せっかくブログも開設したことだし以前の旅行も記事にしてみようかと思い、その第1弾として、平成14年(2002年)から平成15年(2003年)の年末年始にかけて訪れた、南米チリへの旅行を綴ります。
初めてデジタルカメラを携行して使用した旅行でもあります!
実はこの前年にもチリの同じ地域を訪れようとしたのですが、ちょっとしたアクシデントでほとんど何も見ることなく現地滞在わずか1泊で帰国を余儀なくされるという、一体何しに南米まで行ったのか分からない惨惨たる結末となり、この旅行はそのリベンジでもありました(^^;
チリといえば、パタゴニアに代表される南部が有名ですが、世界で最も乾燥しているといわれるアタカマ砂漠が広がり素朴な先住民も多く暮らすアンデスの雄大な眺めを楽しめる北部もまた、魅力的な地域です。
南北4,500km以上、東西平均200km足らずという、非常に南北に細長い特徴的な国土のチリ最北部、ペルーやボリビアとの国境近くの地域を巡った旅の印象は、8年以上経過した今なお脳裏に鮮明に刻み込まれています。
5泊9日という南米旅行としては異常な短い行程でしたが、それだけ印象も凝縮されたような、素晴らしい旅行でした!
(この5泊9日には、京都~成田間を移動した出国前日の1日と成田で前泊した1泊をそれぞれ含んでいます)
(以後チリ2002/2003の旅行記記事中では、後日アップする記事も含め成田から出国した日を1日目とすることを、予めお断りしておきます)
______________________________________________
この旅行では、飛行機の関係で成田空港(当時の正式名称は「新東京国際空港」)からの出発となり、空港近くのホテルで1泊しました。
搭乗する日本航空6便(JL6)ニューヨーク行の、ボーイング747-400。
今となっては懐かしい機体と塗装です(´-`)
あ、尾翼の鶴丸は復活しましたね!
なお本記事とは関係のない余談ですが、クロアチア旅行時に搭乗したルフトハンザでは、保有しているボーイング747-400の2階アッパーデッキ部分を全て、定員わずか8名のファーストクラスに充てています。
搭乗するJL6便の後方には、更に懐かしい機体が…!!
レインボーカラー塗装をした、日本エアシステム(JAS)のエアバスA300です。
画像をアップしようとしていたところ、写っていたのを見つけてビックリ!
オリジナル画像をトリミングしてみました。
日本航空と合併して、この旅行の頃には既にJAS便としての運航は終了していましたが、塗装機が残っていたようですね。
↑勘違いしていました…この旅行当時は日本航空との合併がちょうど始まった頃で、まだJAS便の運航はありました!
昼の12時に成田を出発したJL6便は、所要12時間20分の飛行の後、現地時間で同日10時20分にニューヨーク・ジョン・F・ケネディ国際空港に到着しました。
時差の関係で出発時刻よりも前の時刻に到着するのは、何だか妙な感じですねw
ターミナルを移動し、チリ・サンティアゴ行の便が出発するターミナル4の出発ロビーです。
この空港では魔が差したのか、悪名高い乗り継ぎカウンターで預け荷物を預けてしまうという、致命的なミスを犯してしまいました。
旅行本やネット等でも数多くの指摘があって、「必ず乗り継ぎのチェックイン時に預けるようにしよう!」と固く誓ったにもかかわらず、大きな荷物を12時間持ちっ放し(サンティアゴ行の出発は22時45分;)という現実を実際に前にすると、「強固な(筈の)誓い」は呆気なく崩壊しましたorz
この楽をした代償は後でキッチリ払わされるハメとなりました…。。。
ニューヨークからは22時45分に出発する、チリのランチリ531便(LA531)でサンティアゴへ飛びます。
(ランチリは現在ラン航空となっていますが、本旅行記では旅行当時の名称であったランチリと表記します)
夜の空を飛び続け、ペルー上空に差しかかった頃に夜明けを迎えました。
雲海から昇る朝日の光景は、山頂からご来光を望んでいるかのように思えました。
LA531便は途中、ペルーのリマを経由します。
南米では経由便はポピュラーで、空飛ぶバス宜しく数カ所を経由して最終目的地へ至る路線もありました。
リマのホルヘ・チャベス国際空港。
リマでは、乗客の半分位が入れ替わったような気がします。
降機した乗客は地上を歩いて目の前のターミナルに入っていきました。
南半球で季節が(真冬から真夏へ)逆転し、機内の乗客もいつの間に着替えたのか、凍てつくニューヨーク搭乗時は厚手のコート+ブーツという重装備の出で立ちから、リマに着く頃には半袖シャツの軽装へと「衣替え」がすっかり完了していました(^^;
小1時間程の滞在の後、サンティアゴへ向けて離陸しました。
朝方は眼下を埋め尽くしていた雲海も晴れ、アンデスの山並みが雄大で美しい姿を披露してくれました^^
サンティアゴ到着を前に、南米最高峰であるアコンガグア山が誇る、標高6,962mの威容です!
ニューヨークから12時間10分をかけて、現地時間でニューヨーク出発の翌日12時55分にサンティアゴ・アルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港に到着しました。
チリの首都サンティアゴは南北に細長いチリ国土のほぼ中央部に位置していて砂漠気候ではないのですが、緑豊かな日本の景色に見慣れている目には、ターミナル背後の山をはじめ空港周辺の眺めは、とても乾燥しているように見えました。
サンティアゴの空港はランチリのホームベースであり、近代的で機能的なターミナルでした。
居並ぶ航空機達もラン航空となった現在とは異なる装い(懐かしい「ランチリ "LAN CHILE"」のロゴ)で、8年もの時間の経過を感じます。
預け荷物の受取場で自分の荷物が出てくるのを待ちますが、いつまで経っても出てきません…;;
ニューヨークで抱いた一抹の不安が現実に!!
担当の方にバゲージタグを提示してロストバゲージの手続きをすることになりましたorz
チリ国内で滞在するホテルの連絡先を告げ、荷物の行方が分かったら連絡してくれるとのこと。
テキパキと段取り良く手続きを進めていく、普段抱いていた南米のこういう点ではルーズでネガティブなイメージとは対極をいく対応ぶりに頼もしさと信頼感を憶えました。
その上出口のタクシー乗り場まで案内してタクシーに乗せてくれるという親切ぶりに大感激、前年の残念な旅行でも時刻の正確性と確かなサービスとで好印象だったラン航空への好感度が益々アップしました^^
預け荷物には着替えの下着類やガイドブック、ノートパソコンのACコード等が入っていて、ノートパソコンは8年前当時の頼りないバッテリが持続するまでの使用に限られることになりました;
それでもこの日は乗り継ぎ便の時刻との兼ね合いで大都市サンティアゴに1泊することにしていたのが不幸中の幸いで、ホテルに着くやいなや下着類やそれらの荷物を収容するバッグ等の買出しに、ショッピングセンターへと繰り出しました!
まさか外国、それも地球の裏側の南米で日常的な買い物をすることになるとは夢にも思っていなかったので、これもまたこの旅行の忘れ難い、今となっては楽しい思い出の1つとなって良く憶えています。
この日のお昼も、そのショッピングセンターにあったマクドでのビッグマックとマックフライポテトでしたw
乗り継ぎ時間を含めて、東京からサンティアゴまで36時間以上もの所要時間に加えて到着後の予期せぬ買出しと、怒濤のような時間を過ごして、流石にこの日はベッドに入るなり爆睡でした!
翌朝サンティアゴを発ち、北部の町アリカに向かいます。
初めてデジタルカメラを携行して使用した旅行でもあります!
実はこの前年にもチリの同じ地域を訪れようとしたのですが、ちょっとしたアクシデントでほとんど何も見ることなく現地滞在わずか1泊で帰国を余儀なくされるという、一体何しに南米まで行ったのか分からない惨惨たる結末となり、この旅行はそのリベンジでもありました(^^;
チリといえば、パタゴニアに代表される南部が有名ですが、世界で最も乾燥しているといわれるアタカマ砂漠が広がり素朴な先住民も多く暮らすアンデスの雄大な眺めを楽しめる北部もまた、魅力的な地域です。
南北4,500km以上、東西平均200km足らずという、非常に南北に細長い特徴的な国土のチリ最北部、ペルーやボリビアとの国境近くの地域を巡った旅の印象は、8年以上経過した今なお脳裏に鮮明に刻み込まれています。
5泊9日という南米旅行としては異常な短い行程でしたが、それだけ印象も凝縮されたような、素晴らしい旅行でした!
(この5泊9日には、京都~成田間を移動した出国前日の1日と成田で前泊した1泊をそれぞれ含んでいます)
(以後チリ2002/2003の旅行記記事中では、後日アップする記事も含め成田から出国した日を1日目とすることを、予めお断りしておきます)
______________________________________________
この旅行では、飛行機の関係で成田空港(当時の正式名称は「新東京国際空港」)からの出発となり、空港近くのホテルで1泊しました。
搭乗する日本航空6便(JL6)ニューヨーク行の、ボーイング747-400。
今となっては懐かしい機体と塗装です(´-`)
あ、尾翼の鶴丸は復活しましたね!
なお本記事とは関係のない余談ですが、クロアチア旅行時に搭乗したルフトハンザでは、保有しているボーイング747-400の2階アッパーデッキ部分を全て、定員わずか8名のファーストクラスに充てています。
搭乗するJL6便の後方には、更に懐かしい機体が…!!
レインボーカラー塗装をした、日本エアシステム(JAS)のエアバスA300です。
画像をアップしようとしていたところ、写っていたのを見つけてビックリ!
オリジナル画像をトリミングしてみました。
↑勘違いしていました…この旅行当時は日本航空との合併がちょうど始まった頃で、まだJAS便の運航はありました!
昼の12時に成田を出発したJL6便は、所要12時間20分の飛行の後、現地時間で同日10時20分にニューヨーク・ジョン・F・ケネディ国際空港に到着しました。
時差の関係で出発時刻よりも前の時刻に到着するのは、何だか妙な感じですねw
ターミナルを移動し、チリ・サンティアゴ行の便が出発するターミナル4の出発ロビーです。
この空港では魔が差したのか、悪名高い乗り継ぎカウンターで預け荷物を預けてしまうという、致命的なミスを犯してしまいました。
旅行本やネット等でも数多くの指摘があって、「必ず乗り継ぎのチェックイン時に預けるようにしよう!」と固く誓ったにもかかわらず、大きな荷物を12時間持ちっ放し(サンティアゴ行の出発は22時45分;)という現実を実際に前にすると、「強固な(筈の)誓い」は呆気なく崩壊しましたorz
この楽をした代償は後でキッチリ払わされるハメとなりました…。。。
ニューヨークからは22時45分に出発する、チリのランチリ531便(LA531)でサンティアゴへ飛びます。
(ランチリは現在ラン航空となっていますが、本旅行記では旅行当時の名称であったランチリと表記します)
夜の空を飛び続け、ペルー上空に差しかかった頃に夜明けを迎えました。
雲海から昇る朝日の光景は、山頂からご来光を望んでいるかのように思えました。
LA531便は途中、ペルーのリマを経由します。
南米では経由便はポピュラーで、空飛ぶバス宜しく数カ所を経由して最終目的地へ至る路線もありました。
リマのホルヘ・チャベス国際空港。
リマでは、乗客の半分位が入れ替わったような気がします。
降機した乗客は地上を歩いて目の前のターミナルに入っていきました。
南半球で季節が(真冬から真夏へ)逆転し、機内の乗客もいつの間に着替えたのか、凍てつくニューヨーク搭乗時は厚手のコート+ブーツという重装備の出で立ちから、リマに着く頃には半袖シャツの軽装へと「衣替え」がすっかり完了していました(^^;
小1時間程の滞在の後、サンティアゴへ向けて離陸しました。
朝方は眼下を埋め尽くしていた雲海も晴れ、アンデスの山並みが雄大で美しい姿を披露してくれました^^
サンティアゴ到着を前に、南米最高峰であるアコンガグア山が誇る、標高6,962mの威容です!
ニューヨークから12時間10分をかけて、現地時間でニューヨーク出発の翌日12時55分にサンティアゴ・アルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港に到着しました。
チリの首都サンティアゴは南北に細長いチリ国土のほぼ中央部に位置していて砂漠気候ではないのですが、緑豊かな日本の景色に見慣れている目には、ターミナル背後の山をはじめ空港周辺の眺めは、とても乾燥しているように見えました。
サンティアゴの空港はランチリのホームベースであり、近代的で機能的なターミナルでした。
居並ぶ航空機達もラン航空となった現在とは異なる装い(懐かしい「ランチリ "LAN CHILE"」のロゴ)で、8年もの時間の経過を感じます。
預け荷物の受取場で自分の荷物が出てくるのを待ちますが、いつまで経っても出てきません…;;
ニューヨークで抱いた一抹の不安が現実に!!
担当の方にバゲージタグを提示してロストバゲージの手続きをすることになりましたorz
チリ国内で滞在するホテルの連絡先を告げ、荷物の行方が分かったら連絡してくれるとのこと。
テキパキと段取り良く手続きを進めていく、普段抱いていた南米のこういう点ではルーズでネガティブなイメージとは対極をいく対応ぶりに頼もしさと信頼感を憶えました。
その上出口のタクシー乗り場まで案内してタクシーに乗せてくれるという親切ぶりに大感激、前年の残念な旅行でも時刻の正確性と確かなサービスとで好印象だったラン航空への好感度が益々アップしました^^
預け荷物には着替えの下着類やガイドブック、ノートパソコンのACコード等が入っていて、ノートパソコンは8年前当時の頼りないバッテリが持続するまでの使用に限られることになりました;
それでもこの日は乗り継ぎ便の時刻との兼ね合いで大都市サンティアゴに1泊することにしていたのが不幸中の幸いで、ホテルに着くやいなや下着類やそれらの荷物を収容するバッグ等の買出しに、ショッピングセンターへと繰り出しました!
まさか外国、それも地球の裏側の南米で日常的な買い物をすることになるとは夢にも思っていなかったので、これもまたこの旅行の忘れ難い、今となっては楽しい思い出の1つとなって良く憶えています。
この日のお昼も、そのショッピングセンターにあったマクドでのビッグマックとマックフライポテトでしたw
乗り継ぎ時間を含めて、東京からサンティアゴまで36時間以上もの所要時間に加えて到着後の予期せぬ買出しと、怒濤のような時間を過ごして、流石にこの日はベッドに入るなり爆睡でした!
翌朝サンティアゴを発ち、北部の町アリカに向かいます。
アリカを検索してみたら銀がたくさんあった所とありました。たまたまイギリスの海賊
Francis Drake について読んでいたのでDrakeがアリカを襲ったことがあると知ってアリカに近親感を持ちました!
日本から南米はやはり遠いですね~。36時間もかかると私はきっと疲れて2日は寝込んでしまいそうです(笑)
ウニ&ラピスラズリの為にいつか行ってみたい国です。
素敵な旅の続き、すごく楽しみです!
アリカは元々ペルー領でしたが、後にチリ領となった町で、ペルーやボリビアとの往来も活発な、ちょっとした国際都市でした。
ドレークは、スペインの天敵のような人物ですねw
スペインに対する攻撃で海賊から「サー」にまで叙勲されてもなおスペインを苦しめ続けたようで、たまたま緒戦に勝ったばかりに後々復讐され続けるスペインに少し同情してしまいます(^^;
市場で日本人には「ウニ~」と声が掛かる、チリの巨大なウニは有名ですよねw
ニューヨークでの乗り継ぎ時間が12時間だったので;所要36時間となりましたが、普通は30時間前後で行けます。
12時間かけてやっと米国に着いても、更にあと12時間のフライトが控えていると思うと、南米は本当に遠いですが、時間をかける価値のある楽しい大陸でしたよ^^
友人がウルグアイでホテルを経営しているので、来年あたり行ってみたいと思っていたのですが、お二人のコメントを読んで、ウルグアイよりもチリに行ってみたくなりました。
taろうさんの記事を読み進むにしたがって、その気持ちはもっと強くなりそうです。
5泊しかしてないのに、日本に戻ったら9日も経っていた…って、なんだか浦島太郎の気分になりますね。
それにしても8年前の出来事をこんなにはっきり覚えていらっしゃるtaろうさんに脱帽です!
南北に細長いチリは砂漠から氷河まで網羅でき、魚介類も多い料理や有名なワイン等も楽しめ、治安も安定しているので、クロアチアのように安心して訪れることができる国だと思います。
日本からだと普通にヨーロッパや米国等へ行き、そこから更に同じ位の時間をかけないと南米へ行けないので、半分の所要で赴けるタヌ子さんが羨ましいです!
そうそう行ける場所でもないので、細かな記録を残して正解だったのと、旅の思い出として、アクシデントや目にした素晴らしい景観は忘れ難いものでした。
タヌ子さんも、独特のテンポが魅力的な南米を、是非堪能なさってきてくださいね^^