いわきアッセンブリー教会ブログ 

恵みをシェアするブログ

奇跡

2018-10-06 | 日記
ニック・ブイチッチさんのインパクト大の言葉をご紹介します。

「自分に奇跡は起こらなくてもいい。
 私を通して、他者が奇跡を体験することを望む」

 私、私、私、、、と自分のことばかりの世の中にあって
 自分ではなく、他者に奇跡が起こることを望む彼。

 彼が、何か能力的に優れていて、高学歴で財産をもっていて、仕事も順調という人であるなら分かるのだが、
 手足がない障害の彼が言い得ていることは、大いに注目すべき点であります。

 生きる望み、力を失い、暗やみの中を歩む者が、生きる希望に満ち溢れ、勇気と力が与えられ、立ち上がる奇跡を私も見たい。
 奇跡を体験できますように。

 祝福

静まること

2018-09-13 | 日記

現代を生きる上で欠かせないものとは何ですか、、、。
携帯電話やパソコンという人が多いのだと思います。
携帯電話を手放すことができず、何時間も携帯を見つめる人。
しかし、その情報に溢れた生活が、自分にとって本当に欠かせないものなのだろうか。


「静まる」こと。一人静り自己の心を見るとき、大切なことが見えてきたり、教えられたり、
誤ったことを反省し、矯正できたりします。そういうことは頭では理解しているが、携帯電話がやめられない。それは依存の症状と言われています。
何に依存するかで人生が変わってしまうのです。本当は恐ろしいことなのです。

もし「静まり」、いのちそのもののダイナミックさを味わうことができるとしたら。

自分自身を肯定でき、他者や状況も受け入れ、生きることに希望をもって、楽観的に、肯定的に、建設的に、前向きに
あきらめないで、生きる者へと変えられるのなら、静まりたいと思うはずです。

今日、静まってみて、自分は本当に弱い人間であることを痛く経験。これが私の本当の姿です。
正しいと言い張っても、自分で自分を肯定しようと頑張り、強がってみせても、自分を正しく見ることができれば
私は弱い人間だということは事実であります。そういう中で私は、信仰によって主が強くしてくださるという経験をさせていただいています。

静まり、本当の姿(仕事、経済、人間関係、健康)をありのままに見るということを避けてしまう私たち。ある意味、情報過多の世界にどっぷり
浸ったり、また何かに忙しくしていたら、本当の姿を見なくてよくて楽なのかも知れないが、そのつけは、結局のところ、自分に返ってくるものではないでしょうか。

あなたが順風満帆ときでも、試練のときにも、あなたのいのちが生きるために静まることができないでしょうか。
自分のいのちを生き生きとさせるものが何かを知ることができるよう強く思っています。
もし、あなたのいのちを生かす何かがあれば、どんな時でも希望をもって前進して行けるのではないかと思っているかです。

自分を生かすために「静まる」、そんな生活ができると、周囲も変わってくると信じます。


祝福

平和の絆を求めて

2018-01-05 | 日記
新年おめでとうございます。

どのように一年を始められているでしょうか?

私の年頭はいつもこの言葉で始まります。

人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが親切であれば、人々はよからぬ思いを秘めてあなたを非難するかもしれません。気にすることなく、親切であり続けなさい。
あなたが正直で誠実であれば、あなたを騙そうとする人が現れるでしょう。気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。
あなたが幸せを見つけたら、人々が嫉妬するかもしれません。気にすることなく、幸せでいなさい。
あなたが善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく、善を行い続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。全く足りないかもしれません。気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
なぜなら、結局のところそれはあなたと神様の間だけのことなんです。気にすることなく、あなたと周りの人の間とは全く無関係なのです。

この言葉のポイントは
「結局のところそれはあなたと神様の間だけのことなんです。」

私の歩みは、結局のところ、神様と私の関係なのだと思っています。
神様と平和の絆が無くてはならない宝となるよう新年も歩みたい。

神様の守り、導き、救いを信じて。。


すべての人々の祝福を願って。

チャレンジする力

2017-12-15 | 日記

先日、娘と海の見える岬公園へ。。

一通り遊具で遊んだ後、上りの階段へ。。
娘に「一人で頑張って登って」と告げ、それに応えて娘は手をつきながら一段、一段登り始めました。
そこへ、ゴルフクラブとボールを抱えた中年の男性がこちらを見ながら車(白のプリウス)へと向かっていたので、
私はその人と娘を交互に見ていました。そして、次に娘を見ようと目を向けた時、まさにその瞬間につまづいて階段に顔面を強打してしまいました。
娘を抱っこして、車へハンカチを取り、水道へ。少し冷やしていると、娘も泣き止み、痛がらない様子を見て、ひとまず大丈夫だと判断しました。


その後、腫れとアザが残っているため、さまざまな反応がありました。

ご心配してくださった方に感謝します。


ところで、なぜ階段を一人で登らせるのか、、という問いがあるのだと思います。

たとえば、子どもが風邪になったとします。それに対し、どのように捉えるかは人によって違います。
ある人は、心配で取り乱す人もいますが、ある人は、病気に対して免疫が増すのだからと、肯定的に捉える人もいるわけです。

心も同じように言えます。子どもの時にある程度のトラウマがある子のほうがレジリエンスが高まるのだそうです。

こういうことと同じで、ある程度危険な遊びをしている子どものほうがいろいろなことに「チャレンジする力」が高まるそうです。

私はこういう考えでこれからもチャレンジ力を高める機会を娘に与えて行きたいと思っています。
しかし、チャレンジさせるか、させないかの判断は難しいときもありますね。




子どもに学ぶ

2017-11-17 | 日記

子どもの一言で( ゚д゚)ハッ!とさせられることがあると思います。

実に、子どもは純粋で正直なものです。

それに対し大人は、、、正直であるか、、きよい心か、、確かめられる。

子どもは自分を映す鏡。。

きよい心を学ぶには子どもが一番良い