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葛城一言主神社

2020-05-08 19:39:00 | 日記
古事記を読むと、「一言主」というかなり異質な神が現れる。
雄略4年、天皇が葛城で狩りをしていたところ、天皇やその供と同じ服を着た一行に出会う。雄略が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い放つ神。葛城の一言主の大神なり」と返答があり、恐れ入った雄略は、弓矢や、供の服を脱がせ、一言主に送ったという。天皇がまるで臣従したかのような記述だ。
日本書紀にもこの話は出てくるが、対等の関係として書かれており、その後の歴史書では逆に一言主が四国に流された、というように段々と立場を低められていく。

雄略天皇は、自分の兄や皇子を殺し、天皇になった暴略の人だ。即位後は武力を背景に諸国を支配し始めた。生前はオオハツセまたはワカタケルと呼ばれ、ワカタケルの名は古墳から出土した剣の銘にあり、倭の五王の「武」だと言われている。これが本当だとすれば、5世紀後半、飛鳥時代の約200年前になる。
征服路線に舵を切った雄略が、何故臣従するような行動を取ったのだろうか。
更に即位前の皇統係争時、目弱王らが葛城に亡命したのを追って討ち、葛城の5or7領を接収したらしいのだが、何故全てを接収しなかったのだろうか。そして目弱王が逃げ込んだ先が何故葛城だったのだろうか。正史に載せるのなら何らかの意味があるはずだが、この逸話は分からない事だらけだ。

検索してみると、葛城一言主神社がヒットした。ここが一言主神社の本社らしいので、行ってみることにした。
国道24号線を右に取り、葛城路に入る。葛城路は山の標高100m位を蛇行しながら進む、幅3m位の細い路。googleを見ると標高100m前後。ここも山の辺の道と同じだ。と言うことは、この辺りが古代奈良湖の水面だったのかもしれない。
神社への路は多難だった。右に鳥居が見えたが鳥居の間は恐れ多く、その左の狭い隙間は運転技術の低い僕では抜けられそうにない。結局大回りして辿り着いた。
境内へ続く石段の右に亀石がある。


社殿はややおおきめの鎮守という感じ。ここは入場料を取らず、願いが一言なら何でも叶えると信仰されている。


眼を引いたのは乳銀杏だった。樹齢1200年と言われ、幹の中央辺りが膨らみ、鍾乳石のように垂れさがっていた。


分かったのはここまで。依然として一言主については何もわからなかった。



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