12月。。忙しくなることでしょう。
「忙」とは、心を亡くすことにつながるようです。
その要因は疲れなどが挙げられますが、心配も心を亡くすことにつながるのだと思います。
年末年始に向かっての仕事、家族、経済、様々な必要を求めて心配します。
心亡くすことなく歩むために。
聖書(マタイによる福音書6章25節ー34節)
25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
神様は、私たちのいのちは生かし、必要なものは与えてくださるお方です。
つい最近の話ですが、私が務めさせていただいている教会は経済的に厳しい状況にあります。
このような中、ある人が教会に献金を捧げてくださいました。
このように、神様は私たちの必要に真実を示してくださるお方でありますが、それは、生活上の物質的な必要だけではないようです。
神様を第一にするなら、私たちの心に必要なものを与えてくださるのです。
目に見える物質的なことよりも、大切なのだと思います。
あなたの心を明るく、前向きに、肯定的に、建設的にできるものは何でしょうか。
あなたが心配で心亡くさず歩めますように。祝福