コロナの感染者数も増えてきて、今年はインフルエンザの流行も懸念されている。オーストラリアが昨年も一昨年も流行がなくて今年は流行したそうで、ある意味指標となるので騒がれている。コロナとインフルエンザの同時感染を”フルロナ”と呼ぶそうで罹れば重症化のリスクが高いとラジオの情報番組で聴いた。今年の正月も孫に会えないかもしれない。会いに行っても会いたさがために「もしも私から孫に感染させたら」という気持ちが先に立つ。しばらく会わないうちに「随分お姉ちゃんになったなあ」と言いそうで、一番かわいい盛りの時のふれあいを逃すような気がしてならない。
GDPや健康寿命、社会的自由などを基に出された「世界幸福度ランキング2021」で我が国は54位。先進国ではしんがりだそうで、ちなみにランキングを調べていたら、1位が5年連続でフィンランドで上位は北欧の国々が占めていた。フィンランドでは税金は高いが、その分社会制度が援助されている。わかりやすい例でいうと、日本では義務教育は中 学生まであり、高校から授業料がかかるが、対してフィンランドは大学院まで無料。また、具体的な例では、夏休み(大人)は1か月、世界トップクラスの教育、男性の育休率が80%と高い点、残業なしで16時には帰宅、1日に2回のコーヒー休憩が法律で定められているといったことがある。このように社会保証制度が整っている点が日本と違う。
しかし、私自身は日本は暮らしやすい幸せな国だと思っている(今のところは)水はタダだし、美味しいし気兼ねなく飲める。食べ物も美味しい。春夏秋冬もある。ありがたいことだと思う。「隣の芝は青く見える」と言うけれども、幸せって自分の心が決めるもので、決して他人と比べるものではない。今のように沢山のモノに囲まれ恵まれた暮らしをしているのに、「まだまだ、幸せにほど遠い」と感じているのは幸せの敷居が高いからではないかな。亡くなられた稲盛和夫さんの著書を何冊か読んだが、老子の言葉で「足るを知る」という用語が出てくる。「足るを知る者は富む」自分以外の誰かをうらやんだり、他人のものを欲しがったりするのではなく、すでに満ち足りている自己を知り、その状況を受入れ、周囲に感謝することが大切だということを稲盛さんは書かれている。幸せの敷居を低くすると、人からの何気ない親切や思いやりに心を満たされる。モノが溢れ一見豊かに見える現代、心の豊かな人はそう多くはない。心の豊かさを取り戻すには、ハードルを下げ「幸せの敷居」を低くすることがいいと思っている。
今日も素敵な一日にしましょう!