極貧糖尿生活始まる

極度の貧乏と、戦いながら、糖尿に打ち勝つことを決めた中年男の徒然日記

貧乏人が貧乏人を呼ぶ

2011-02-19 21:50:58 | 日記
貧乏人の周りには、貧乏人が集まってくるという法則があるらしい。

あるとき、私は、営業の帰りに公園で、くつろいでいた。
ふと、前を見ると、初老の男性が、私のもとへ近寄ってきて、
何か話しかけてきた。

”すいませんが、100円、もらえませんかね
タクシーに乗りたいんですけど、あと100円あれば、
乗れるんですよ”

100円くらいだったら、と思い”いいですよ、ちょっと待ってくださいね。”といいかけて、自分の財布を
とりだそうとした瞬間、私は思い出した。

実は、手持ち、163円しか、ないことを。

そんな、馬鹿なあー、ハハハ。家に帰れば、あるんでしょ?
なんて、言う人がいる。


いや、本当に、ないのだ。私は、この163円で、どうやって、
この1週間を生き抜こうか考えていたところなのだ。


そうもしているうちに、横にいる老人は、
あの、100円で、いいんです。もらえたら、本当に助かるんです、”と、けしかけてくる。

”爺さんよお。あげたいのは、山々なんだ、でも、俺も163円しか、
ないんだよ。もっと金のある奴に頼んでくれいっ!”(心の声)
なんて、いえるわけもなく、

”実はねー、今、持ち合わせが、ないんですよ。
ごめんなさいねえー。”とやんわりと断ろうとした瞬間、

その老人は、なんと 掌をひろげて、
私にみせてきた!

んんっ??水戸黄門かっ!?

”ほらっ、みてくださいよ、ここに、いち、にーさん、しいー.
100円玉が、あるでしょう。ほんとに、あと100円さえあれば、
タクシーに乗って、病院まで、いけるんです。”


私の目の前につきだしてきた、老人の掌を見た瞬間、
一瞬、言葉を失った。
それは、まぎれもない、ゲームセンターなどで、使われる、あれだ。
そう、ゲーム専用のコインだったのだ。

言いにくい気持ちもあったが、
”あのうーっこれゲームのコインですよ
これ100円じゃないですよ”
と老人に、いうと
一瞬、びっくりしたような表情をして、それから、まら、すぐに
懇願するような眼差しで、私に訴えてくる。

それでも、金のない私は、どうすることもできず、
老人は、がっくりと肩を落とし、去っていたのだ。

正直、100円くらいなら、はい、どうぞ!といえる、そんな自分だったら、
となんだか、とても、惨めな気持ちになってしまった。

一昔前だったら、知らない人間に、お金をください、なんていう人間を
みかけることは、ほとんど、なかったように思う。

だけど、今は、みんな困窮してるのだ。

こんな極貧生活をしている私にまで、すがろうとする人がいる。

でも、貧乏神にとりつかれた者同士が、助け合おうとしても、
どうすることも、できない。

本当に、悲しく、惨めなものだ。

もしも、金持ちになったら、そのときこそは
とは敢えて言わない。

次に貧乏神にとりつかれた人間が金を懇願してきたら、
そのときは、貧乏神を追い払えるだけの気迫と、そして充分な
財布の中身がほしいものだ。

そのとき、こそ、叫んでやる!
”貧乏神めっ!もう来るんじゃないぞ!これ以上、増えなくて
いいんだぞー!”と。





うちは、やってないんですよ。

2011-02-19 10:04:45 | 日記
今日、コンビ二に行ったら、アルバイトの親父から、そう言われた。

”お前の話は聞かないぞ!、でていけ!”
そう、いわんばかりに、ぶっちょう面で、こっちをみたのだ。

俺は客なのに、なんて扱いをするんだ、このやろう!
絶対にこんな店には、もうこないからな!
 (心の中で、私は大声で叫んでやった)

そそくさと店をでて、靴底が、ぱっかりと剥がれ素足がむき出しになった右足をみつめる。

なんってこったい。

今日は、血糖値をさげるため、1時間半のウォーキングを達成するべく、
家をでたっていうのに、この有様だ。

家を出て、1時間ほどして、右足が、スースーしたので、みてみると、
なんと、私の靴底は,外れていた。
正直、自分の眼を疑いそうになったが、本当の話だ。

こんなことが、起きるなんて、私は、どこまでも、ついていない。
あの、賞味期限切れの恵方巻を食べたつけが、回ってきたのか
涙の恵方巻をご覧ください)
貧乏神が、ついてるどころか、こうなったら、何か、悪霊にとりつかれてる
のでは、ないかと首をかしげたくなる。


壊れた靴をパカパカと鳴らし、半ば、足をひきずるようにして、
やっとの思いで、歩いているというのに 救いの手を差し伸べる心優しい
人間は一人もいない。皆、冷ややかな視線をこちらに向けるだけなのだ。

必死の思いで、やっと、ビニール袋がもらると、たどりついたコンビニでは、”2度とくるんじゃねえ!お前なんぞに、やれる袋なんぞ、ないわい!”と言わんばかりの態度で、ひどい扱いをうける。

まあ、いきなり、靴底の剥がれた靴を履いて、片足をむき出しにした客が
来たら、びっくりするのも、無理もない話だが。


こんな状況に陥る人間は、そう沢山いるもんじゃないといってしまえば、
それまでだが、自分がもしも、困った状況に陥ったら?ということをおそらく、奴らは考えたことも、ないのだろう。

当たり前に洋服を着て、靴を履いて、ご飯を食べて、、、
そういう生活になれすぎてしまってる奴らに、困ってる人間の痛みなぞ、
分かるはずがないのだ。

ただ、いつも、思うことがある。

たとえ、貧乏でも、どんなに人からみて、惨めな生活を送っていたとしても、人間としての誇りだけは、忘れたくないと思う。

自分が極貧の中で、苦しんでるからといって、、他の奴らなんて、どうでもいいとは、思いたくは、ないのだ。

困っている人がいたら、自分に出来る範囲で何かしてあげられないだろうか、そう思うのが、人間として、普通のことだろう。

残念ながら、最近は、そんな考え方を普通にできる人間が、ほとんど、
いなくなってしまった。
金がある、無しにかかわらず、自分のことだけを考える、

それが、今風の生き方なのならば、日本人なんて、民族は、いなくなってしまったほうが、いいのでは、ないかと思う。