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徹底的に負けることの価値

2018-12-25 | 日記

 一年も終わりを迎えようとしています。
どのような一年であったでしょうか。
自分の思うように結果を残せ、満足したいる人もいると思いますが、
逆に、思い通りにいかずに、失敗したり、挫折したり、他にもさまざまな事で、辛く苦しい
一年であった、という人もいると思います。

ある人がこのように言っています。
「負けるときは、中途半端ではいけない。徹底的に負けることが必要です」
心底共感している私です。

徹底的に負けなければ、人は変われないものです。
言い訳や責任転嫁してしまう弱さは、誰もが持ち合わせているものなのでしょう。

例えば、人間関係・・・昨日、妻と不穏な空気に、、今朝まで引きずるくらいです。
お互い、さまざまなことが溜まってバランスを取っているところはあると思います。
そういう意味では、
ストレスは発散がなされ、良い部分もあると思っています。

私の立場で見ると、妻に悪影響が及ばないように、また、自分の自宅すら休まることができない
大きなストレスを抱えていることが根本的原因にあるのだが、、
そういうものを抱えながら、、、自分に負けることは容易なことではありません。

ある意味、私のこの一年は「負ける」ことの訓練なのだと言えます。

恥をかくこと、人格を否定されること、人権を踏みにじられること、差別されること、いじめられること、、、、

負けることを通して人間理解ができるのではないでしょうか。中途半端なら、「あの人が悪いことをしたから」
「私が悪い」「自分は正しい」と言い訳してしまいます。

私は「負け続けた」この一年が、貴重な体験をしているという視点で考えられることを感謝しています。
なぜ、そういう考えができるのか。
クリスチャンというのは、神様の前に、徹底的に罪を認めた(負け)者たちです。
神様の前に言い訳をし、言い逃れできることは何一つ無いのです。

徹底的に負けることは、その人の人生を必ず豊かにしてくれると信じます。


負けを認めることができずに、誰かを攻め続け、自分をも壊している人々が多い現状において、
負けることの幸いをもっともっと価値があることとして広められたらと思います。


そのために一つ大切なこととして、
もっともっと自己肯定できる大切な存在として生かされていることを知らなければならないと強く思うのは私だけでしょうか。