なりすけのとらばか日記

なりすけのトレーニング日誌、レースレポートなど

8月3日(木)

2007年08月04日 06時53分17秒 | トレーニング日誌
2日、夜勤明けで帰宅。20分ほど寝てから家の事で打ち合わせ。
その最中にせいこさんから「おじさん危篤状態、すぐに病院に行く。」
と連絡あり。
俺ら3人も終了後、すぐにK里東病院に直行。
病室につくと今までとは違うおじさんの姿が、、、、

このおじさんは、自分にとって第2の父親みたいな人。
せいこさんのおねえさんの旦那さんなので直接血がつながっているわけではないのに、
子供に恵まれなかったおじさんは、僕ととも子さんを本当の子供のように小さい時から面倒を見てくれました。
りょーすけさんのことも、せいこさんのことも本当の弟、妹みたいに思ってくれていました。
休みの度に遊びに連れて行ってくれたりもしました。
大学の時は、通学路上におじさんの家があったのでよく泊まったりもしました。
わが後輩君もあの図々しさでよく食べさせてもらいました。
りょーすけさん病気の時も本当に心配してくれて、お見舞いにも何回も来てくれたし、りょーすけさん亡き後、うちの家族のことを本当に助けてくれました。
ともこさんの結婚式では一緒にバージンロードも歩いていました。

そんな、おじさんも1年前に「急に痩せてきちゃったんだけど」なんて言ってきました。
健康に気を遣っていたおじさんは病気もせずに毎日散歩していたので
「少し歩きすぎたかな?」なんて呑気な事を言っていましたが
その時にはもう病気でした。
その時点で余命半年、持って1年と言われました。
その後のおじさんはすごかった。
病気から逃げることなく、真正面から戦いました。
でもそんな状態なのに本当に周りの人に温かく接してくれるんです。
この人は心底やさしい人なんだなあって感動もしました。
普通、入院でもすればわがままにでもなるのですが、
看護婦さんにも笑顔ですごく優しく接していました。
病気にはなりましたが、この人はずっと生きるって思いました。
こんな感じで病気だけど元気でいてくれると思いました。
五島の申し込みも躊躇していましたが、
申し込みぎりぎりでも体調はすこぶる良好。
この時点で迷うことなく申し込みました。
おかげで家族で満喫できました。

そんな病気だけど元気なおじさんも7月の終わりごろから体調が悪くなってきました。
でも、日曜日には携帯でメールもできたくらい元気だったのです。
だからその4日後に危篤なんて信じられました。

だれの目から見てもわかるくらい最後の戦いをしているおじさんの姿に変わっていました。
翌朝までは持たないと言われ、おばちゃんにせいこさんと自分。おれのいとこのジュンと新宿のおじちゃんの5人は最後まで看取ることにしました。
一生懸命呼吸をして最後の戦いをしていました。

日付が変わった辺りから呼吸に力がなくなって来て間隔もあいてきました。
1時半過ぎに呼吸はほぼ停止。心臓がまだ動いている状態。
その1時55分。心臓も完全に止まり死亡が確認されました。
享年76歳。
静かに眠るように亡くなりました。