ねぎ置き場~ひっそり貯えるネタの貯蔵庫~

(自称!)青春系ダンスユニット○~まる~の左。ダンスやったり、表現したがりな三十路が送るブログエンターテイメント

仕事が手につかない

2015-07-16 22:00:23 | 小説及び小説になりうる原料
そもそも私は仕事に全力になりすぎないことをモットーにやってきていたつもりだ。

もちろん、あからさまにNGなさぼりとかチームに迷惑をかけるという行為を含まない。

自分のモットーとして、仕事だけになること、生きる目的が仕事になるのが嫌だからだ。

また、仕事人間にならないことで、人間味のある授業ができるという逆説的な意味もある。

なので、だ。

仕事が手につかないことになっても、そもそも全力で手をつけないので、あまり仕事に影響はでないと思っていた。

ところがどっこい。
妻が臨月になってからというものの、毎日の仕事への集中力が散漫であることに気づく。
また、同僚への対応や生徒との会話にもいつもの調子が出ない自分がいた。

今は妻のお腹の息子のことが気になって仕方ない。

これには2つの意味で驚いた。

まずは、出産に向かったときの気持ちの変化の凄まじさ

今まで、仕事に影響出ないことしかなかった。言い換えれば、何をやっても仕事くらいどうってこと無かった。

そこに風穴を開けた威力はすごい。

2つめは手抜き工事だらけで、これ以上手を抜けないと思っていた仕事だが、実は意識しないレベルで色々意識していたということだ。

正直、今の仕事に自信はない。誰でもできるんじゃないか、なんて思っていることもある。

でも、集中力が散漫な今、そうでないときの自分が少しはプロであったことに気づく。

仕事に合わせて自分を変えるのではない。仕事が自分を成長させるのだ。

教師、まんざらでもない。

ただ今は、無事に生まれてきてくれー!仕事にならんよ、本当ー!

思い出す余韻の美

2015-07-14 19:00:00 | 小説及び小説になりうる原料
なんでもない日なのに世界がとても静かで、世間はとっても平和に動いていると感じる日がある。

何年経っても、風景を思い出す。風景というよりも感覚を思い出す日がある。

それは、大学で創作ダンスの全国大会で戦った次の平日。

追試験を受けるために降り立った、ほとんど人のいない大学。空はひたすら青く、蝉は遠慮なしに鳴いている。

毎日、毎日練習漬けでほとんどダンス部員としか会話の無かった数ヶ月。

世間はこんなに平和に時が流れていると気づかされる。

追試験が終わってもまだ大学の中を一人でプラプラしてベンチに横になる。

鬼気迫る勢いで過ごしてきた日々にももちろん意味はある。

しかし、切羽詰まって見えなくなっている風景もたくさんある。

それを一気に取り戻すかのような、あの日の空気。

それと全く同じ感覚になった日はまだある。
自分がリーダーとなって全国のダンサーと公演を行った本番から数日後、そのとき負った目の怪我の抜糸に一人東京の病院にいった日。

電車に揺られ、窓から3月のゆったりした空模様をみて、バスに乗り、平日のすいている病院に降り立った。

当たり前のことだが、人々は穏やかな表情で自分と向き合っていた。

病院の吹き抜けから差し込む陽光に、もう公演は終わったのだと気づかされた。

没頭と余韻。

詰めとゆとり。

その2つが世界を成り立たせているに違いない。

同じような青空の日。

よくこれらの日を思い出す。

詰めすぎるな、たまには止まれ。
そう言われているようにも感じる。

森三中大島の出産テレビ放映について

2015-07-09 18:52:10 | えらく心が動いたことシリーズ
よく言われている


「かわいそう。そこまでテレビに魂を売るのか」という意見もあるが、

かわいそうとは一番本人が言ってほしくない言葉だと思う。

テレビ局にやらされている。もしくは、身体を張って、自分の出産をもネタにしている。

ということだと思うが、私は大島さんがそういう風に行動したとは思えない。

人は生きていく上で、譲れないものが一つはある。心の寄りどころであったり、プライドとして持ち続けるものであったりだ。

それとは別に人生には乗り越えていくライフステージがある。

卒業、就職、結婚、妊娠、出産…

その一つ一つを自分らしく乗り越えたいという気持ちは不思議ではない。

みんなと同じようにいくことを目標とするのは、自分が生きてきた後としてはなんとなく物足りないように感じるのではないか。

そこで現れてくるのが、自分の譲れないものなのだと思う。

それがしにくい時代である中で、大島さんは芸人として「生む」ことを決めた。映像に残すことを決めた。

バカだバカだと言われるのは気にしない。それが大島さんが望んだ出産であり、大島さんが残したかった生き様なのである。

非難はされるかもしれない。ニーズはないかもしれない。

それでも頑固にカメラをつける意志についてはちょっとだけ理解できる。

それが大島さんにとって生きているということなのだろう。

息子を初めて見たときの大島さんの顔は、みるみる母の顔に変わった。
大島さんの息子には息子の人生を歩ませてほしい。新たな譲れないストーリーが始まる。

らしく

自分らしく無理せず、譲れないものは譲らず、出産に臨んでほしいと思います。

らしく


自分らしく自分の目で見たものに感動することを期待して、生まれてきてください。

もうすぐ会えますね。


兄弟

2015-07-05 21:54:33 | 愛犬「豆之助」の何気ない一言


俺が生まれたときに兄貴は8歳。
かすかに覚えている記憶で、兄貴に抱っこされているものがある。
親に聞いたら、当時はずっと兄の真似をしてくっついていたらしい。
あれからプラス32年。
兄貴は先日40才になった。
もう兄貴についていく時代は終わってしまった。
二十歳を越えて、お酒を交わすようになってからはもうどちらが上というのもない。
しかし、俺の幼少期、大きな育ての仕事をしてくれたことは間違いない。
早く幸せになれよ!
長生きしろよ!
早く嫁見つけろよ!
痩せろよ!

根岸家の長男。

今度うちにも長男が生まれる。

やさしいところだけは似てもらってもいいかな。

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