1978年12月に大平正芳内閣が誕生した。
大平正芳首相は1978年11月に自民党総裁選に出馬した際、
基本政策に総合安全保障戦略を打ち立てた。
大平正芳首相の総合安全保障戦略は
・資源と市場を海外にもとめる我が国は、世界中のどんな紛争も脅威である。
・我が国が直接の脅威となった場合、単独でも、集団安全保障体制でも不十分である。
・日米安全保障体制と節度ある質の高い自衛力を堅持
・上記のものを補完するものとして、経済、教育、文化等各般にわたる内政の充実をはかる。
・経済協力、文化外交等必要な外交努力を強化。
・平和戦略を基本とし、総合的に我が国の安全をはかる。
というものである。
総合安全保障戦略の内容はごく普通のものである。
しかし総合安全保障戦略は画期的だった。
「安全保障」、「戦略」といった言葉は戦前を連想させるとして忌避・嫌悪されてきた用語だった。
大平正芳首相の総合安全保障戦略は戦後日本ではじめて国家戦略を描いたものだった。
しかし、「総合」という用語を用いて軍事のイメ-ジを薄めた。
安全保障戦略は本来、総合的なものなので総合安全保障戦略と言う必要はないが「総合」とつけ軍事色を消さないと左翼マスコミに批判される可能性があった。