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絵本の楽屋   by 夏野いばら

「ぼくのなかの黒い犬」                  マシュー・ジョンストン:作 岡本由香子:訳 メディア総合研究所

弱者のための、ツールとしての絵本

きわめて、わたくしごと、なのですが。
私が「黒い犬」を飼い始めて、15年余りになるそうです。
…と、他人事のようにしか言えないのは、あまりにもキオクがアイマイだから…です。

一度、この「黒い犬」が成長し、それに憑りつかれてしまうと、もう、何が何だかわからない日々… そして、その巨体に押しつぶされているうち、やがて「これに耐えることに、何の意味がある? もう、何もかも、止めにしたらいいんじゃない?」という悪魔のささやきだけが、正しい声に聞こえてきます。こうなると、飼い主であるわたしが、その「黒い犬」=「うつ病」の本体をとらえることなど、もはや不可能です。

確かに、十五年の間に治療も受け、「黒い犬」が小さく、大人しくなってくれて、私が元気を取り戻した時期もありました。その時は、「よし!出来るだけ、対処法を考えよう」と思うのです。けれども、いつまた「黒い犬」が成長してしまうか、わかりません。私にとって「元気な日」「気分が良い日」は限られていて、とても貴重です。そんな大事な日に、わざわざ、あの「黒い犬」のことなんか、思い出したくもない…。

結果として、この十五年間、私は「黒い犬」に関する学術的な本や啓発本をほとんど読めていません。というか、もう、心情的に手に取れない。読めないのです。

そんな中、精神科の待合室で、難しくも面白そうでもない、けど、すっきりとした表紙の、この絵本に出会いました。読み終えると、私の人生に深く入り込んでいた「私の、黒い犬」の姿が見えてきました。ようやく私は、病いを得て生きる自分の姿を、少し俯瞰してみつめる、その立ち位置を得たのです。

おかげで、巷を飛び交う「うつは必ず治る」「うつは心の風邪」「うつは、誰でも、一度はかかる」な~んて戯れ言に、振り回されることもなくなりました。私は一飼い主として、「私の、黒い犬」について、語ることができるようになりました。「実は私には、こんな、黒い犬がいてね。こいつがなかなか、躾けられなくて」と。

厳密に言えば、これは立派な、うつ病患者とその家族のための啓発本であり、特定の大人のために制作された絵本です。しかし、絵本というかたちでなければ成立しない語りを備えていて、その作者の語りに呼応して、読者は自分の物語を語り始めることができるようになります。

絵本との出会いは、図書室や本屋ばかりとは限りません。病院の待合室に、誰かの部屋に、テーブルの上に、なぜかそのとき、そっと置かれているのが目に入って…。
絵本は、子どもだけではない、弱者のための優しいツール。
つくづく、励まされる事実です。

このツールのおかげで、私は、相も変わらず「黒い犬」を飼いながらも、もう、あの悪魔の甘言には耳を貸さずにすんでいます。代わりに、ダビデが神に向かって歌った、あの詩編の一節を思い出すことができます。

 「たとえ死の影の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
  あなたがわたしと共におられますから」(旧約聖書・詩篇23編4節・新改訳)



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