ロンドンのPUBで二週間に一度開催されるRussian English Clubにたまに参加しています。先日会ったエカテリンブルグ出身のサーシャは私が住んでいたペルミの隣町の出身です。隣町と言ってもペルミから列車で5時間かかります。私もこの列車で5時間かかるエカテリンブルグへ数回行ったことがあり、一度はペルミでの仕事で大事なイベントの後、大急ぎで列車に飛び乗り5時間揺られ、エカテリンブルグでもまた大事な出来事をこなしと、忙しなかった思い出があります。あとはこのイギリスへ来るための英語のテストを小さなペルミの街では用を足さずわざわざエカテリンブルグの街へ受けに行き試験後ひとりお寿司を食べた記憶があります。夕方、雪が降り積もった教会が綺麗だったのも覚えています。
そのエカテリンブには街の象徴であるテレビ塔がありなんと30年以上も未完成だったらしいです))さらに街のシンボルであったのにも関わらず、今回スタジアムを作るということで跡形もなく取り壊されました。正確には爆破されその微塵もなく片付けられる様子をビール片手にサーシャと動画で見ながらゲラゲラ笑いまたしてもロシアの計画性のなさに舌を巻きました。場当たりとその場しのぎで進んでいくロシアのやり方をイギリスのパブで強烈に思い出し、あの国の経済力の発展のなさ、一労働者としての仕事遂行の難しさ、論理に裏付けられた方針など微塵もないことなど、それらが降りかかってきたときの恐ろしさを思い出し、自分は本当にまたあの国へ戻りたいのだろうか、と問わずにはいられませんでした;)
そのエカテリンブには街の象徴であるテレビ塔がありなんと30年以上も未完成だったらしいです))さらに街のシンボルであったのにも関わらず、今回スタジアムを作るということで跡形もなく取り壊されました。正確には爆破されその微塵もなく片付けられる様子をビール片手にサーシャと動画で見ながらゲラゲラ笑いまたしてもロシアの計画性のなさに舌を巻きました。場当たりとその場しのぎで進んでいくロシアのやり方をイギリスのパブで強烈に思い出し、あの国の経済力の発展のなさ、一労働者としての仕事遂行の難しさ、論理に裏付けられた方針など微塵もないことなど、それらが降りかかってきたときの恐ろしさを思い出し、自分は本当にまたあの国へ戻りたいのだろうか、と問わずにはいられませんでした;)