八咫烏神社というものがあるとは知らなかった。
続日本紀に、”慶雲2年(705年)9月、宇太郡に八咫烏の社を置いた”との記述がある。現在の八咫烏神社は宇陀市にあり、まず同一の神社とみて間違いない。これは是非行かなくては。
宇陀市は、神武一行が迷ったという吉野から北西方向、長谷寺から東に位置する。宇陀市役所から南に向かう県道を行くと、道の右手に突然白い鳥居が現れる。その100m位先に八咫烏神社があった。
祭神は武角身(たけつのみ)命。彼が八咫烏に顕現したとのことだが少し怪しい。武角身は山城の加茂氏の先祖とされ、本来はこの辺りとは関係がないし、記紀にも武角身と八咫烏との関係を示唆する記述はない。当社の縁起文によると、8世紀頃から加茂氏の勢力がこの地で勢力を増し、同氏の祖先を崇拝の対象としてしまったのだろうとのこと。
さて拝殿だが一風変わっている。壁が全くないのである。その先には石段が続いており、立ち入りは禁止されていないようだ。
羽虫と蜘蛛の巣に悩まされながら登ると、赤い神殿が現れた。ここが本殿のようだ。
境内に降りて右手には、八咫烏のユーモラスな像があった。頭にサッカーボール⚽️を乗せている。これはこれでいい。
社務所を覗くと酒樽が供えられていた。その名も八咫烏。こういう乗りは好きだな。
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