規格外の苦しみと喜び
私たちは一人ひとり、神に造られた存在、被造物だ。
旧約聖書の中の、ダビデが神に捧げた詩に、こう書かれている。
「それはあなたが私の内臓を作り、
母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。
あなたは私に、奇(くす)しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。」 詩編139編13、14節
しかし、ぐるんぱの場合、問題があった。
彼は「とっても大きなゾウ」。規格外に大きかったのだ。
創造者としての神の存在を認めるかどうかはともかく、私たちは誰でも、大なり小なり、どこか規格外である。自分の何かが、過剰だったり、足りなかったりすることに、苦しんでいる。
だから、規格外のぐるんぱと旅を共にすると、その苦しみが、胸にせまってくる。
しかし、さいごの頁にひろがっているのは、それぞれに規格外れの被造物たちが、被造物であることを共に喜んでいる光景。それは、まさに、天の御国のような。
だから、これは、私たちの憧れの物語。
私たちは、みな、この最後の頁を目指して、旅の途中にある。