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宇佐美りんの 推し、燃ゆ

2021-02-17 16:25:00 | 日記
「推し、燃ゆ」とは、「応援しているアイドルがネット上で炎上」という意味だ。
この題名から、何かコミカルな学園小説?ぐらいな印象を持っていたが、2021年1月、芥川賞を受賞したと聞き、読んでみることにした。


15才の高校生「あかり」は、アイドルの「真幸」に入れ上げている。CDが出れば100枚以上買い込んで握手券を手に入れ、彼が出た番組は皆録画し、発言を書き取りネットに上げる。バイト代は全て彼関係に消えるといった具合だが、その彼が女性を殴ったとしてネットで炎上した。
それでもあかりの入れ上げは変わらない。「真幸はあたしの背骨だ」という。自分がこの世に繋がるただ一本の糸「推し」。やがてあかりはガリガリに痩せ、学業も不振で留年になったのを機に退学する。そのうち真幸は芸能界引退を発表しその左手の薬指には指輪があった。

この小説では、状況の説明が全くない。何故真幸が女を殴ったのか、その女とは誰なのか、あかりの「病気」とは何なのか、天候や季節も省略され、ただただあたし視点で推しの日常が綴られていく。

読後の第一感は、これは紛れもなく文学だ、だった。
ボオっとして呆れると共に、作者の鋭い感性と想像力に戸惑った。
芥川は、「文芸的な、あまりに文芸的な」で小説の物語性に重きを置かない立場を表明した。小説にストーリーを求めないとしたら何があるのか、この小説はその答えの一つを明快に出している。
昔は作家は50過ぎで漸く駆け出し、と言われたが、作者は21才の大学生。すごい人が出てきたものだ。




若草山焼きと田んぼ焼き

2021-01-27 17:50:00 | 日記
奈良阪を南に降り始めると、目の前に森に包まれた大仏殿が現れる。

スマホの写真では迫力がないが、実際にはドンと現れるといった迫力がある。奈良人は商売っ気が薄いというが、この景色は勿体ない。ドライブインっぽいものを作ればそこそこ儲かると思うのだが...

さて1月23日(土)は若草山焼きだった。花火600発を打ち上げ、18時から火入れがあったが当日は生憎の雨。燃え拡がる筈もなく、山焼きは終わった。続きはやるんだろうか?
そもそもこの若草山焼き、大文字焼きなどと異なり宗教的な行事ではない。若草山の頂上には古墳があるそうなのだが、1月末までに山を焼かないとここに幽霊が出てくる、または何か悪いことが起きるとの迷信があり、度々放火が行われていた。付近の社寺にも被害が出たらしく、近年になって管理されるようになったそうだ。
その結果、今年は1月の第4土曜日と、完全に観光用の催しとなってしまった。

ところで三笠山というのもここ辺りの筈だが何処だろうか。

奈良市の東、左から順に春日山、若草山、その右の笠状の山が御蓋山(みかさやま)になる。wikiによると、三笠山が何処を示すのか曖昧だったようだ。
この3つの山、更には奥の山地も含めて三笠山と呼んでいた可能性がある。
 三笠の山に出し月かも という歌は、この東側一帯の山地を三笠山と呼んでいたと解釈しなければ成り立たないだろう。
日露戦争当時、聯合艦隊の旗艦となった三笠の出自がこんな状態でいいのだろうか。比定は最近になる。三笠宮家創設に当たり、宮内庁はその由来を御蓋山とした。だが御蓋山が比較的地味な存在であるためか、僕らの間では定着していない。

山焼きと言えば、奈良では田んぼでの野焼きが多い。全面を焼くというよりは、取り敢えず焼く、または籾殻を焼く、という感じだが、かなり多い。盆地のあちこちで白い煙が立ち登る。

燃やしている現場にも何度か出会したが、周りに水バケツはなく、それどころか人影もない。いいんだろうか?

因みにここは天理消防署から50mほど離れた河原の土手。いいんだろうか?

童謡 たきび では北風が吹く中、曲がり角で焚き火をする場面がメインとなっている。今やったら大変だろう。


水仙が咲き始めた

2021-01-24 00:27:00 | 日記
ここ奈良盆地では、至る所で彼岸花が見られるが、奈良盆地のほぼ中央、田原本町に行くと俄然スイセンが多くなる。

スイセンは田原本町の町花らしい。奈良県ではここだけだ。スイセンを調べるとヒガンバナ科らしく、確かによく似ている。だが彼岸花をよく見ると葉が広がり、穂先が丸い。

むしろニラに似ているらしく、スイセンを食べて食中毒を起こすことが多いらしい。因みにニラもヒガンバナ科だ。スイセンは葉も含め毒があり、食べると猛烈な嘔吐感に襲われ、その結果死亡することは滅多にないとのことだ。
この田原本町は磯城郡に属し、磯城とは石の多い水辺を意味するらしい。おそらく古代奈良湖の北端にあった名残だろう。

田原本町は飛鳥川が流れる。


昨年5月からこの流域5市町村の車のナンバーが「飛鳥」になった。飛鳥ナンバーにも鳳凰の絵入りバージョンがあり、結構人気があるようだ。




初雪と細雪

2021-01-12 20:00:00 | 日記
今朝起きると雪が降っていた。
瓦屋根は白くなっていたが、道路は黒々としている。昼までには溶けるのではないだろうか。

実はこの雪、初雪ではない。1週間ほど前、最高気温2度のとき、昼頃から霰状の雪が降った。細かく、弱い雪で路上で跳ねていた。雪は1時間程で止んだが、その後も細かな雪となり、降ったり止んだりを繰り返していた。
これが細雪か。wikiで調べてみたが、ほぼ間違いないだろう。
小説が余りに有名でそれがどんな現象か語られることは少ないが、どうやら時雨が雪になった現象のようだ。
感謝。

西を向く神社たち

2021-01-07 10:56:00 | 日記
天理市を東西に走る国道25号線の一路南、岩室に事代主神社がある。

鳥居の前、左右は石造りの堀になっており、少し珍しい。またこの神社、西を向いている。僕らは東に向かって遥拝することになる。
大物主を祭る大神神社の拝殿も西を向いていた。出雲大社も外見上は南向きだが、主殿は何故か西向きになっている。これらは何か関係があるのだろうか。

この神社を更に西に行くと、三十八柱神社がある。

この鳥居の左側が本殿なのだが、ぐるっと回って西向きに建てられている。奈良盆地にはこのような西向きの神社は多い。
因みにこの三十八柱神社、三十八社神社、三十八神社、読み方もさんじゅうはち、みそやなど異なるが、天理から桜井にかけて8ヶ所もある。他の地域では聞かない。
起源は、役行者が金剛山に春日や鴨など有力な神38柱を祀ったこととされている。その起源通り、神仏混淆の性格が強かったため、明治維新で衰退していったとのことだった。

尚、表紙の写真は近所の厳島神社。ここは北向きである。元々は一言主を祭っていたが、これも明治維新で社名、祭神も変えることを余儀なくされたようだ。灯籠には今も一言主と彫られている。