ボクの担当医の立場からだと、自分はDSM-4等の「気分障害」区分の「双極性障害のⅡ型」になるそうである。
双極性障害というと昔でいう「躁鬱病」の一種であるのだが、アメリカ精神医学会やWHOの最近の考え方では「気分障害」の中に「うつ病」も「躁鬱病」も区分される。そしてはっきりとした「躁鬱病=双極性障害-Ⅰ型」ではない波の小さいものを「双極性障害-Ⅱ型」と区分している。
うつ病学会・双極性障害委員会ではこの新しい気分障害-双極性障害Ⅰ及びⅡ型を「双極性Ⅰ型障害」「双極性Ⅱ型障害」と表記している(以下からその表記)。
この病気は一見するとうつ病としか見えない。
なぜならばいわゆる「躁状態」はわずかであり、しかも極端な躁ではない。だから長い間観察していかないと「双極性Ⅱ型障害」という診断はつかないこととなる。
もう一方でこれはNHKも特番で報じたことであるが、最新の脳内物質型抗うつ病薬(SSRI等)を不用意に使い続けると、もともと双極性Ⅱ型の傾向をもっていた人はそれが悪化させるはめとなる(経験の浅い精神科医、心療内科医でよく起る)。もともと双極性Ⅱ型を持っていなかったうつ病の人でも、安易に医者がSSRI等を多量投与すると双極性Ⅱ型障害の症状が発症してしまう。このことはすでにうつ病学会でも厚生労働省からも注意喚起がだされている(って、いままでSSRIが「安全だ」といっていた同じ学者が「注意喚起」というお粗末さだが)。
双極性障害研究者加藤忠史氏は「元々うつ病と診断された潜在的双極性障害の人が抗うつ薬によって躁転しているだけ(要約)」と自著で言及している。ただもしそうだとしてそれで躁が酷くなったり、間違った抗うつ薬投与によって急性交代型に進展するならやはり医者にも多少の責任があると思う(5/20追記)。
自閉症・発達障害でもそうだが、双極性障害でもスペクトラム(光等の分散・虹色)概念を用いる。つまるところ、双極性症状も人によってⅠ型の人からⅡ型あるいは違った症状(グラデーション)の出方があり、それはひとつの型に特定することはできない、という立場だ。これも病理学がアメリカのDSMの統計学的分類によって頓挫してしまった証でもあるし、方便でもある。つまりはっきりとした病名などつけられないのだ。
一方で、双極性Ⅱ型障害自体が日本の医療者や一般にある程度注目注意されたのは「うつ病新時代-双極性2型という病/内海健(精神科医・病理学者)」の本のお陰だと思う。この本出版の前後には悪意はなくとも「誤診」的なSSRI等の投薬が開業クリニック等で行われた。つまり便利なDSM等の統計学的なチェックシートだと「うつ病」と「双極性障害Ⅱ型」を見分けることはほぼ不可能である。うつ病との診断下でおこった軽躁時に、本人もまた医療者も「うつ症状が改善した」と考えても、「軽躁である」との注意をしない。
結果、ボク自身もそうであるが運が悪いと「双極性Ⅱ型障害」と診断がつくまで、長い間「うつ病」として治療を受けることとなる。「病名が変わること=今までの治療時間・努力の無駄=適切な薬物療法ではなかったこと」を考えるとそれを受け入れることに自分自身非常に時間がかかった。
従来の躁うつ病の立場でいくなら、双極性障害の遺伝的な傾向はうつ病よりも強い。
ただ元帝京大の内海健先生の様に現代社会病理学的な立場から、「物語(理想・目的)の喪失」によってこうした病気が発症しやすい社会環境が起こっている」と指摘する立場もある。ちょっとニーチェの予言した「ニヒリズム」やポストモダンを思い起こさせるところはある。
一方で現場主義的な九州大学教授だった神田橋條治先生の様な「双極性障害に内省してもどうか」という立場もある。
ただ中井久夫先生と同じで神田橋先生もある種の「天才」であるので、じゃあ誰でも神田橋先生の様にクライアントと対応できるかといえば疑問も残る。
神田橋先生の双極性障害は「おじいちゃんとかおばあちゃんとかもそうじゃない?」と前置きした上での「体質だよ」という言い方、「気分屋的に生きれば、気分は安定する」という言い方は名言であるとは思う。
なんにしても医者や周囲の病気に対する「眼差し」で患者自身の病識もかなり変化するのだと思う。
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