いわきアッセンブリー教会ブログ 

恵みをシェアするブログ

ほんの少し

2018-11-17 | 日記

毎日の生活の中で、どんなことを思ったり、言葉にして歩んでいるでしょうか。

「生きているだけで素晴らしい」
「あの人のほほえみで元気になった」
「今日も家族がとなりにいてくれて感謝」

毎日の忙しい歩みにおいて、「少し」でも、こういうことを思えたり、言葉にできたなら、人生は大きく違ってくるのです。
ほんの「少し」なのだが、、、
この少しを持てずに苦しんだり、人生を辛いものにしてしまうことがないように歩みたいものです。

ある人は悪口ばかり、ある人は不平不満ばかり、ある人は不安ばかりに捕らわれて歩んでいる人もいるのです。

そういう中で、ほんの「少し」自分を肯定できたら、他者に感謝できたら、生きていること自体に喜びを感じられたら
素晴らしい奇跡を体験することもできるのです。


エリザベス・ノーベルという人が書いた「少し」という詩  (感謝が習慣になる21日より抜粋)

砂糖をほんの少し入れるだけで、料理の味を変えることができる。
石鹸を少し使うだけで、体をきれいにすることができる。
日差しがほんの少し差し込むだけで、新芽が力強く育つことができる。
鉛筆がほんの少し残っているだけで、美しい文を一筆書くことができる。
ろうそくがほんの少し残っているだけで、周囲を明るく照らすことができる。

「確かに」という言葉が出てくるのではないでしょうか。
どんなに美しい文字が書けても、鉛筆がなければ書けないのです。

無いものではなく、今あるものに目を留め、感謝する生き方もあるのです。
あるがままを正しく見ることができているでしょうか。

毎日の歩みの中で、ほんの少しです。








起死回生

2018-10-16 | 日記

人生で「もうだめだ」とあきらめてしまうことはあるのですが、
時に、本当に思いもよらない、想像できないほどの起死回生を経験することもあるのです。
あなたの人生に想像を超える起死回生が起こるために、あなたは何が重要だと考えるでしょうか。

逆転の起死回生を経験するためには、希望を持ち続けるや、忍耐する等、そういうものがなければならないのでしょう。

私自身は、神様を愛し、人々を愛し、仕え続けることが起死回生につながる最も必要なことと思っています。

この起死回生は私たちに生きることを見つめ直させてくれるものです。
この秋、自分を見つめる機会を持てますように。












7年目。主の時を信じます。

思い込み

2018-09-21 | 日記
私たち人間は、何かにつけて「良し」「悪し」を決めつけてしまうことが多いのでしょう。

ある人は、その良し悪しは「思い込みにすぎない」と言っています。
その人が例に挙げていたのは、自閉症の人を見て、本人と家族をかわいそうと思い、良くないことと決めつけてしまうことは
思い込みなのだと言っています。自閉症の家族は困難も多いけれども、かわそうだ、あわれだ、不幸だと思っていないばかりか、むしろ、そうであったからこそ、教えられることも多く、喜んでいるという人も実際いるのです。

私自身の例を一つお話させていただくと
私は養護施設(孤児院)で18歳まで生活していたのですが、何度か、養護施設に入れられ「かわいそう」という言葉を聞いたことがあります。
今振り返ると分かるのですが、寂しいという思いがあったのは事実でありますが、かわいそうではなかったのです。
しかし当時の私は、この大人の言葉に捕らわれて自分はかわいそうな人間だと信じ込んでいたように思います。

親と暮らせずかわいそう、、、それは、自尊心や肯定感を奪う辛いものとなって私を苦しめたのです。

しかし施設の大人は、そういう私と向き合い、そこから解放させようと奮闘してくださったことによって、「私はかわいそうな人間で
生まれて来なければよかった人間ではない」ということを思わせくれるものとなったのです。

その施設での経験は今に生きています。
偏見は低く、皆のいのちは尊いと思えること。

人の良し悪しがあてにならないと思えるようになったのは、後になってから分かってくることが多いように思います。
その時は辛い経験かも知れませんが、決してすべてが悪いということは無いのかも知れませんね。


偏見と先入観で良し悪しというレッテルを貼り、人の権利や尊厳が奪われてはならないのだと思います。

欠点と思い込まれ、悪しきことと思い込まれていることも、実は、「良し」ということは沢山溢れています。

失敗、挫折、病、仕事、人間関係、、どれもこれも、表面的、人間的には、悪しことと思われることも
それは思い込みと疑い、違う視点から物事を見、特に良しの視点から見ることも必要ではないでしょうか。











聖めてください

2018-09-04 | 日記

人生において、心の清さは何かを成し遂げるより大切ではないでしょうか。

クリスチャンは神様にあって聖くされることを勧められています。
神様から離れ、自己を絶対化し、神になって高ぶること、心の邪悪さ、苦々しい思い、このようなものを聖くされながら歩んでいかなければと思います。

主よ、他のだれでもない、私の心を聖めてください。


信じること

2018-08-31 | 日記

誰かを信じることの大切さ、素晴らしさは、何度も聞かされていることでしょう。

子育てにおいて、子供を信じて育てるのと、信じないで育てるのとでは大きな違いを生んでしまいます。
今は出来ないけれど、やがて出来るようになる。
今は人生で大切なことが分からないけれど、やがて分かるようになる。

未来から今のこどもを見るという視点でみると、その子を信じ、それが子育てに、忍耐という余裕を持たせてくれます。

最近、子どもがいつもやらないことを出来ていたことに、信じてよかったと感動したことを経験。
自分にとっても良いのですね。自分を生かすことにつながっているのだと思います。

信じること、、、軽視できないもの、侮るなかれ。


人々がもっと「誰かを信じる」ならば、世の中は間違いなく変わるのです。

自分の家族、友人、仲間なら、信じたいという人は多いでのでしょう。
しかし、もっと地域や社会が変わるためには、自分を憎む人、自分を貶める人、批判する人、罪人、失敗した人を信じることです。


未来から見、関わるために何が必要でしょうか。
愛(ゆるし)と忍耐、他者の尊厳を認めるが根底になければならないと思います。

誰かを信じると口先で言うことは容易いのですが、家族でさえ、信じることを実践することは難しいのです。
あなたはどのようにして信じることができるのでしょうか。






神様は私たち一人ひとりを誰よりも信じておられます。
私はそれを体験した一人です。そしてこんな罪人の私をゆるし、信じて生かしておられることを体験させられています。
そういう経験から、信じるということの素晴らしさを感じています。

あなたも信じられること、信じることの素晴らしさを体験し、家族、学校、職場、地域や国を変えて行きましょう。
私は○○を信じます!!