文字を持つということ
私の祖父は、自分の両親に、一度も通信簿を見せたことがなかった、という。ただの一度も!小学校から大学までの間、ただの一度も!
明治生まれの曽祖父母は、ともに、字が読めなかったからだ。
曽祖父は漁村に生まれ、学校教育を受ける機会のないまま大阪に出て、運送屋を営んだ。取引先・配達先の住所などは、全て耳で覚えていたという。
だから祖父は、小学校で字を覚えるや、運送屋の即戦力とされた。あて名書きや帳簿付け、何でもこなした。そんな祖父が進学を希望する度に、曽祖父は猛反対した。反抗して家出した祖父を、曾祖母が泣き泣き尋ね当てた、という。
明治から、大正、昭和へ。文字を持たぬまま生き抜いて来て、一度も息子の通信簿を手に取ることがなかった曽祖父。本の一冊も読んだことのない彼には、息子が望む未来を理解することも、想像することさえも、不可能だったのだと思う。
文字を持たぬ人と、文字を持った人。これほどに、大きな格差はない。
個人的な前置きが長くなってスミマセン。
この絵本は、60歳をすぎてから識字教室に通い始めた吉田一子さんが、字に向き合い、それを自分のものにしていく日々を、絵日記スタイルで描いた絵本です。
明るくわかりやすい絵で、一子さんの現在と過去が織りなして描かれ、その生い立ちと生きざまが、胸にせまります。「読めない」とは、こういうことか! 「読めるようになる」とは、こういうことか! 頁をめくるたび、ぐっときます。
「あと書き」にある、この絵本が生まれた経緯も、とても素敵です。いつの世も、人は一人では生きてはいけぬもの。文字を学ぶことはまさに、一人では不可能なこと。だから、誰かが文字を手に入れた時、その喜びはみんなのものになる…!
そんな喜びの輪から、生まれるべくして生まれた絵本です。
「なんで、こんなたくさん漢字、覚えなアカンのー?!」
宿題ノートを前に、文句タラタラの小学高学年あたりのお子さんに、ぜひ、この絵本を! 一読で効くと思います。
そして、私たち大人も、久しぶりにとがった鉛筆を握りたくなることでしょう。
読める、書けるー。その喜びと尊さを、思い出させてくれる絵本です。