ねぎ置き場~ひっそり貯えるネタの貯蔵庫~

(自称!)青春系ダンスユニット○~まる~の左。ダンスやったり、表現したがりな三十路が送るブログエンターテイメント

綺麗なものを綺麗といえる人になりたい

2016-08-29 21:50:00 | えらく心が動いたことシリーズ
周りの情報が多すぎて
余計なしがらみが多すぎて
自分に自信がいまいちもてなくて
周りと違うことを言うことが怖くて

なんとなく綺麗という
なんとなくおいしいという
なんとなくかわいいという
なんとなくかっこいいという
なんとなくすごいという
なんとなく自分もそうかもという
なんとなくまた来たいという
なんとなく今までで一番という
なんとなく周りと同じことをいう

なんとなくで自分の気持ちを言わされているに過ぎない

自分の気持ちは恐らくはもっともっと複雑で自分では言い表せないかもしれない

空が青くても
青いというのは当たり前すぎて
綺麗という言葉が普通だから綺麗といってしまっているかもしれない

全くの嘘ではないが
全くの本心では全く無い

そう言うことに慣れすぎて
本当に綺麗なときに綺麗といえるのか心配になってきた

本当においしいときおいしいといえるのか
本当に一番すごいとき一番すごいといえるのか

嘘で自分は満たしたくない

たまには気持ちと表現が一致するくらいの刺激的な体験をしてみたい




真っ直ぐ歩けないのは自分が歩かないから

2016-08-28 22:24:00 | えらく心が動いたことシリーズ
自分にやりたいことを真っ直ぐやることで必ず遮るものが現れる

その遮るものをどかして真っ直ぐいくか

ぶつかるのが面倒で迂回をするか

迂回をすると戻ってこられなくなるかもしれない

元の道がどこかわからなくなるかもしれない

もともと一本道なはずだったのに

自分で分かれ道をたくさんつくってしまって

何が自分のやりたいことかがわからなくなってしまう

そんなに複雑だったか
僕らの進む道は

そんなに歩きづらかったか
僕らの進む道は

やりたかったら
ぶつかることを恐れるな

きっと迂回するくらいなら
初めから歩かない方がまし

ゴールにたどり着けないのは自分のせい

今から間に合うか


間に合うに決まっている

リミットを決めているのも自分自信だからだ

できるよ今から
歩けるよ今から

縛られるものは自分でつくっている

とりあえず何も考えずに
真っ直ぐ歩いてみようか

ヒントなどいらないが
気が付けば広大な空が広がっている

まだまだ全然登れるから

2016-08-23 20:58:00 | えらく心が動いたことシリーズ
たまに
「いつ死んでも後悔しないように毎日を全力で生きている」
と公言している人と出会うことがある。

とっても素敵なことだし、毎日が充実していないと言えないことだから、すごいなぁ!と思うのと同時に自分はそんな風に生きられないと思う。

自分もその時に出せる全力の自分で目の前のことに立ち向かっているつもりだ。

しかし、それは死ぬことを後悔しないために頑張っているのではない。

なりたい自分の大きな山の山頂にたどり着くための最低限のプロセスだと思っている。

小さな全力はその日で終わるものではない、と僕は思っている。

すぐに満足できる目標は大きな成長には繋がらないし、すぐに渇いてしまう。

僕はいつもたくさんの全力とたくさんの渇きで生きているような気がする。

なりたい自分は大きな大きな山の一番てっぺんにいて、毎日を全力で生きるだけではたどり着かない位置にいる。

したがって、常にこのままでいいのかと自分に問いかけ、たくさんのミラクルで登り続け、いつしか夢を達成するように思いを持ち続ける。


だから、いつ死んでもいいなんて口が避けてもいえない

いつ死んでも後悔する毎日を過ごしている

それは上への渇望で、毎日をステップアップで生きているということ

本当に僕は登り始めたばかり
大きな山を登る毎日は飽きない

それを登りきったときに
初めて「ああ、自分は毎日を全力で過ごせていたんだ…」
と振り返ることができると思う

どうしようもないくらい歯がゆい日もあるけど

なりたい自分に出会うために
明日がいつも楽しみだ

20年後のホームイン ~Nコーチの話~

2016-08-21 11:05:00 | 小説及び小説になりうる原料
地元に帰った。
ちょうどその日は近所のお祭りで、町内はざわざわしていた。
小さな公園ではあるが、屋台もそこそこあり、活気に満ち溢れていた。

母と合流し、いよいよ祭りの中へ。

「Nコーチいるけど、話すかい?」
と言われたが、なかなか気が進まない。

少年野球でお世話になったNコーチとは、当時僕たちの少年野球団の中で一番エネルギーがあり、メインとなってチームを率いていた人。

別の角度から説明するとすれば

鬼コーチ

昔ながらのやり方で、ミスがあれば思い切り怒鳴り、肉体的にもしごきをする人だった。

僕は特にとろかった上に、ほとんど試合では活躍しない選手で、チームの人材がいなかったがためにレギュラーだったに過ぎなかった。

Nコーチはもちろん僕に怒鳴ったこともあったが、目は他のメインの選手に向いていた。

なので、20年の時を経て、僕を覚えている可能性は限りなく低い。そういう理由で僕は年甲斐もなく尻込みをしてしまったのだ。

「おお、根岸くんか!瞬足の根岸くん!」

Nコーチは気さくに僕に話しかけた。すっかり変わってしまったお互いの風貌を気にせず、にこにこしながら話を続ける。

「ピッチャーの○○は医者になり、キャッチャーは弁護士に!やー、あいつはなんだったかな…。」

Nコーチは卒業した後のチームメイトのことをよく知っていた。まるでみんなのお父さんかのようににこにこしながら話した。

その口振りは嬉しそうでもあり、なんとなく野球から離れて寂しそうという雰囲気も醸し出していた。ビールを片手に地元の祭りを見つめる姿は、あの日ベンチで鬼のように試合を睨んでいた姿とは似ても似つかない。

でも

僕のことを認識してくれた。
空白の20年を埋めてくれた。

僕は地元を早々に離れ、祭りへはもっと早くから行かなくなっていた。

もう地元に僕はいなく、
僕がいないという前提で街のみんなは生きていたはずだった。

したがって、祭りに戻ってくることはできず、あくまでも余所者としての帰郷に過ぎなかった。

Nコーチは僕の存在を認めてくれた。僕は帰郷したのだ。

どんくさい僕はホームベースへの帰り方もしらなかった。
ようやく、20年越しのNコーチの激で僕は僕の街へたどり着いた。


先生は自分のプライドごときで生徒を怒るな

2016-08-18 20:59:00 | えらく心が動いたことシリーズ
ものすごい久しぶりに
小学校のときの出来事を思い出した

小学校四年生
教室
何となく毎日が退屈だった

自分はものすごいいい子ちゃんで
怒られることが嫌いだった

きっと
先生達にとっては手の掛からないいい子だったと思う

そして
おそらくそれはイコール印象に残らない大多数の生徒の一人だったに違いない

授業中
何となく大きな口を開けてみた
目立ちたくない自分の何気ない遊びだったのかわからない
今でもなんでそんなことをしたのか不思議だが
いい子にしているだけを良しとする毎日の学校生活を変えたかったのかもしれない

大きな口を開けていると
先生の顔がみるみる変わっていった
ついには授業を止めて僕の方を睨みつけた

「アクビをしているアホがいる。」

みんなは超いい子ちゃんの僕のこととは思わずに犯人探しを始めた

「一度ではなくて何回も。それは先生の授業を聞く気がないということだ。もう聞かなくていい。」

最後まで名指しをしなかった先生はその後もくどくど集中力が足りないだの説教のようなことを続けた

冤罪ともとれない
好奇心で口を開けたばかりに
授業の20分を使って怒られる


そのとき僕は
目立つことは学校でしてはいけないということを悟った

そのとき僕は
みんなと同じ風にすることが一番偉いことなんだと悟った

それから僕の心は
空っぽになって
自分を出すことをやめた

学校にとってのいい子を目指した


今にして思えば
先生にとって渾身の授業で
アクビ連発をしていた生徒がいたら
それは腹が立つだろうとは
思う

でも

それでもだ

その怒りとは
その説教の原動力とは

先生のプライドを傷つけられたからではありませんか

先生だって人間だからそういう部分もあって然りかもしれない

でも
上手に授業をすること
自分が気持ちよくなること

それをするために
先生になったのですか

自分の意に沿わない生徒はダメな生徒ですか

久しぶりに
思い出し

当時の自分の
枠にはまりっぷりが
たまらなく歯がゆく

今の自分は
自分を表現できているか

考えさせられる回想だった

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