一年前。
一年前の記事です。
※篠沢教授の話だけ読みたい方は、一番下のほうにありますので、スクロールしてご覧ください。
マルセル・プルースト作『失われた時を求めて』は、20世紀最高の文学と言われる傑作ですが、日本語への翻訳は非常に困難とされます。
特にその冒頭出だしは、一見非常にシンプルな短文ですが、様々な訳文が存在してきました。
最も多く読まれていると思われる、井上究一郎訳では、次のようになっています。
「長いあいだに、私は早くから寝るようになった。」(1973年、井上訳、筑摩世界文学大系版、筑摩書房)
学生のころ、この本で読んだはずですが、まさかこの短文が誤訳とは、全く気が付きませんでした。当時は評判も悪くなく、他の訳や原文を見たこともありませんでしたから。
筑摩書房版は、約10年がかりで、五巻に渡って完訳されていますが、個人的には、当時から最近まですっかり忘れていました。
ところが、最近読んだ、電子書籍版(光文社・高遠弘美訳)によりますと、冒頭は次のようになっています。
「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた。」(2010年・高遠弘美訳)
ずいぶんと違うのですが、これが正しいかどうかを判断するには、続く文章をよく読む必要があります。
長い間、私はまだ早い時間から床に就いた。ときどき、蠟燭が消えたか消えぬうちに「ああこれで眠るんだ」と思う間もなく急に瞼(まぶた)がふさがってしまうこともあった。そして、半時もすると今度は、眠らなければという考えが私の目を覚まさせる。私はまだ手に持っていると思っていた書物を置き、蠟燭を吹き消そうとする。眠りながらも私はいましがた読んだばかりの書物のテーマについてあれこれ思いをめぐらすことは続けていたのだ。ただ、その思いはすこし奇妙な形をとっていて、本に書かれていたもの、たとえば教会や四重奏曲やフランソワ一世とカール五世の抗争、そのものが私自身と一体化してしまったような気がするのである。そうした思い込みは目が覚めても少しの間は残ったままだ。それは私の理性を混乱させることはないが、鱗のように目に覆いかぶさるので、燭台の灯がもう消えているかどうかを確かめることはできない。だが、かような思い込みはしだいに意味不明なものに変わってゆく、あたかも輪廻転生を経たあとの前世の思考のように。書物のテーマは私から離れ、それをさらに追うか否かは私の裁量に任される。と、ただちに私は視力を回復し、自分のまわりが暗闇であることに気がついて愕然とする。その闇は目に優しく、目の疲れを癒いやしてくれるが、私の精神にとってはおそらくもっと優しく、癒しに満ちたものだ。・・・・・・・・・・・
・・・・・・私はふたたび眠りにつく。ときおり目覚めても、それはもうごく短い瞬間の目覚めでしかない。壁板が自然にきしむ音が聞こえたり、目を開けて万華鏡のような闇を見つめたり、一瞬差す意識の光に支えられながら、家具や部屋、つまり、私自身がその小さな一部にすぎないすべての事物(その一瞬が過ぎれば、私はすぐにそうした事物そのものの無感覚状態のなかに戻ってゆくのだが)を包み込む眠りの世界を味わったりするのはそんなときである。あるいはまた、眠りながら私はいとも簡単に、永遠に過ぎ去った幼少期のある時期に戻って、たとえば私の大叔父が巻き毛を引っ張らないだろうかといった、いかにも子どもっぽい恐怖をいままた味わったりもした(その恐怖は、少し大きくなって巻き毛を切られた日(2)に忽然として消えた。それは私にとって新たな時代の始まりを意味した)。眠っているときには巻き毛を切られた日のことを私は忘れているのだが、何とか目覚めて、ああこれで大叔父の手から逃れたと思ったとたん、その記憶が蘇よみがえってくる。それでも、万一の場合に備えて、ふたたび夢の世界へ戻る前に、私は枕ですっぽり頭を隠すのだった。・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・麻痺したような脇腹は、いまどちらを向いているのかを探ろうとして、たとえば、天蓋附つきのダブルベッドで壁に向かって横になっていると想像する。すぐに私は思う。「なんだ、お母さんがおやすみを言いに来てくれなかったのに眠ってしまったんだ」。私は、何年も前に他界した田舎の祖父の家にいたのだ。私の体や、下側にした脇腹は、私の精神が決して忘れてはいけなかった、ある過去の忠実な番人として、私にコンブレーの祖父母の家の私の寝室にあった、天井から細い鎖で吊るされたボヘミアンガラス製の壺型常夜灯のともし火や、シエナ産大理石でできた暖炉を想起させた。それははるかに遠い日々のことではあったが、正確に頭に描くことこそできないとしても、いま現在目の前に存在するものとして想像することができたし、もうすぐ完全に目が覚めれば、もっとくっきりと目に浮かぶはずのものであった。
そして、また別の姿勢の記憶が蘇ることもあった。その記憶のなかでは、部屋の壁は違う方向に延びている。私がいるのは、サン・ルー夫人の田舎の別荘で私にあてがわれた寝室だ。いけない! もう十時をまわった。晩餐はもう終わってしまっただろう! 毎夕、サン・ルー夫人との散歩のあと、食事にゆくための服を着る前にひと休みする習慣があるのだが、今日は寝過ごしてしまったらしい。そう考えたのは、コンブレーで過ごした日々から、あまたの歳月が流れたからで、コンブレーでは、どんなに遅く帰るときでも、私の部屋のガラス窓に夕陽が赤く反映するのが見えた。タンソンヴィルのサン・ルー夫人の別荘での過ごし方は、コンブレーとはまったく異なっていて、夜しか外出せず、昔なら陽光のもとで遊んだ道を、月光に照らされながらたどる。そこにあるのは別の種類の楽しみである。晩餐のために着替える代わりについうっかり寝込んでしまったと思った部屋、それは、外出から帰るときに、夜の闇のなかでただひとつ輝く灯台のようなランプのともし火のおかげで、遠くからでもそれとわかる部屋なのだ。
くるくると動き回るこうした曖昧な記憶は数秒しか続いたためしがなかった。そんなときはしばしば、ごくわずかの間ではあれ、私は自分がどこにいるかあやふやになったが、そうした状態をもたらすさまざまな推測をひとつひとつ区別することはできなかった。それは、馬が走る映像を見るときに、キネトスコープ(エジソンの動画箱)が映し出すひとつひとつの動きを分割して見ているわけではないのと同じである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
寝る時間になって二階に上がってゆくとき、私の唯一の慰めとなったのは、ベッドにもぐり込んだころにお母さんがキスをしに来てくれることだった。とはいえ、このおやすみはほんの一瞬で終わって、母はそそくさと階下に戻ってしまうので、階段を上ってくる音が聞こえ、藁で編んだ小さな結び紐が垂れた青いモスリンのガーデンドレスの軽い衣ずれの音が、両開きのドアがある廊下を伝わってくるころになると、私は苦痛を味わうことになった。それはそのあとに続く時間、つまり、母が私のもとを離れてふたたび一階に降りてゆくのを予告していたからで、ついには、私はかくも大切なこのおやすみが、なるべく遅くなること、お母さんがまだ来なくてただ待っている時間がこのまま続いてくれることを強く願うに至ったのである。
つまり、「早く寝る」習慣は、子供の頃のしつけからくるもので、もう少し大人になってからも「長い間」続いていた、ということになります。
逆に言うと、早く寝る習慣が、今でも続いている、とか、長い時間を経て早く寝るようになったわけではない、ということで。
試しに、グーグルの自動翻訳で、この冒頭の短文を訳してみます。
Longtemps, je me suis couché de bonne heure.
英語では、
For a long time, I went to bed early.
日本語にすると「長い間、私は早く寝た」、さすがに味も素っ気もありませんが、それほど間違っているとも言えません。
ところが、日本語では、
久しぶりに早く寝ました。
これでは全く間違い、と言うべきですが、
「長いあいだに、私は早くから寝るようになった。」
よりは、まだマシな気もします。何故なら早寝は昔のことであり、大人になった今でも早寝を続けている、というわけではないはずだからです。それでは夜遊びやパーティーにも出られませんから、そもそもこの作品が成り立ちません。
Longtemps, je me suis couché de bonne heure.
をきちんと英語にすると、
For a long time,I used to go to bed early.
For a long time,I had been going to bed early.
という風に、過去の習慣という面を強調するのが良いようで、
これを日本語にすると、
かつて長い間、人より早い時間に寝るのが私の習慣だった
原文よりは長めになりますが、これなら意味を間違えることがありません。
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静聴雨読 というブログに、次の記事があります。
プルーストの翻訳
鈴木道彦訳と、井上究一郎訳の変遷と比較検討がされており、大いに参考にさせていただきました。ただ、2007年ごろの記事のせいか、吉川一義訳については言及されていません。
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朝日出版社の「世界文学案内」というサイトの記事
http://blog.asahipress.com/sekaibungaku/2009/04/vol15-54b0.html
Vol.19 「失われた時を求めて」 プルースト
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「フランス文学案内」(篠沢秀夫著・朝日出版社)より引用しています。
失われた時を求めて A la recherche du temps perdu(1913-27)小説7巻16冊
マルセル・プルースト Marcel Proust(1871-1922) 小説家
……………
あらすじ
《長いことわたしは早くから床についた。ときには、ろうそくが消えるとすぐ目が閉じてしまって、“ほら眠るぞ”と思うひまもないほどだった。そして、半時間もすると、寝つかなければならない時間だという考えで、目が覚めるのだった。》 ※強調はブログ主
有名なこの書き出しは、半眠状態の長い描写を導入する。そして、この段落の末尾が、これから始まる長い作品全体の形式を要約している。《たいていはすぐにまた眠り込もうとはしなかった。夜の大部分を回想で過ごすのだった。コンブレーの大伯母の家でのわたしたちの生活、バルベック、パリ、ドンシェール、ヴェニス、それからまたほかでの生活を思いおこし、さまざまな場所やそこで知った人たち、その人たちについて自分で目撃したこと、話しに聞いたことを思い出すのだった。》
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「長いことわたしは早くから床についた。」
何と、今まで見た訳の中では、良いと思えるもので、
“ほら眠るぞ”
という表現も、「ああこれで眠るんだ」などと較べると、ニュアンスが伝わる言い方だと思えます。
この本の著者は(篠沢秀夫)とあります。
篠沢教授と言えば、
かつて大橋巨泉の司会で、一世を風靡したクイズ番組、
クイズダービー で、
正解率が低いのに大人気だった解答者です。
篠沢教授逝く「クイズダービー」出演は学歴社会に一石投じるため[ 2017年10月27日 06:40 ]
例えば、
大学の成績が、可や良ばかりで、優がほとんど無い人の、有名人になぞらえたあだ名はなんと言うでしょうか?
という問題で、「森山良子」と書き、
司会の大橋巨泉氏から
「間違いですけど、よく知ってましたね」
と言われ、
「あ、そういう人が本当にいるの?」
と答えていました。ボケかも知れませんが。
正解はもちろん「加山雄三」(可山優三)です。
もう一つ、
新約聖書からの問題
洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、イエスは霊によって荒れ野に送り出され、そこに40日間留まり、空腹になられたところで、悪魔(サタン)の試みを受けた。そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた・・・・
さて、イエスは何と言ったでしょう?
篠沢教授は、フランス文学者ですから、当然に聖書はよく読んでいる筈ですし、答えを間違えるはずがありません。私も思わず
篠沢教授に全部!
と叫んでしまいましたが、最終問題ではなく、倍率もそこそこだったためか、当時の出演者は誰もベットしませんでした。「篠沢教授に全部!」というのは、「一発逆転」とか「どんでん返し」の意味でよく使われたものです。
すると篠沢教授の解答は、
「悪魔よ立ち去れ!」
というもので、不正解になってしまいました。
正解は、と言うと、
マタイ伝 4しかしイエスは、お答えになりました。「いいえ。聖書には、『人はただパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』(申命8・3)と書いてある。わたしたちは、神のすべてのことばに従うべきなのです。」
つまり、よく知られる言葉、
「人はパンのみにて生くるものに非ず」
これが正解ですが、
マタイ伝 10「立ち去れ、サタン! 『神である主だけを礼拝し、主にだけ従え』(申命6・13)と聖書に書いてあるではないか。」イエスは悪魔を一喝しました。
つまり、
「悪魔よ立ち去れ!」というのは、同じマタイ伝の少し先のほうにある言葉ですから、
篠沢教授は、もちろんマタイ伝を読んでいたし、正解も知っていたのに、ボケをかました、というわけです。ベットした人がいなかったので、正解を答えなかったのでしょう。
篠沢教授は、自分がよく知っている問題で、ベットした人がいる場合は、正解を書くのですが、
「非常に不愉快」
などと言いながら答えておられました。
要するに、
番組での、自分の役割をよく理解した上での行動と言うべきです。
やはり、惜しい人を亡くした、と言うべきで、
篠沢教授に全部!訳して欲しかったプルースト
と、というのが私の思いです。
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