横溝正史シリーズⅡ
黒猫亭事件
1978年 毎日放送 大映京都 映像京都
企画
毎日放送
角川春樹事務所
古谷一行
太地喜和子
近藤洋介
田口計
池田秀一
井上聡子
多賀勝
ひろみどり
田中弘史
山本弘
浜田雄史
野崎善彦
山口朱美
八重垣百合
和田かつら
西田良
小柳圭子
北見唯一
藤川準
沖ときお
幸村三千代
長門勇
原作
横溝正史
脚本
安倍徹郎
音楽
真鍋理一郎
主題歌
茶木みやこ
プロデューサー
青木民雄
香取雍史
西岡善信
監督
渡邉祐介
製作
毎日放送
大映京都
映像京都
後編
糸島繫は昭和12年に逮捕されていた。
金田一耕助は昭和12年の新聞から糸島繫の写真を見つける。
閉店したバー黒猫亭の改装工事をしている工務店の大工は日蓮宗蓮華院の日兆が怪しいと言う。
11月19日の昼、庭の落ち葉を集め焚火していた。
蓮華院の日兆は11月20日に野良犬が庭に埋めてある女の死体を掘ったと言う。
しかし、11月19日の昼、庭に何かを埋めた跡は無かった、と大工は言う。
蓮華院の日兆は証言を翻す。
糸島大伍が黒猫の死体を埋めていたと言う。
10月27日に黒猫亭にいたのは糸島繫ではない、別の女が糸島繫の服を着ているのを見たと言う。
日和警部は、蓮華院の日兆がバー黒猫亭を監視し続けていることは覗き行為だと指摘する。
蓮華院の日兆は、バー黒猫亭の敷地は蓮華院のものなので、蓮華院の敷地を管理して何が悪い、と開き直る。
金田一耕助は日華ダンスホールで糸島繫の写真を見せる。
日華ダンスホールの支配人と踊り子は写真の女は桑野鮎子だと言う。
金田一耕助は糸島繫と桑野鮎子が同一人物であると確信する。
服も髪も純和風で地味な糸島繫
パーマ、洋装、派手の桑野鮎子
顔さえ見なければ、話しを聞いているだけなら、別人に思えた。
糸島繫は、パラソルを刺した洋装の派手な女を女中・お君に見せる。
糸島繫は糸島大伍の愛人・桑野鮎子に殺されると常々言っていた。
その後、糸島繫は奥の部屋に引きこもり誰にも顔を見せない。
糸島大伍と桑野鮎子が共謀し糸島繫を殺したと誰もが思った。
そう思わせることが糸島繫の狙いだった。
金田一耕助は玉ノ井の女郎屋に小野千代子のことを聞きに行く。
女郎屋には糸島繫が頻繁に顔を出していた。
糸島繫と小野千代子はひそひそと話し合っていた。
糸島繫は糸島大伍を恨んでいた。
糸島繫は糸島大伍に食い物にされ苦労させられてきた。
ようやく糸島大伍から逃げられたと思っていたのに、糸島大伍は大陸から戻ってきて糸島繫を見つける。
小野千代子も大陸からの引き揚げ船で仲良くなった糸島大伍に帰国後すぐ女郎屋に売られた。
小野千代子にも糸島大伍を恨んでいた。
そんな時、日蓮宗蓮華院の日兆が自殺する。
日蓮宗蓮華院の日兆は糸島繫に惚れていて、寺からバー黒猫亭を覗いていた。
糸島繫は日蓮宗蓮華院の日兆なら自分の言いなりにできると思った。
なぜか美人扱いされる太地喜和子。
太地喜和子は志村けんファンだった。
志村けんの番組に出演する太地喜和子。
志村けんは太地喜和子をブス扱いし、
志村けん
は
「太地喜和子ブス」
と言いまくり、
「太地喜和子ブス調子に乗るな」
と言う。
しかし1992年10月、太地喜和子の乗る車が桟橋から海に転落。
太地喜和子は水死体で発見される。
志村けんの番組は1980年代末期には古いと思われていたが、
志村けんの番組は志村けん&太地喜和子コントが始まった1990年から視聴率が落ち始める。
志村けんの番組『KATO&KENテレビバスターズ』は太地喜和子の死を予兆するかのように1992年10月直前で打ち切り。
志村けんの番組は太地喜和子が死んだ1992年10月から手が付けられないほど低視聴率になり打ち切りが前提になる。
志村けん代表的番組『志村けんのだいじょうぶだぁ!』は1993年9月末で打ち切り。
「だいじょうぶだぁ」が大丈夫じゃなくなったので「いかがでしょう」と謙虚になる『志村けんはいかがでしょう』も低視聴率。
『志村けんのオレがナニしたのよ』は低視聴率があきらかだったので近畿、中京で放送されない志村けん屈辱。
そして、やはり『志村けんのオレがナニしたのよ』は低視聴率、フジテレビが打ち切り決定。
表舞台から消えた志村けん、「志村けん死亡説」が流行する。
「誰も傷つけない笑い」
と
言われながら
「太地喜和子ブス」
と
言い続けた
志村けん。
水死した太地喜和子
が
あの世から呼ぶよう
に
「志村けん死亡説」
が
出回る。
東京大学出身の田口計。
インテリ演技で魅せていたが
1985年
ビートたけし看板番組
「タケちゃんの思わず笑ってしまいました」
に出演。
羽田健太郎作曲『西部警察PART2/PART3サウンドトラック』
をバックに
ハードボイルドコント熱演した。
ガンダム声優で有名な池田秀一。
素顔はこんな顔だった。