --- 医
人(人文)心理学
語学 ------ 印・名
群(社会) ---- 卜
地理学 ----- 宅・風水
史学 ------ 命・人相
秘術
※これらが独立しているのではなく、経典に基づいて成り立っている。
我々はどう考えたらいいのか、世の中の人はどんな考え方をするのか?
それに基づいて修行していく
天(自然科学) 物がわかり、物と物が出会ったときの変化がわかる
地(生命科学) 生命というのは、物に生命がくっついている
物の原理ぬきでは、命のことは言えない
密教はこのように唯物論的な面もあるが、究極的には唯心論
「霊」について、
高野山の密教を除いて、霊を信じる仏教はない。釈迦が否定
仏教では「識」という。死とは肉体と識がはなれること
普通は肉体が滅びると霊(識)も滅びる。体をはなれるとやがて消滅する
何かの偶然か、人為的に保存されることがある。死体の保存に似る
霊は非常な高温の中などでは残ってしまうことがある。
偶然、竈のなかなどに飛び込んで保存されてしまう場合
本来は、肉体=物質によってしか存在できない
「霊」を扱う人は、例外を普遍的と間違えている。
人(人文科学) 生命の原理ぬきでは人間のことは言えない
群(社会科学) 人間の原理ぬきでは社会のことは言えない
秘術 ー 経典・功法・実学に則って行なわれた結果、超能力のように見える。見かけは「超能力」、実際は《常能力》手順を踏めば誰でもできる
五術の山 「気功」-外気功は毛沢東以降-毛気功? 密教の功法にあたる
五術の医 漢方・中医学-中国的な論理にのってきている
根からできた生薬や食べ物=「升」作用 元気がでる
漢方の根は地下茎も含んでいる-植物学的におかしい
医学だけに通用する理論
※南華密教の医学は、自然科学-生理学までに則っている
ダライラマ十四世-英語・科学知識に堪能-世界的
チベット医学で癌の治療法に肺結核にかからせる方法がある
免疫が強くなって癌に対抗できる-西洋医学の原理でも効果的
梅毒にかかるとエイズにかかりにくい-免疫の働きが強くなる
同じ「医」のように見えても、南華密教の医は経典に則っている
母体と子供を同時に救えない場合、中医学では子供を助ける
「大不孝」-中国では跡継ぎのいないことを非常に嫌う=儒教
密教医学や西洋医学では、まず母体を救う
五術の命 推命・運命・造命
南華密教では個人の歴史として「史学」に位置づける
正田美智子さん(皇后陛下)と同じ命式の人-台湾に十三人
日本でも八十人くらいはいるはず 一人しか皇后になれない
五術-同じ命式の人の差異を知る方法論がない
入学試験の占卜-台湾で張先生にかなう人がいない
五術の造命法は、命式の範囲内で最大の成功を得られるもの。
南華密教の方法は、命式の範囲を飛び越えてあらゆる欲望を叶える。
○「時間」と「運命」
「子平」の考え方でいう「時間」は、現代科学の標準的な考え方の時間とは、少し異なります。現代科学の考える時間は、矢のように直線で進んでゆくものです。直線ですから、同じ時間というものがなく、時間のデータを取ろうにも取れるわけもないし、取るだけの意味もありません。
ところが、中国の時間観念では、「時間」というのは、コイルスプリングのように同じ範囲で回りながら進むもので、「時間」のコイルスプリング上のある地点に、「甲」という印をつけると、コイルスプリング上の同位相の位置にあたる「時間」は、すべて「甲」になります。
コイルスプリングのはしとはしでは距離がありますが、同じ位相にあるという共通点をさぐって、なんらかの意味のあるデータを取れるだろうと昔の人は考え、長年にわたって観察してきました。
「時間」が「運命」に対して影響するかどうかは、誰も証明することはできませんが、現代科学では、そもそも「時間」を扱ったこともありませんし、「時間」に記号を付けてデータを取るという発想もまったく有りませんから、これを「知らない」と言うことはできても、否定したり肯定したりすることはできません。
「子平」が他の多くの占術に比べて優位性があるとすれば、「作盤」という合理性に疑問のある方法をまったく取らず、長い間の経験によって時間につけた記号である「干支」をそのまま並べて、「時間」が人や文明・国家・企業などの運命に、どう影響するかだけを探求しえた点にあると言えます。
「時間の影響」という、現代科学では扱っていない概念を基にしている限り、現代科学に逆らうことはありませんし、科学から肯定されることはないにしろ、科学から否定されることもありません。
その点、「西洋占星術」などは、地球上から見た、見かけ上の星の角度が、物理的に人間の運命や自然現象に影響を与える、という無理な前提に基づいて成り立っていますから、これは、「反科学的」ということになってしまいます。
中国にも「七政占星術」というものがあり、一般には、「西洋占星術」と同様に実星の角度を使用する占星術と思われておりますが、「七政占星術」で使う星の角度は、惑星の逆行を認めないなど、実星の運行とは一致しておらず、ここでの星の角度は、物理的な作用を見るというよりは、ある種の「時間」の単位としての意味を持たせております。特に、「七政占星術」の「風水」で使う星図では、干支上のある共通点から算出する方法で、一年を一日として換算された「星母」というものを使用しており、実星の運行とはまったく無関係になっています。
「西洋占星術」では、冥王星のように二十世紀になってから発見された星は、それ以前に生まれて死んだ人には影響を与えず、発見された以降に生まれた人にだけ影響する、という原則が確立されており、たとえば天王星が発見された一七八一年以降に、アメリカ独立戦争の終結や、フランス革命などの大きな変化が起こったとされます。つまり「西洋占星術」では、天王星は、突然の「変化」を意味するものとされており、これが発見された途端に、人類全体に大きな変化が起きたというわけです。
ところが、逆に、イエス・キリストのように、現代の人々にも大きな影響を与え続けている人の出生図を見る場合には、天王星や海王星、冥王星、キロンなど、後世に発見された天体を使用しても構わない、と言っております。
そうしますと、「西洋占星術」における星の角度による作用というのは、物理的な作用と言うよりは、そこに星が存在するという「認識」が人間に心理的な作用を与えるもの、ということになるはずです。
認識が存在を規定するという考え方は、古くから仏教の「唯識論」にもありますし、現代科学においても、「量子力学」の世界では、ハイゼンベルグの「不確定性原理」により、ある素粒子がそこに存在するかどうかは、人間の観察によって結果が変わる、つまり存在は「認識」によって規定される可能性があることが指摘されました。
アインシュタインなどは、「量子力学」に大反対でしたが、「不確定性原理」はその後多くの実験によって証明され、「量子力学」は、現代物理学の中心的な理論となっております。
この「量子力学」の成果を踏まえて、宇宙論において「強い人間原理」とか「弱い人間原理」と言われる仮説が提出され、人間がいるから「宇宙」というものが認識され、それによって宇宙が存在している、とか、人間と言う、宇宙を認識することが可能になるもののために宇宙ができた、などというような、昔なら「観念論」と言って片づけられるような議論が戦わされています。
ところが「西洋占星術」の側からは、そのような「認識論」的なものはあまり聞かれないようで、たとえば、硫化鉛の溶液からフィルターに染み込んだ鉛の量が、土星のつくるオーブと相関性がある、などというように、物理的な作用が、人間の受胎瞬間にも起こり、天体が卵子や精子に対して何らかの影響を与えた結果、生まれた人間の運命が決まってくる、というように、「西洋占星術」においては、もっぱら物理作用としての星の角度の影響ばかりが強調されているように見えます。
(明澄五術全集第一巻『子平命理基礎篇』より)
〇 「子平」の効用
人間の考え方のなかに、「先験」的な考え方というものがあります。そして、これが哲学や宗教の非常に大きな基本になっています。
「先験」的というのはどういうことかというと、地球の人類である限り、生まれつきみんながそう思ってしまうという考え方です。
たとえば、霊魂や幽霊というものがあるとか、この世の他に死後の世界があるとか、人間には計り知れない何らかの超自然の力、つまり神様がいる、と言うようなものです。
こういう事というのは、生まれてから、親などの誰かから教えられて、初めてそう思うように考えられがちですが、実はそうではなく、人間である以上、生まれたら、物心つくまでに、みんながみんな、自然とそう思うものなのです。
よく、幼い子供が、少し言葉が話せて幼稚園などへ入る前ごろ、しきりに、頭の上に神様がいて自分を見てくれている、自分を守ってくれていると思う、というようなことがあります。
誰から聞いたと聞いてみても、誰からも聞かない、私には見える、どんな格好しているんだと聞いても、格好はわからない、ただ居ると感じている、などと言います。
この他にも、「座敷童」を見たとか、大人には見えないのに、あそこに人がいるのが見えるとか、こういうのは、ほとんど誰もがそういう時期があるのですが、たいていは忘れてしまうものです。
人間が神様を信じなくなる、霊を信じなくなるのはなぜか、ひとつには、みんなが無いと教える、もうひとつは、物心がついてから、いつまでたっても霊も神様もみたことがない、それでそういうものはないんだ、と思う、こういうのを「経験」と言い、こちらは、科学の基本と言えます。
そして、「子平」のように、生年月日時の干支によって人の運命を判断できるというのは、なにか「先験」的な考え方のように思われがちですが、実際は、非常に「経験」的な考え方で成り立っているものです。
ある時間に生まれた人に、年月日時の干支を割り振って、干支がこうだからこの人はこうなる、というのは「経験」で成り立ったのであって、生まれつき誰もが「子平」を信じられるわけはありません。
「子平」というのは中国人独特の経験から創り出したもので、どちらかと言うと、哲学と科学のなかでは、科学のほうに属することになります。
「子平」のような学問を「運命学」と呼びますが、それでは「運命」とは何かと言えば、要するに「人生を左右する要件」と言うことができます。
私たちの人生を左右するのは、だいたい「経験」が、つまり東大を出たとか、過去に人を殺した、とかいう「経験」の積み重ねが、だいたい四〇パーセントを支配します。どんな親のもとに生まれたかとか、その家が金持ちだっか貧乏だったか、そういうのもここに含まれます。
それから「生辰」といって、生年月日時、もっと正確に言えば、生まれた時間からの影響というのが、だいたい三〇パーセントを支配します。
そして「遺伝」がおよそ二〇パーセントを支配します。今までこの部門は非常に未開な分野で、どんな親からどんな子供が生まれるか、どんな体質や才能を受け継ぐかということは、実際にはほとんど分かっていませんでしたが、最近の遺伝子工学の発達により、将来的にはかなり細かく解明される可能性があります。
そして「幻影」と言って、どんな方位を使ったか、どんな印鑑を使ったか、どんな名前を持ったか、どんな家に住んでいるか、祖先の墓がどんな形になっているか、これがだいたい一〇パーセントを支配します。
経験ー40パーセント
生辰ー30パーセント
遺伝ー20パーセント
幻影ー10パーセント
(明澄五術全集第一巻『子平命理基礎篇』より)
◎如来蔵について
人間には生まれつき仏様が宿っているのですが、よろいのような心のカラに閉じ込めており、仏様と一体になることができません。
人間がよろいのように身に付けてしまった心のカラを破り、本来のあるべき姿に立ちもどれば、その仏様と一体になることができます。
仏様と一体になれた人は、仏様から守られて、あらゆる苦しみから救われるばかりではなく、他の人々をも苦しみから救うようになります。
すると、その人は、人々に素晴らしい魅力を感じさせ、尊敬や人気を集めて、社会生活、学問、恋愛、家庭生活など、全てが順調になり、望むとおりの人生を過ごすとができます。
このような状態は「悟り」とも呼ばれ、本来は、出家して、学問と修行の果てに、限られた人だけが、ようやく得られるものでした。
そこまでの境地には達しなくても、自分の守護仏がどんな仏様なのかを知り、その仏様のスタイルに少しずつ近づいて行くだけでも、守護仏の加護は得られるのです。
インドで生まれた「如来蔵」はチベットに伝わり、どの人にどの仏様が宿っているのかを見極めることによって修行に役立てるようになります。
最初は、高僧が弟子のひとりひとりを観察して、守護仏を決めていましたが、やがて、人の生まれた時間によって守護仏が決まることが分かって来ました。
これにより、必ずしも出家して修行しなくても、自分で自分の守護仏を知り、守護仏に近づくことが可能になりました。
ある人の「如来蔵」(私どもでは、もっぱら「守護仏」と呼んでおります)は、その人の生年月日時によって決まる、厳密に言うなら、決まるのではなく、推定できる、というべきかも知れませんが、生年月日時が正確であれば、滅多に間違えることはないので、決まる、といってもあまり問題はありません。
つまり、ある人の「如来蔵」は、その人のタイプを表すもので、出生時の時間からの影響が人になんらかの影響を与えているものと考えることができます。(時間がものごとに影響を与え、ものごとの性質を規定する、という考え方については、上記『明澄五術全集第一巻「子平命理基礎篇」』をご覧ください。

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子平命理の基礎知識、干支と五行、立命の方法、干関係の見方、強弱の見方、変通の見方、格局の見方、喜忌の見方、体用の見方などを解説します。 本書を暗記するまで熟読すれば、子平は勿論、あらゆる中国占術の基礎が身に付きます。 |
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