☆認め合い、分かり合うためには☆
私たちの年代は、、、
というと違うという人もいるとは思うのですが、
子供の頃いっぱい遊んで、いっぱい喧嘩して、
そしていっぱい仲良しした、、、
そんな時代だった気がします。。。
好き嫌いだってはっきりしていて、
怒ったり、笑ったり、喜怒哀楽がはっきりしていた、
そんな気もします。。。
きっとこれは年代ではなく、
人によってだと思うのですが、、、苦笑。
表情の曇った若者が多いなぁ~
本来の自分を生きていない、、、
それに対しての原因やトラウマがある場合も多いけど、
悩んでいるでもなく、トラウマがあるわけでもなく、
周りとは一応揉め事もなく仲良し、
喧嘩も文句もそうあるわけではなく、
だけれど、、、人と強いつながりがあるか?というと、
さほど人とは深くかかわらないから問題もない、
けど、、、自分らしく生きれていない、、、
なんだかそんな流れがあるような気がします。。。
怖くて本心を伝えられない、、、
喧嘩はいけない、喧嘩は怖い、、、
穏やかなのが一番イイィ~
それはそうだけど、、、
時には自分を表現しなくては、以心伝心はないしね、、、
黙っている間に、、、
自分がどうしたいのかわからなくなって行く、、、
そんな迷路に入ったことはないかな?
離婚率が高いのも、、、
結婚がなかなかまとまらないのも、、、
コミュニケーションが足りてないからかもね。。。
イベントをたくさんの方々と企てる中でも、
意見の相違はあって、
相手がわかるまで喧嘩もあり、揉め事もある、
きっとそれは友達関係、結婚、家族もそうなんだと思うのです。
そんなことを繰り返しながら分かり合ってゆける。。。
私はどちらかというとハッキリしているタイプなので、
丸く、仲良くを選ぶタイプの方からは、敬遠されるかも(^_^;)
本心を正直に表す分、
的も絞れて、事が進む分、
敵も味方もはっきりするけどね、、、苦笑(=^・^=)
今日の心屋さんの発信♪
とてもとても納得できます。。。
たくさんのご相談を聞きながら、
本当の自分の想いが何なのかわからなくなった若者たちの裏側に、
もしかすると「褒める」の副作用があるかもしれませんね。。。
若者だけではないですよね、、、
当の私も、、、
最近まで自分の本当の気持ちが選べなかった、、、。
色んな要因のひとつ。。。
褒めるの裏側にあるエゴ。。。
知らず知らずに親の顔色や、職場や仲間の反応をみてしまう、、、
そして自分を表現できなくなってゆく、、、
少子化で、教育熱心、、、
親の都合の良いように知らず知らずにコントロールしていた、、、かもよ。。。
エゴなしに子育てするって???
気づかされた発信でした。
良かったら長いですが、、、どうぞ♪
(私の勝手な解釈なので流して読んで下さいねェ~♪)
「褒めるが作るトラウマもある」
これは、本当の意味での
「トラウマ」というかどうかは別にして・・
心屋の手法では、
過去のトラウマや、体験に
根本原因を探すことが多いのですが、
いくら過去の体験を探しても、
そんなに辛いことや
ひどいことされた覚えもない、
だけど、やっぱり
自分に自信が持てなかったり
嫌われることが怖い・・・
というひとも少なくありません。
だから
「愛されてる」って
なかなか信じられないのです。
というのも、
よく聞く話です。
最初にお話ししたように
心屋は過去に根本原因を求めます。
その時に、悲惨な、
それこそ「トラウマ」になるようなものが
思い出せない場合、
次のようなことをお話しています。
--
それは、
「褒められて育っていませんか」
ということです。
「褒める」というのは
子育てにおいてとても大切だし、
どんどんやればいいことだと思うんですが、
褒め方を間違えてしまうと、
子供や、人の心に
「恐怖心」を植え付けてしまうこともあるようなのです。。。
それが
「何か出来たときにほめる」
ということです。
え??
あ、当たり前ですよね。
でも、これが
子供やひとのこころに
「恐怖心」を植え付ける。
(全てではありませんのでご注意ください)
「できたとき」に褒める。
赤ちゃんの時に、
・初めて食べた
・スプーンを持った
・這った
・立てた
・歩いた
周りは大喜びします。
褒められた本人も何か楽しくてうれしくなります。
大きくなってからも
何か出来たら、褒める。
何か達成したら、褒める。
いいことしたら、褒める。
そうすることで
本人が嬉しくなって
どんどん成長する、
どんどんまた次の仕事に取りかかる。
だ
か
ら
褒めましょう、と。
そりゃ、そうです。
でも・・
いいことの裏側には
必ず、リスクがついてきます。
つまり
「褒めるとき」は
「褒める人の価値観に合ったときだけ」
ということです。
「褒める人」の
「思い通りになったとき」に褒める。
逆に言うと
「褒める人」の
「思い通りでない場合」は、
褒めてもらえない、ということ。
そして、
「褒められないとき」は
どうなるのかということです。
これが、子育てでも同じです。
100点取って、褒められた。
90点だと、がっかりされた。
99点だと、ちょっと褒められた、
励まされた。
20点でも褒める親と
99点でも褒めない、
100点でも当たり前の親もいる。
褒められたくて
頑張る
褒められるのが嬉しくて
努力する
褒められないと
苦しい。
そう
「褒め中毒」
「褒め依存」
高じて
「褒められて当たり前の自分」
「褒められないと価値がなくなる恐怖」
「頑張りから手を抜けない」
「出来ない自分は受け容れられない」
という「副作用」の誕生です。
「一杯褒められて育ってきた」
ことの「副作用」による、
知らない間についた
心のトラウマです。
褒められた
褒められた
褒められた
褒められた
が続いた後に
「褒められなかった」
があったときに、
「なんでだろう」
「何が悪かったんだろう」
「嫌われたのかな」
「ダメだったのかな」
と、混乱し、わからず恐怖になる。
と、
「悪い意味での、自分のダメ探し」
が始まることもあるのです。
でも、これは個性によって違います。
--
じゃーーーーー、どうすればいいの?
となりますが、
結論から言うと、
どうもしなくていいです。
今まで通りでいいです。
褒めて伸びる子もいれば
こういうトラウマを持つ子もいる。
それは、コントロールできないものです。
そして、
それでも褒める方が
効果はあるでしょうから
どんどん行けばいいと思います。
ただ、イルカやアザラシの調教のように
「褒め」を使うと効果が高いぶん、
ひとを「コントロール」するために
ひとを「時゛分の思い通りに動かす」ために使うと、
こういう副作用もあるんだな、と
覚えておくといいだけだと思います。
「こんなに“自分なりに”がんばったのに、
認めてもらえない・・自分はダメなんだ」
という強烈な副作用です。
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それでも、あえて言うなら
「褒める」よりも「認める」ということ。
つまり、
出来たときも
出来なかったときも
普通の時も
「どんな状態でもお前が大切だよ」
というメッセージを送り続けること。
コントロールの褒めでもない、
子供に媚びる承認でもなく、
「どんな状態でも」認める。
そして、ねぎらう。
努力した時も
努力できなかったときも
うまくいったときも
失敗した時も
「いつもあなたのことを見ているよ」
声をかけずとも、
ただ、認める。
言うのを忍ぶで、認める。
そう「ちゃんと見ているよ」
というメッセージですね。
しつけとして
怒ったとしても、
自分の気に入らないことをされて
腹が立つことがあったとしても
「大基本」として、
認めているよ、と。
--
とはいえ、
そーんな神様みたいなこと
なかなかできませんし、
だからこそ
そういうのにチャレンジして
行くのも面白いかなと思うんです。
色んなトラウマがあるからこそ
ひとは
生きるエネルギー、
成長のエネルギーになるのでしょうし、ね(*^_^*)