言霊(ことだま)と言葉は全く違うものであるぞよ。神の御魂(みたま)から出て降りて来るのが言霊、人の身心(みこころ)から出るのが言葉である。
言葉は「言の葉」と申し、風に舞う木の葉のごとく気ままに漂い時にはウソも方便と風の吹くままコロコロと変わり真実を持たないのが言葉である。
言葉には相手を喜ばせたり楽しませたり救いもあるが刃物のごとく相手を突き刺し心を引き裂いてしまう事すらあるのである。
神が降ろす言霊はウソ偽りが無く神の心そのままに聡明で曇りが無い清らかなものであるぞよ。例え激しい口調でありてもそこには慈愛があり親心が込められておる。だからこそ人の心に沁み入るのであるぞよ。心に火を灯すのであるぞよ。
言霊は人の心や口に降ろすものである。それは特別な者が伝えるのでは無くまた受け取るのでも無く、誰もが神の子の使いとして言霊を必要とする者に伝え、また受け取る事が出来るのである。
しかしながら言霊をせっかく伝えてもその者の心が清らかで慈愛に満ちていなければ神の御心を伝える事は出来ず、受け取る者も常に身と心を清め、何事に対しても感謝と謙虚の気持ちを持って暮らしておらねば気付きも無いぞよ。
感謝と謙虚の気持ちで暮らしておれば必要な時には必ずや言霊により導きをやろうぞよ。毎日ひたすら精進あるのみであるぞ。
言葉は「言の葉」と申し、風に舞う木の葉のごとく気ままに漂い時にはウソも方便と風の吹くままコロコロと変わり真実を持たないのが言葉である。
言葉には相手を喜ばせたり楽しませたり救いもあるが刃物のごとく相手を突き刺し心を引き裂いてしまう事すらあるのである。
神が降ろす言霊はウソ偽りが無く神の心そのままに聡明で曇りが無い清らかなものであるぞよ。例え激しい口調でありてもそこには慈愛があり親心が込められておる。だからこそ人の心に沁み入るのであるぞよ。心に火を灯すのであるぞよ。
言霊は人の心や口に降ろすものである。それは特別な者が伝えるのでは無くまた受け取るのでも無く、誰もが神の子の使いとして言霊を必要とする者に伝え、また受け取る事が出来るのである。
しかしながら言霊をせっかく伝えてもその者の心が清らかで慈愛に満ちていなければ神の御心を伝える事は出来ず、受け取る者も常に身と心を清め、何事に対しても感謝と謙虚の気持ちを持って暮らしておらねば気付きも無いぞよ。
感謝と謙虚の気持ちで暮らしておれば必要な時には必ずや言霊により導きをやろうぞよ。毎日ひたすら精進あるのみであるぞ。