天理市の正月とはどんなものなのか、街中を散策してみた。
道の両側にも国旗と天理紋の小旗が並んでいる。流石である。
神殿はいつもと変わりないように見え、賽銭箱もない。登壇して「おぢば」に行けばあるのかもしれないが、信者でもない僕が行くのは気が引ける。
ところでこの紋、天理市の市章によく似ている。市章は、丹波市町を中心に5つの町村が合併したから、という説明がされているが、これは後付けではないだろうか。
由緒書を見ると祭神は豊受であるようだが、なぜこの紋が?
天理駅から東に向かうアーケード街、大きな国旗と並んで梅鉢の家紋が掲げられている。教祖 中山みき家の家紋で、天理教の紋でもある。
道の両側にも国旗と天理紋の小旗が並んでいる。流石である。
アーケード街の突き当たりには教会の神殿があり、南側参道には紫色の幟と提灯が並んでいた。幟には各地の大教会の名前が、提灯には文教会の名前が書かれている。向こうに見える建物は天理大学だ。
神殿はいつもと変わりないように見え、賽銭箱もない。登壇して「おぢば」に行けばあるのかもしれないが、信者でもない僕が行くのは気が引ける。
ところでこの紋、天理市の市章によく似ている。市章は、丹波市町を中心に5つの町村が合併したから、という説明がされているが、これは後付けではないだろうか。
門松もあったが、普通よりも赤い色が少ないような気がした。
ところで近くの田町に祝田(はふりた)神社という社があるが、同じ梅鉢紋が掲げられていた。
由緒書を見ると祭神は豊受であるようだが、なぜこの紋が?
古来、神社は天皇家の管轄とされ、紋は32弁の菊の御紋のはずである。一体どういうことだろうか?
そういえば以前に京田辺の一休寺を訪れたときに一休の墓があったが、後小松天皇の落胤とのことで菊の家紋があり、墓地は宮内庁の管轄となっていた。