2024.10.13
一昨年5月の記事ですが、季節に合わせて再投稿します。
追記もあります。
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2022.5.11
二首ともに、秋の句ですが、
昨夜BS4の「ぶらぶら美術・博物館」という番組で、初夏の建長寺を訪れるという企画があり、中でも、山田五郎さんの解説が面白く、
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という、正岡子規の最も有名な俳句は、
夏目漱石の「 鐘つけば銀杏散るなり建長寺」を本歌とするもの、というお話。
「 鐘つけば銀杏散るなり建長寺」は、1895年9月、松山の新聞紙上に掲載されたもので、当時、中国帰りの子規が、漱石の下宿先に居候していました。つまり、子規は、漱石の句を当然に知っていました。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、子規が松山から東京に戻る際、漱石に旅費を無心して奈良を訪れた際に読まれたという句で、同年11月に発表されたものです。実際には東大寺で柿を食べたときのことで、法隆寺ではなかったそうですが。
子規の句のほうが、漱石の句の二か月後に発表されたものですし、非常によく似ていますから、子規が漱石の句を参考にした、つまり和歌で言う本歌取りであったことは間違いありません。
これを、真似とか盗作などという無知な人もいますが、そんな訳はなく、また山田五郎さんの言うように、手本を示したというものでもありません。
どうしてそのように言えるかというと、その時、奈良で一緒に詠まれた句、
「柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな」
「渋柿やあら壁つづく奈良の町」
「晩鐘や寺の熟柿落つる音」
「柿赤く稻田みのれり塀の内」
いずれも非常に平凡でつまらない作品ばかりで、おそらくは、誰も聞いたことがない句ばかりでしょう。つまり、漱石の句がなければ、子規の句も無かった、と言うべきです。
「 鐘つけば銀杏散るなり建長寺」とはどういう意味か、と言えば、
建長寺で、鐘をついたので、銀杏の葉が散ったことだな~
「つけば」というのは「已然形」とされるものであり、英語で言う過去完了形に当たるものですが、多くの場合、何々をしたのでどうなった、という因果関係として使われます。
例えば、
「都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり」(紀貫之・土佐日記)
訳:都へ帰れると思うにつけても悲しく思えるのは、帰らない人がいるからなのだな~
「帰らぬ人」というのは、死んでしまった娘のことで、「あれ」は「ある」の已然形で、「あれば」で原因を示し、「あればなり」は「あるからである」という意味になります。この言い方は、散文でもよく使われ、「なればなり」という言い方が多く見られます。
「鐘をついたので銀杏の葉が落ちた」というのは、因果関係としては無理があるようにも見えますが「そう思えた」という話で良いかと思います。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の「くへ」は「くふ」の已然形であり、「くへば」は「食ったので」という原因を示すものですが、「柿を食べたので鐘が鳴る」という因果関係は、「鐘をついたので銀杏の葉が落ちた」という以上に無理があるものの、やはり「そう思えた」という話で良いことかと思います。
いずれにしろ、夏目漱石の句「 鐘つけば銀杏散るなり建長寺」が、正岡子規の句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の本歌であり、本歌無しにはこの句も無かったのは間違いないはずです。
これについて、正岡子規は已然形の使い方がよく解っていなかった、と言う人もいるそうですが、子規の短歌に次のようなものがあります。
「瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり」
訳:瓶に挿した藤の花房が短かったので、畳の上には届かなかったことだな~
当時の難病=脊椎カリエスで病床にあった子規が、自分の命も短い、というニュアンスを込めたものと思われますが、「みじかければ」は、已然形+「ば」で「短かったので」という原因を表現しており、子規が已然形の使い方を熟知していたことは、疑問の余地がありません。
このように、明治の文学者たちは、已然形などの国文法をよく理解しており、使い方がおかしくなったのは、戦後、というよりは「教育勅語」以来というべきです。
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追記:
小さな資料室 と言うサイトから一部を抜粋させていただきます。
「一旦有緩急」 新釈漢文大系91の『史記 十一(列伝四)』
一旦有緩急、寧足恃乎。
一旦緩急有らば、寧ぞ恃むに足らんや、と。
『廣漢和辭典』には、「緩急」のところに、「〔史記、袁盎傳〕一旦有ラバ二緩急一、寧ゾ足ランレ恃ムニ乎。」とあり、ここでは「緩急有らば」と読んでいます。
また、『國譯漢文大成』(経子史部第15巻)でも、「緩急有らば」と訓読しています。
→ フリー百科事典『ウィキペディア』の「教育ニ関スル勅語」の項 |
教育勅語の中身は、儒教道徳の範囲を出ないものであり、その文法は漢文訓読の慣行に従ったもので、国文法に従っていません。
つまり「外国語」で書かれた「外国の思想」と言えそうです。
『教育勅語』は「中国語」で書かれた「中国の思想」
追記)
橋幸夫のデヴュー大ヒット曲『潮来笠』(1960)の歌詞で次の様なものがあります。
潮来の伊太郎 ちょっと見なれば 薄情そうな 渡り鳥~
なれ は なる の已然形ですから、この歌詞の意味は、
潮来の伊太郎は、ちょっと見ただけだったので、薄情そうな渡り鳥に見えた
と、なるはずですが、それだと意味が通らず、
ちょっと見ただけだと薄情そうな渡り鳥に見える
となるべきで、この已然形+ば= なれば の用法は間違って居る、と言うべきです。
作詞者の佐伯孝夫は 1902年生まれで、1890年に発布された『教育勅語』以後の教育を受けて居り、已然形の使い方がよく判っていなかったのでしょう。
追記)
同じく佐伯孝夫の作詞で、
湯~島 通れ~ば 思~い出す お蔦 主税 の心意気 (湯島の白梅)
湯島を通るといつも思い出すのが・・・・
という意味であり、この「通れば」が已然形の「恒常」という用法に当たる、と言われます。
已然形の「恒常」という用法については、
山上憶良の長歌「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ 」の「食めば」がこれに当たり「瓜を食うといつも子供のことが思われ・・・」という意味だとされます。
藤原道信の和歌「明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな」も「夜が明けてしまうと、必ずまた日が暮れるものと知っているのにそれでもなお恨めしい夜明けだな~」と、その例に挙げられるようです。
ところが、
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
瓜を食べたので子供のことが思われ、栗を食べたのでますます思われ
明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな
夜が明けてしまったので、必ずまた日が暮れるものと知っているのに、それでもなお恨めしい夜明けだな~
つまり、通常の已然形の使い方「理由」を示すと考えても、充分に意味が通るという共通点があります。どちらが解釈が正しいのかは、作者に聞かなければ判りませんが、元々歌の意味というのは一様のものではありません。
湯~島 通れ~ば 思~い出す
湯島を通ったので思い出す
と考えても一応意味が通りますが、少し無理があるかも知れません。
もちろん
一旦緩急アレバ
一旦緩急があったので、
と読み換えることが出来ないのは言う迄もありません。
(追記終わり)
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ところで、子規が実際に訪れて柿を食べたのは、法隆寺ではなく東大寺だったのですが、おそらくは、法隆寺のほうが、この句にピッタリする感じがしたのでしょう。
そう言えば、漱石が参禅して挫折したのも円覚寺であって、建長寺ではなかったのですが、円覚寺には「父母未生以前本来の面目」という嫌な思い出=トラウマがあったので、建長寺に書き換えたのかも知れません。
そのトラウマというのが、こちら↓
デカルトの「我思う故に我あり」を3才の子どもにでも分かるような真理と言いながら、「父母未生以前本来の面目」という公案に答えられなかった夏目漱石
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